迫力ある仏像群 福岡県太宰府市 天台宗清水山観世音寺 私の百寺巡礼257
あくまでもメインは太宰府天満宮。時間に余裕があるから、先に他の場所にも行くか。そんなお気楽な気分でパソコンでGoogleマップを閲覧。
そこで、太宰府駅から徒歩圏内の観世音寺にと計画を立てたわけであるが、旅の直前に読んだ五木寛之先生の「百寺巡礼」シリーズ。九州での寺院にしっかりと紹介されていたのである。
新幹線の中で予習する。何々?数多くのお寺を廻った五木寛之先生絶賛の仏像群ですと!
観世音寺は7世紀後半、天智天皇の発願で母・斉明天皇の供養のために創建されました。完成までに約80年かかり、746年に完成の供養が行われました。また、僧に授戒をする「戒壇院」が設けられたことで観世音寺は、奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺と併せて天下三戒壇と呼ばれ、正式な僧侶として必要な戒律を授かるため、遠方からも多くの出家者が訪れたと言われています。
最盛時には、49もの子院を擁したとされる観世音寺ですが、そのほとんどが何世紀にもわたる歴史の中で焼失、または廃墟化しています。観世音寺の金堂と講堂も焼失し、17世紀に再建されています。かつて授戒の場とされた戒壇院も遺されていますが、現在は観世音寺とは別の寺院となっています。
観世音寺の宝蔵には、九州最大級の仏教彫刻展示をはじめ、重要文化財が数多く収められています。 宝蔵に入ると高さ5メートルほどの彫像が立ち並び、9世紀の彫像「兜跋毘沙門天立像」の威厳に満ちた姿に目を奪われます。観世音寺は大陸由来の舞楽を行う楽団を備えており、寺院で行われた演劇や舞楽に使われた「舞楽面」3面も収蔵されています。
(太宰府市広報より)
博多駅に新幹線到着。10分後の太宰府駅行き直行バス(高速を走るので速い!)に間に合うか?
おおおおお!初めての九州、初めての博多を走る自分。間に合った。
ちなみに、そのバスがこちら。福岡と言ったら、西鉄!西鉄と言ったら、西鉄ライオンズ!バスも電車も西鉄メイン。西鉄バスの旅人(たびと)だ。
太宰府天満宮は西鉄の駅しかないので、福岡駅、福岡空港から行かれる方は、こちらの方が便利だと思う。
はいいい。ついでに言うと、元々の計画では、福岡空港から太宰府駅までは途中のバス停には停まらないのだろうと思っていたもので、太宰府駅から歩くつもりでいたのだ。
しかあし!
朱雀大通りを曲がり、大宰府政庁跡のバス停に停まったじゃあないかあ!
そして、はいいいい。私の得意技。Googleマップで現在位置と行きたい場所の確認。
運転手さんに、「すみません!!観世音寺は太宰府駅よりも、市役所前で降りた方が近いですよね?」と平気で聞けるのが図々しいオバサンなのだ。
運転手さん、ありがとうーーーーー!太宰府駅まで行っていたら、20分歩いてました。
バス停からの指示がこちら。自分、初めての地で感が冴える!
仏像は、こちらの宝蔵館にて拝観することが出来る。
御朱印帳、御朱印もこちらでだ。
受付は太宰府市の職員なのだろう。天台宗の寺院とはなっているものの、無人の寺で、広い敷地は、〇〇跡と表記された場所ばかりであった。
オレンジ色のねむの木が美しい。
五木寛之先生の言われた通り、仏像は素晴らしいものであった。
写真撮影は禁止なので、ホームページの写真を紹介したい。
詳しくは、こちらにある。
と、私の拙い文章よりも、五木寛之先生の著書から抜粋したい。
1300年の歴史をもつ観世音寺はm太宰府天満宮よりもはるかに歴史が長い。太宰府天満宮は道真の没後、今からほぼ1100年前に建てられた祠が起源だからだ。
しかし、現代の観光客には、太宰府天満宮の方が圧倒的に人気がある。やはり、「受験の神様」だからなのだろう。
最初に向かったのは、観世音寺の境内の西側に隣接する戒壇院である。
この戒壇院は、江戸時代までは観世音寺の堂宇の1つだったのだが、現在は独立した臨済宗妙心寺派の寺になっている。
戒壇といえば、やはり鑑真のことを想い出す。苦難の末に中国から渡来した鑑真は、754年に東大寺に戒壇を設けている。それ以来、国家公認の僧侶となるにあ、東大寺の戒壇で受戒することが義務づけられた。
つまり、修行中の僧に対し、戒律を守って仏教の勉強をきちんとしているかどうか、国家が試験を行ったうえでキャリアとして認めるのである。認められて初めて正式な僧となるわけだ。その戒律の授受を行ったのが戒壇だ。
しかし、関東や九州の寺院で学ぶ人たちにとって、奈良の東大寺の戒壇まで行くのは、あまりにも遠くて大変なことだった。そのため、761年には、この太宰府の観世音寺と、下野の薬師寺にも戒壇が設けられた。
観世音寺の境内は、その戒壇院とまさに隣りどうしにある。以前は同じ寺域だったというのも頷ける距離だ。参道には大きなクスノキが並んでいた。礎石が残っていることから、かつては入口に大きな南大門があったことがわかっている。
その並木道の正面に見える建物が講堂だ。創建当時の観世音寺は、七堂伽藍を備えた巨大な寺だったという。しかし、それを想像しがたいほど、今は殆ど人影もなく、辺りは静まり返っていた。
だが、1300年という歴史を感じるには、その静けさがかえって嬉しい。境内に1人でぽつんと立っていると、風の音や木々のざわめきや鳥の声などの様々な音が聴こえてくる。多分、この風だけは、1000年の昔から変わらずに吹いているのではあるまいか。
平安時代に全盛期を迎えた頃の観世音寺は、戒壇院を始め、講堂、金堂、五重塔、中門、回廊、経堂、菩薩院など数多くの堂宇を備えていた。奈良の法隆寺などと比べても遜色がないスケールの寺だったのである。
現在の観世音寺は天台宗になっているが、当初は戒壇があった関係で、「八宗兼学の寺」と称されていた。天台宗の寺になったのは、明治以降らしい。
今、境内を見回してみても全盛期の華やかな面影はどこにもない。けれども、この金堂と講堂の建物からは、どことなく大陸や朝鮮半島との交流がうかがえて興味深い。
観世音寺の建立を発願した天智天皇の個人的な心情は別にして、なぜこの地にこの寺が造営されたのだろうか。古代の日本人の姿や政治や歴史というものに想像を巡らせずにはいられない。
仏像を見た時、その大きさに驚くというのは、あまりにも単純で素朴過ぎる感想かもしれない。
近代以降、人間は、世界を支配する王様は自分たち人間だ、と盲信して生きてきた。言い換えれば「人間肥大」というべき病の中に生きてきたのではないか。
そんな思いあがった人間たちに、人間の小ささ、卑小さというものを感じさせてくれるのが、このずば抜けた「大きさ」なのだ。この宝蔵の中で、私にはそんなふうに感じられてならなかった。
これまでに90というお寺を廻ってきたが、これほど巨大な仏像が一堂に会しているのを見たのは初めてである。
観世音寺は、古さという点では、九州だけでなく日本全国の寺の中でも指折りの寺と言える。
今回、観世音寺を訪ねて、日本という国が実に長い歴史を持ち、古代から東アジア全体の文物の交流の渦の中にあった、ということを実感することが出来た。
この静かな広い場所に独りで仏像と向き合う。素晴らしい時であった。
太宰府に来られたこと。深く感謝したい。
太宰府や 文化渡来し 合歓の花
天台宗清水山観世音寺
福岡県太宰府市観世音寺五丁目6番1号
博多駅・博多空港より直通バス「旅人」にて、太宰府市役所前下車。
西鉄太宰府駅下車徒歩20分
西鉄五条駅下車徒歩10分