心休まる広い庭 横浜市南区・臨済宗久保山円覚寺 私の百寺巡礼17
京急線南太田駅、或いは黄金町駅から急な坂を上ると迎えてくれる。それが、横浜市にある円覚寺だ。
こちらの写真ではわかりにくいかも知れないが、丁度、山の頂上に当たり、かなりな急坂となっている。
黄金町駅の方から坂を上がりきると観えるのがこちらの門。
明治の開港と共に人口が増えてきた横浜。
そこで鎌倉にある円覚寺がこちらに出張所として明治18年に建てられたのが始まりだとか。
この鐘が好きなのだ。
こちらはペットの慰霊碑だ。
日清戦争、日露戦争など、平成生まれの若者は知らんだろうな。
その方たちの慰霊塔である。
こちらの石の上には、この場所がお気に入りで、よくくつろいでいる人懐っこい猫がいる。
坂の下に住む飼い猫らしいのだ。
「ほんこんさん」と勝手に呼んでいたのだが、「まるちゃん」だったらしい。
だが、しかあし!!
明日からも「ほんこんさん」と呼ぶであろう。
今日は雨であった為、遊びに来なかったようで残念であった。
ほんこんさんの他にも数匹の猫が天気の良い日は、広い庭でくつろいでいる。
さてさて・・・
円覚寺の境内には、伏見稲荷というお社がある。
確か、明治時代に、明治政府は「神仏分離」を打ち出したはずだ。
ということで、私は、この寺院は江戸時代以前のものだろうと思っていた。
今回、対応してくださったのは、実家が栃木県の臨済宗の寺院だという若い修行僧であった。まだまだ実家の僧侶(父親)が元気であるため、横浜にて修行中と。
猫の本名も教えてくれたり、横浜円覚寺の歴史も教えてくれ、感謝。
確かに!明治政府は「神仏分離」令を出した。
寺の力が強くならないように、かもしれない。
かつての比叡山延暦寺では、僧たちが武装して「僧兵」とまで呼ばれるほどの武力を身につけていた。平安時代、鎌倉時代の天皇、上皇でさえ手に負えないほどであったのだ。
そう考えると、織田信長の比叡山焼き討ち事件も権力者になりたいならば。。。などと考えていくと、違った見方が出来る。
明治政府に従い、「神仏分離」した所もあるが、やはり「神仏習合」のまま!それを貫いた所も多かったようだ。
何故なら、檀家、氏子と呼ばれる、近所の民がそれを求めたから。
私は、そんな話を聴きながら、本来、寺社仏閣とは、有名どころを求めるのではなく、近所の氏子、檀家となっている小さい寺社仏閣を大切にお詣りするものではないか、と思うのだった。
もちろん、お遍路参り、札所巡りなど、おおいにすべきだ。
鎌倉時代に執権・北条時宗により創建された円覚寺は、元寇の際に、日本で亡くなった外国人である元寇の人たちをも慰霊したのだ。
他にも当時の元寇の人たちを慰霊した寺もある。
こういう、死者に対しての心遣いというか、平等な所が日本人て素晴らしいなと思うのだった。
家畜の馬が亡くなったら慰霊する。死者に対する礼儀を感じたのであった。
臨済宗円覚寺派久保山円覚寺
横浜市南区伏見町15
京急線・黄金町駅より市営バス32にて保土ヶ谷車庫にて。久保山霊堂バス停前
京急線・南太田駅より徒歩20分。かなりキツイ坂道
JR横須賀線保土ヶ谷駅より徒歩15分。やはりキツイ坂道。