見出し画像

私の大好きな探偵 仁木兄弟の事件簿~読書記録263~

ミステリー作家・仁木悦子さんの作品の主人公、仁木兄弟が登場するシリーズの短編集。


編集されたのは、戸川安宣さん。
戸川さんは、ミステリー小説出版で有名な東京創元社の元社長で現在は相談役だ。

ここでは、戸川氏の解説を紹介したい。(ところどころ省略している。申し訳ない。)

本書の著者、仁木悦子は昭和32年(1957年)、仁木兄弟の活躍する長編推理小説「猫は知っていた」で一躍注目を集め、「日本のクリスティ」とも言われた作家です。

推理文壇の大御所、江戸川乱歩は還暦を機に、日本の推理小説発展の為にと、昭和29年、江戸川乱歩賞を創設しました。
第3回からは新人発掘を目的にした賞に改めようと、応募原稿の中から優秀作を選び出し、当該作品に賞を与えることになりました。その記念すべき愛一回の栄誉に輝いたのが、「猫は知っていた」だったのです。再スタートを切った江戸川乱歩省の最初の受賞作、というばかりでなく、その作者が女性で、しかも体に障害があり、子どもの頃から寝たきりの生活を送り、学校にも行かず家庭教育を受けただけ、という経歴がマスコミに取り上げられ、推理小説の単行本としては記録的なベストセラーとなりました。
日本には本格的な女流作家がいなかったこともあり、作者は女性名の男性だろう、と思った選考委員もいたと聞きます。「英米には優れた女性探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一、二の女流を数えるのみで、それらの作家も論理性に富むいわゆる本格探偵小説は、殆ど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを掲げて現れた。大きなトリックには必ずしも創意はないけれども、細かいトリックや小道具の使い方に女性らしい繊細な注意が行き届いていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある」と選考の言葉にあります。


仁木悦子は本名を大井三重といい、昭和3年3月7日、東京、現在の渋谷区、日赤病院で生まれました。父は海軍士官の光高、母はふくといい、共にクリスチャンでした。三重は2人の6番目の、そして最後の子供です。姉が3人、兄は2人の末っ子でしたが、すぐ上の姉が幼くして亡くなった為、事実上の三女として三重という名が付けられたようです。そんな彼女の人生に大きな転機が訪れたのは、幼稚園に通い始めて1年近く経った頃。初めは小児喘息と思われていたのが、ある日健康診断を受けた結果、、胸椎カリエスとわかった時には既に手遅れで、両下肢が麻痺し、歩行不能になっていたのでした。さらに追い打ちをかけるように父が昭和10年に亡くなり、16年には戦地の中国で長兄が、18年には病臥中の母が他界します。戦時中は富山に疎開し、21年からは世田谷区経堂に戻って復員してきた次兄一家と暮らすようになりました。
昭和61年11月23日、仁木悦子は腎不全の為亡くなります。享年58歳でした。青山斎条で行われた葬儀には推理作家の鮎川哲也と共に参列しました。その時、すらりとしたお兄さんを初めて拝見し、ああこの人が雄太郎のモデルかと思ったものです。


戦前に両下肢が動かない状態。これは学校に行くことは出来ない。行きたくても行けない。のだ。それでも、家の中で独学で学び、素晴らしい才能を開花させた仁木悦子さんに敬服する。
昭和時代の車椅子生活であると、今のように気軽にどこにでも行くなどは出来ない。バリアフリーなどない時代であったから。
仁木さんが描く風景は、どこから来ているのだろう。常に不思議に思っている。窓から観ているだけで外の様子はわからないだろう。今のようにネットもない時代だ。テレビも普及していない。
本かれ得た知識をこれほど上手く用いられる人はいないのではないだろうか。
まさに、車椅子探偵と思うのであった。

描写が実に丁寧で、いつまでも読み継がれて欲しい作家である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?