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赤毛のアンへの遥かなる道~読書記録138~

カナダのジャーナリストによるモンゴメリーの伝記である。

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私たち日本人は「赤毛のアン」の作者と言うと、モンゴメリとなるが、この本では、彼女の事を「モード」と記して進めている。

モンゴメリは結婚前の名字であるし、(赤毛のアンを世に出した時は独身)ルーシーという名前は、彼女の母方の祖母と同じ。モードはその祖母が好きではない。
ということで、私も、ここで「モード」という書き方をしたい。

「赤毛のアン」=「モード」
そのままなのだな、と理解できた。

私が「赤毛のアン」の中で好きなのは、
「お祈りは教会の中だけでなく、どこででも出来る」
というアンの考えなのだが、モード自身もそういう所があったようだ。

あるすばらしい日曜日の朝、モードは教会に行くのをやめて、おごそかな森に出かけようかと思ったこともあった。
「シダの間に腰をおろし、こけむした暗い小道にこだまする風の音に耳をすましながら長い時をすごせたら。さぞ素晴らしいことでしょう。大聖堂の聖歌を思わせるような響きに聴こえるに違いありません。仲間と言えば、大自然と自分自身の魂だけ・・・」(本書より)

キリスト教圏では、「神は唯一」であるから、自然の中の神、動物や植物の中に観る神の姿など考えられないであろう。
日本では「アニミズム」。自然崇拝は当然なことなのだが。
昔から、旅先で死んだ馬の供養などもある。

モードは幼い頃に母を亡くし、父は1人で島を離れカナダ本土に。その為、母方の祖父母の家で暮らす事になった。その経験が「赤毛のアン」並びに「可愛いエミリー」にも表れている。

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祖父が亡くなった時、モードの従兄が祖母の住む家を奪ってしまうかもしれない。
実際、祖父の遺言は、長男に財産を譲るとあり妻への保障はなかった。
その故に、モードは教師の仕事を辞め、祖母と暮らしていく。
モードの祖父母は町の郵便局を営んでいた。
昔、日本にあった特定郵便局のようなものだろうか。地域での名士が国から頼まれて郵便局にという事が郵政民営化前の日本ではあり、田舎はその為に大変便利だった。
モードは、作家として創作しながら、郵便局の仕事をし、祖母の世話と20代から30代と過ごした。その為、結婚がだいぶ遅れたのだ。
37歳の時に祖母が亡くなり、それまで待っていてくれた婚約者の牧師と結婚。2人の男の子に恵まれる。

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「赤毛のアン」が世に出たのは1908年。モードが33歳の時であった。
「私は自分以外の人になりたくない」
物語の中のアンのセリフはモード自身が日記にも書いていたものであった。

「赤毛のアン」は世界各国の少女たちに愛される。そこには、モードの「作家になる」という強い心があったのだった。


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