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私の幸福論~読書記録88~

「幸福とは、幸福感を持つこと」
2005年刊行。
元聖路加国際病院院長の故・日野原重明先生が94歳の時に書かれたエッセイである。


近代的な高名な総合病院医師であった日野原重明先生に対する見方が私の中で少し変わったのだった。
非常に失礼な思い込みで、日野原重明先生は、近代医学崇拝者であると思っていたのだ。実に申し訳ない。医学は絶対で、延命治療に賛成、薬や手術で多くの病気が直せる派なのだろうと勝手に描いていた。
先生、ごめんなさい。
「風邪を治しているのは、薬ではなく、その人がもともと持っている自己治癒力や免疫力」~本書より~


人は誰でも、またいつでも、悲しみや苦しみ、孤独から自分自身で抜け出すのです。医師や医学がその人を救うのではない。自分で自分を救うしかないのである。

心を自分の事だけに占有させてしまわない。それが試練に耐えさせ、生きていることの喜びに敏感であるためのおおいなる下地になる。

太宰治の遺作となった「桜桃」の冒頭には詩篇の言葉がある。

われ、山にむかいて、目を挙あぐ。
――詩篇、第百二十一。

子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。

だが、この詩篇121の後に続く大事な言葉を太宰治は引用していない。
「わが助けはいずこより来るのか
 わが助けは天と地を作られた主から来る」
おそらく、太宰はこれからどう生きていけばいいのかを聖書から答えを見出したかったのだろう。だが、彼には山が見えなかった。

生きていく意味や可能性を見失った時、人は不幸に陥る。

若き日の日野原先生は、患者を下に見るような医師であったが、アメリカ留学した事を機に、患部ではなく、その人を見る事を教えられ、意識して、習慣づけたという。

老化とは避けられぬ生理現象。しかし、老いは、当人が老化を受け止める心構えを言う。

シンプルであることの良さを知ろう。
plain living and the high thinking
平凡な生活と高い思考
ワーズワースの詩より


人は必ず死ぬ。そのことを忘れてはいけない。


こちらが、本に出てきた日野原先生が理事長をされていたホスピスだ。


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