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動物に植物に遺跡に見所いっぱい 川崎市幸区 日蓮宗頂竜山了源寺 私の百寺巡礼200

新川崎駅から歩く事約15分。本当はそんなにかからないのだが、1㎞ということで。Googleマップさんに従う。
夢見ヶ崎公園という場所がある。貨物列車オタクの私は、新川崎駅にある貨物列車停車場が好きでたまらないのだ。


ということで、新川崎駅周辺を探索!

小高い丘の上に動物園あり、昔の遺跡あり、展望台ありと。しかも動物園は無料で開放感あり。



その夢見ヶ崎公園の中に神社、お寺とあり。ここ了源寺はその1つだ。

了源寺(りょうげんじ)は日蓮宗のお寺で頂龍山了源寺という。日蓮聖人の弟子日頂上人が創建した加瀬山妙法寺が始まりとされるが、その後は荒廃していた。元和元年(1615年)に工藤重則が中興開基、日啓上人が中興開山となり現在地に再興し、頂竜山了源寺と改めたという。この寺にある鬼子母神は、元文4年(1739年)に川で拾い上げられたものとされる。現在の本堂は宝暦2年(1752年)に再建されたものである。そのときに再建された庫裡は現在建て替え中である。この寺では、10月24日に、「万燈供養日蓮上人入滅会(まんどうくようにちれんしょうにんにゅうめつえ)」が盛大に執り行われる。
 夢見ヶ崎(加瀬山)は古代の奥津城で4世紀後半から7世紀末にかけて古墳が築造された。台地中央部にあたる了源寺境内にも加瀬台4号古墳があり、この古墳は5世紀後半に築造された円墳であり、明治末年に獣身鏡(じゅうしんきょう)2面と鉄斧が出土したと伝えられている。
 今から約550年前、江戸城を築いた太田道灌が、この地に陣をひいて築城を計画したが、ある夜、道灌は武士の魂である兜を白鷲がくわえ去る夢を見た為、築城をあきらめた伝説により「夢見ヶ崎」の名が付いたとされる。築城していたらこの地に日蓮宗のお寺は再興されなかった。
 赤穂浪士の大石内蔵助が討入り前に逗留していた下平間の軽部宅の主・五兵衛の墓所がある。


ここから上がり、公園へと。
だが、しかあし!
私はここで川崎市長に文句を言いたい。歴史のあるお寺入口の御主題の前にゴミ置き場を作るって、どういう感覚なのか!景観を損ねる云々ではなく、神社寺院教会の前は、カラスやネズミが集まるような状態は好ましくないと思うのだ。


本堂前にあるネコヤナギの樹がフワフワの花が少し咲いていた。
もうすぐ立春だ。

金木犀の樹に銀杏の樹。来る季節を間違えたな・・・・

門はまるで武家屋敷のようであった。
そして、太田道灌伝説。
室町時代の関東での英雄だ。江戸城を気づいたのも太田道灌であるし、あちこちで伝説がある。

時折、隣の動物園から聞こえてくる鳴き声と動物特有の匂いとを感じながら、この寺院の雰囲気を味わったのであった。

夢見るや 道灌と共に 猫柳


日蓮宗頂竜山了源寺
神奈川県川崎市幸区北加瀬1丁目13−1
JR新川崎駅より徒歩15分


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