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蟹工船~読書記録157~

昭和4年に小林多喜二が発表した作品であるが、今何故か読まれているのだそうだ。

蟹工船』(かにこうせん)は、文芸誌戦旗』で1929年昭和4年)に発表された小林多喜二の小説である。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されている。

1929年3月30日に完成し、『戦旗』5月号・6月号に発表。「昭和4(1929)年上半期の最高傑作」と評された。『蟹工船』の初出となった『戦旗』では検閲に配慮し、全体に伏字があった。6月号の編が新聞紙法に抵触したかどで発売頒布禁止処分。1930年7月、小林は『蟹工船』で不敬罪の追起訴となる。作中、献上品のカニ缶詰めに対する「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」という記述が対象であった。戦後1968年、ほぼ完全な内容を収めた『定本 小林多喜二全集』(新日本出版社)が刊行された。

この小説には特定の主人公がおらず、蟹工船にて酷使さたれる貧しい労働者達が群像として描かれている点が特徴的である。蟹工船「博光丸」のモデルになった船は実際に北洋工船蟹漁に従事していた博愛丸(元病院船)である。
再脚光のきっかけは作者の没後75年にあたる2008年平成20年)、毎日新聞東京本社版1月9日付の朝刊文化面に掲載された高橋源一郎雨宮処凛との対談といわれる。同年、新潮文庫『蟹工船・党生活者』が古典としては異例の40万部が上半期で増刷され例年の100倍の勢いで売れた。5月2日付の読売新聞夕刊一面に掲載。読者層は幅広いが、特に若年層に人気がある。毎日新聞等では、日本共産党党員が近年増加しているのは蟹工船等の影響もあるのではないかと論じられた。2008年の新語・流行語大賞で流行語トップ10に「蟹工船(ブーム)」が選ばれた。 2006年(平成18年)以降、イタリア語版、韓国語新訳版、台湾からの中国語新訳版、大陸での中国語旧訳再版、「マンガ蟹工船」と合本の中国語新訳版、フランス語版、スペイン語版などが各地で出版されている。

と、これが本書の大まかなあらすじであるが、俳句の世界ではないのだが、パッとその風景を思い浮かべる事が出来る、季節などもわかる描写に個人的に感動した。
例えば、ロシアの海で仕事をするわけだが、北極圏が近い為、朝の3時にはもう明るいなど。夏至の頃かななどわかるわけだ。
暴力的な描写、何ヶ月も女性がいない状況での・・・などもイメージとして伝わった。


派遣労働者を始めとするブラック企業で働く非正規雇用者の間で読まれている。
確かに、この本に出て来る出来事はあまりにも過酷すぎるが、例えば、就業する時に、本来なら会社が負担すべき経費を始めに差し引かれていた、など、21世紀の非正規雇用の場合、あるのだ。
私もいくつか経験したが、制服代を給与から天引きなどだ。
派遣登録会の席で怒りのあまり、名前を書く前に帰ってしまったのは、銀行の給与振込手数料を給与から引く、というものであった。
「で、最後には税務署には経費として会社が払ったとするんですよね?」
と、聞いてしまいたくなった。

蟹工船の話は過酷で、明らかに人間として扱われていないよね?と思う事が多いのだが、現代の非正規労働者には共感できるのだろう。

なんとも悲しい時代である。

ちなみに、蟹工船についてどのようなものか、Wikipediaから借りてきた。

蟹工船は日本で発明され実用化された船で1916年(大正5年)に和嶋貞二が商業化した。
夏場の漁期になると貨物船を改造した蟹工船と漁を行う川崎船が北方海域へ出て三ヶ月から半年程度の期間活動していた。蟹工船は漁をしていない期間は通常の貨物船として運行しており、専用の船があったわけではない。蟹の缶詰は欧米への輸出商品として価値が高かったため、大正時代から昭和40年代まで多くの蟹工船が運航されていた。1926年大正15年)9月8日付け『函館新聞』の記事には「漁夫に給料を支払う際、最高二円八〇銭、最低一六銭という、ほとんど常軌を逸した支払いをし、抗議するものには大声で威嚇した」との記述がある。逆に、十分な賃金を受け取ったという証言もある。『脱獄王 白鳥由栄の証言』(斎藤充功)において、白鳥由栄1907年生まれ)は収監以前に働いていた蟹工船について「きつい仕事だったが、給金は三月(みつき)の一航海で、ゴールデンバット一箱が七銭の時代に三五〇円からもらって、そりゃぁ、お大尽様だった」と述べている。1926年に15歳で蟹工船に雑夫として乗った高谷幸一の回想録では陸で働く10倍にもなると述べているが、単調な1日20時間労働で眠くなるとビンタが飛ぶ過酷な環境で大半は1年で辞めるところ、高谷幸一は金のために5年も働いたと証言している[4]。漁夫雑夫でも米1日八合が支給され、食事量は陸上よりも多く、幹部は乾燥鶏卵やハムなどが食べられ、当時としては食事はよかった。



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