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神仏習合、神仏分離令を考える 滋賀県長浜市 真言宗豊山派勝軍山新放生寺舎那院 私の百寺巡礼94

長浜駅から県道509号線を15分も歩くと、長浜八幡宮になる。
その隣にあるのが、真言宗智山派の舎那院で、明治時代、新仏分離令が言われるまで長浜八幡宮の別院となっていた。


舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より車輌三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。(お寺のHPより)


すぐ隣は長浜八幡宮だ。
滋賀県は、昭和20年7月に現在の大津、昭和20年5月に彦根と米軍による空襲があったが、ここ長浜は戦火を免れたようだ。
だから、安土桃山時代の建物が残り、境内の樹々も素晴らしい。

ここで私は思うのだった。
神社の中には、御朱印帳をお寺を一緒にするのは嫌だと言う人がかなりいるのだ。(もちろん、しないが)
御朱印巡りの本やWebなどでも、御朱印帳は別にするのが常識と書かれている。
本当にそうなのだろうか?
それって、明治維新の保守の考えですよね?と私は言いたい。
元々は、奈良、平安時代から、神仏習合で同じ敷地で仲良くしてきたのだ。
お寺に行くと普通に鳥居があり、比叡山の修行では日吉大社参拝も含まれている。
徳川家康、徳川幕府は、神社もお寺も大事にしたのだ。
芝増上寺内には東照宮もある。


こちらの御朱印であるが、お寺の玄関に抽斗が置かれ、
「お金と一緒にご自由にお持ちください」
となっている。
これも日本の良さなのだ。参拝する人を信じるという。
現在の日本を観ると、神社の賽銭泥棒やら、SNSでのふざけた動画やら、何か変わってしまったと感じる。

この猫のモデルは、ここの庭に住み着いた白黒猫で、滅多に会えないが会えたら幸せなのだと言う。。。残念ながら会えなかった。


真言宗豊山派勝軍山新放生寺舎那院
長浜市宮前町12-45
JR琵琶湖線・長浜駅東口より徒歩15分


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