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灸をする(4)

積聚会名誉会長 小林詔司

『積聚会通信』No.9 1998年11月号 掲載

灸の補瀉について今少し話を続けよう。
 
ところで元来灸というものは火を使うものであるから、基本的には補法であるといえる。補法とは気を補うことであるから、灸の場合であれば、火を補うことすなわち熱気を補うことの意味になる。
 
これは体に熱気が足りないために熱を補うことと普通には解釈できるが、もう少し深く考えて、熱を起こす気の力がないという身体を想定すれば、灸の場合の補法とはそのような気の力をつけるために熱を与えることであるともいえる。
 
これは身体が虚している場合に該当する。
 
ただこれも病態の判断を誤ると、補的に行っているはずの熱作用が過ぎて、身体に熱が籠もってしまうという現象もよく耳にする。
 
身体に気の力が溜りすぎていわば実症状を呈するわけである。実際の症状としては、皮膚が痒くなる、過敏になる、時には吹き出物が出来る、女性では生理量が増えるなどである。長く灸治療をしていてこのような疲状が出れば、まず灸をやめなければならない。
 
『養生訓』の記載では、「気升(のぼ)る人は一時に多くすべからず。明堂灸経に、頭と四肢とに多く灸すべからずといへり、肌肉うすき故也。又、頭と面上と四肢に灸せば、小(ちいさ)きなるに宜し。」 (36節)また「虚弱の人は、灸炷小にしてすくなかるべし。虚人は、一日に一穴、二日に一穴、灸するもよし。一時に多くすべからず。」(41節)、あるいは「項(うなじ)のあたり、上部に灸すべからず。気のぼる。老人気のぼりては、くせになりてやまず。」(47節)という件などが熱の籠もるのを戒めたものと窺える。
 
では灸の瀉法とはどういうものであろうか。瀉とは取り去るということであるから、何か身体に余っていたり偏っている気の力を灸の熱を使って取り除くということになる。
 
灸というものは元来熱であり補的な作用をモットーとするから、その作用でもって瀉的な効果を出すには、これは病状に対するかなり高度な判断と技術が必要である。
 
蚊に刺された所へ灸をしたり帯状疱疹の一つ一つの丘疹に灸をして功を奏するのは、表面に現れた狭い面積の実症状に対して熱を補うことになるが、それが丘疹などに寵っている熱気を発散させることになると理解できる。
 
全身が発熱したときにも灸が有効であるが、こうなると何処にどれだけどのような灸をするかについて病態把握が非常に重要になってくる。ここでは残念ながら紙面が足りない。
 
『養生訓』では唯一、はれ物に灸をする件がある。
 
意訳すれば「癰疽(ようそ)やいろいろな腫物の初期に早く灸をすれば腫れがひどくならず消滅する。たとえ膿んでも毒性は軽くて済み早く治りやすい。ただし項(うなじ)より上に発した場合には、直接その患部に灸をしてはいけない。気の海とされる足の三里に灸するのがよい。またどんな腫物でも発症して七日を過ぎたものは、素人は灸をしてはいけない。専門家に相談すべきである。」(53節)
 
これは瀉法の例である。