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触診について(2)

積聚会名誉会長 小林詔司

『積聚会通信』No.4 1998年1月号 掲載

日本鍼灸の大きな特徴として、患者さんの身体に直接触れて診断し鍼や灸をするということが挙げられる。しかしこの身体に直接触れて身体の状況を判断できるようになるには人によりかなり時聞がかかる。

身体に触れるとは押手の指と掌を使う切診のことであるが、どのように切診をするかは身体の部位によっても、その状態によってもあるいは術者の考えによっても異なってくる。

身体から出る熱気のようなものを感じ取ろうとすれば手掌を直接肌には触れないだろうし、筋肉の状態を診断の重要な部分とするのであればかなり強く皮膚を押圧することになる。要は切診で何を診ようとしているかが大切なことである。

さて『難経』の5難は脈診をするときの指の力の入れ加減について述べている。指の圧が三叔(菽=しゅく)で肺を診る強さとし、以下最も深い(十五叔の)腎まで順に挙げている。

叔とは大豆と一般に理解されているが、字義通りに解釈すれば大豆1箇の重さは約50mg、三箇で約1.5g、15箇で約7.5gとなる。しかしこのような理解の仕方は、余りにも具体的で実際的でなく明らかに非現実的である。また脈を寸口部としてもそのどの部位でどの指を使ったときかなどはっきりしない。おそらく言わんとするところは指の力の入れ加減で身体から汲み取れる要素が違う、その違いは肺~腎という言葉で表現する、ということに違いない。

ところで腹診についてはどうであろうか。腹診において指の沈め方に触れているのは55難である。ここでは陰と陽という言葉を使い、直接に指の押圧の程度に触れているものではないものの、積聚に言及し病の位置と程度を表現する。

病の深さを表現するのに陰陽という言葉を用いているのであれば、陰とは陰の気、陽とは陽の気の意味であるから、これは気の深さや状態を表現していると理解することができる。

腹診において積聚(広義に理解すればすべての腹部症状である)を診るのにいきなり強い力を加えることはしない。人の状態はまちまちで、触れるか触れないかでも痛みを訴えれば、十分に深く指を押しても何も感じないこともある。

背部の兪穴や手足の穴などを取穴する場合はどうだろうか。これもやたらごりごりと強く皮膚を圧迫しても穴が分かるものでもない。

切診をするときに大切なことは基本的には2つあるようだ。一つは患者さんがおかしいと感じている場所に的確に術者の指が当たっていること、つまり触れて欲しいと思っているところに術者の指が行くこと、もうーつは術者の指の触れ方に違和感がなく不愉快でないことである。

最初の点についてはまず術者の方でおかしいと感じる所を察知してから患者さんに確認するということを繰り返し、自分流におかしい皮膚の感触というものを指に覚えさせるとよい。

2つ目は、圧迫される身になるということが大切で、指で圧を加えながら患者さんの身体に聞くという気持ちが重要である。そうすればいきなり強い力で皮膚を圧迫するということはなくなるはずであろうし、またただ優しいだけの切診もなくなるはずである。

身体に触れるということは、術者の気持ち一つで医学的な接し方にもなるし別の意味を相手に与えることにもなる。医学的なものは切診断というが、そうでないものはお触りになってしまう。これも術者の意識如何なのである。