コンプレックス・劣等感について~『壁の男』貫井徳郎~

ほっておくと麻雀記事ばかりになりそうなので、小説について書こう。

小説をよく読む人たちは、お薦めの小説かを聞かれたときに誰と答えているのだろうか?それが、本当に好きであるにも関わらず、超有名な小説家である場合、すこし言いづらくないだろうか。

村上春樹、東野圭吾などと言いたい場合、『にわか』とは違うアピールが必要なため、何か気の毒な気がする。

自分の場合、お薦めの作者は貫井徳郎を挙げることが多い。ミステリーを相当読む人には知られていることが多いが、かけだしレベルの人には穴場、みたいな存在なのである。

本記事を読んで、貫井徳郎?(ぬくいとくろう)の『慟哭』を読んでほしい。まずはこの一冊からだ。他の作品ではダメ。これを読んだ後、きっと次の貫井徳郎作品が読みたくなるはず。

で、そんな、慟哭を読んでから早15年が経ち、今回読んだのは『壁の男』だった。

あらすじは前回と同じコピペ。ネタバレも少しだけあるので、気になる人は是非本を読んでからにしてください。


ある北関東の小さな集落で、家々の壁に描かれた、子供の落書きのような奇妙な絵。その、決して上手ではないが、鮮やかで力強い絵を描き続けている寡黙な男、伊苅(いかり)に、ノンフィクションライターの「私」は取材を試みるが…。

という内容。

作中に出てくるある男の子は母が優れた美術的センスを持ちながら(個人で授賞するほどの)、自分の美術センスは平均以下で、そのことに大きな劣等感を抱く。あのお母さんの子供だから、と期待を勝手に持たれながら落胆されるという屈辱。極めつけは美術の道に進みたいという自分の同級生を母が教えることとなる。自分に才能があればどれだけ母も喜んだだろうかと思い悩む。

また、その父(優れた美術的センスを持つ女性の夫)も特別な才能はなく、社会的な地位が高いわけでもない自分と妻を比べてしまい、激しいコンプレックスを抱くのだ。

人間生きていれば大多数の人は劣等感を抱く瞬間はあるし、身近な人がその感情に悩まされているといったこともあるだろう。顔であったり、背の高さ、低さ、太い、細い、学歴、家柄、収入、自分の所属する会社の規模や知名度や地位などなど。

それらの項目があきらかに平均以上であっても、満たされない場合があるのが面白いところ。最近、といってもけっこう経つが、某女優と付き合ったり別れたり、社長を辞めたり、お金をばらまいてみたり、と世間を賑わせた大金持ちがいたが、まさにそれなのだろう。満たされずに求め続けるその姿は強烈なコンプレックスの裏返しだと考えている。

現実世界でも劣等感で苦しんでいる人は多いが、それをバネにしてよい薬とするのか、そのまま溺れてしまうのか、その差はかなり大きい。そして、やはり、コンプレックスに囚われ続ける姿は美しくない。そんなことに気づかされた一冊。


貫井徳郎はこういった、負の感情や不幸な場面の描写に優れている。落ち込んでいるときにはお薦めしないが、心に余裕のあるときの読書としていかがだろうか。



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