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home sweet home

「行かないで」

大学生の頃の話。

当時、全然家に帰らなかったんだよね。

ディジュリドゥっていう楽器を始めて自分の団体を作った頃で、それはもうゴリゴリに遊んでた。

一緒に住んでるのにもかかわらず、母ちゃんとは顔を合わす機会がどんどん減っていってた。母ちゃんはきっとどんどん悲しくなってたのに、それを言わなかった。

2002年2月21日。

その日も朝帰って来て夕方まで寝て、3時ぐらいに「じゃ行ってくるわ」つって、別に大した用事もない、バイトがあるわけでもないし、何もないんだけど、とにかくやることないから町田に出かけようとしてた。とりあえず「町田に行ってくる」っていう、当時それしかなくて。

その日、玄関口で、生まれて初めて母ちゃんに

「行かないで」

って言われたの。

びっくりして「え?」と思って振り向いて、一瞬止まったんだけど「いや行くし」って言ったの。「なに言ってんの、行くし」つって家出たんだよね。

そしたらもう、それが最後。

その家に母ちゃんが帰ってくることはなかった。

町田で朝方まで遊んで、22日の昼間起きて、下に行って「おはよう〜」って言ったらもう誰もいなくて、手紙だけが置いてあった。家族全員分。

さよならの手紙っていうか、これから私にはすごいえぐい闘病生活が始まりますっていう覚悟を決めた手紙だったんだけど、自分の手紙には2行しか書いてなくて。

「体調が悪いので入院します。お見舞いには来ないでね。」

前日のその「行かないで」っていう言葉がまず最初に出てきて、その後はそれはもうすごい色んなことがぶわーって溢れ出てきた。


なんで行ったんだろう

もうただただ泣いてた。

手紙を開いて、1人で喋ってたのを覚えてる。多分パニクってたんだろうけど、「え?なになに?」とかって1人で。

手紙には病院の名前すら書いてなかったから、母ちゃんの部屋行っていろいろ漁って、同じ病院の領収書がいっぱい出てきた。

それから、妹の席に置いてある手紙を持って、妹を迎えに行った。

妹の高校行って、帰り道にある坂の下でずっと待って、妹見つけて。「おつかれー」「え、どうしたの?」「いや、ちょっと出掛けようよ」とか言って。電車乗ってしばらく話をしてから、「手紙が置いてあったんだよ」って言って渡した。

妹はもうすぐに泣き始めちゃって、「まあまあ、大丈夫だから」ってそれをなだめながら、2人で病院に行って。兄貴と親父にも知らせた。

それから、母ちゃんの闘病生活が始まった。母ちゃんが玄関口で見送ってくれることはもうなかった。

2月21日の夕方、なんで俺その時行ったんだろうみたいのがずっと残ってる。

「行ってきまーす」って言って、玄関で「じゃあね」って言って鍵閉めるから、母ちゃんが見送りというか、いつもいたんだよね、そこには。

で、そんときもいた。

靴ひも結んでて、ぱって立った瞬間に「ほんとに行くの?」みたいなこと母ちゃんが言った。

「ん?」って聞き返したら、「行かないでよ」ってたたみかけるように。

すごく違和感があって、でもその違和感が何を示してるのかわかんなかったから「えー?行くし」とかっつって、出てったんだよね。


癌を隠してた母ちゃん

母ちゃんは癌にかかってることを完全に隠してたし、隠せてた。

その日まで、家族も全員知らなかった。

0と1。気づかなかったこと自体に自分でもびっくりした。

みんな気づいてない。でも、思い返すとすごいいっぱいあるわけ。

その何ヶ月か前に一緒に飯を食いに行った時に、パスタ屋入って母ちゃんも俺もパスタとサラダのセットを頼んだ。

母ちゃんはあんま食わなかったんだよね。

「食わないの?」つったら「今ダイエット中なんだよね」つってパスタを俺に渡した。で、母ちゃんはサラダを少しだけ食べて、それも多分残してた。

そんなにダイエットとかする必要あんの?みたいに思ったんだけど、それはダイエットじゃなくて、もう食えなかったんだよね、飯を。

喉を通らないくらい辛い、そんな状態なのにパスタ頼むんだよ。心配かけないように。で、食おうとして食えないっていう。

人ってなんでそういうことで気づかないんだろうなって思うよね。

気づけなかった自分に対していまだに後悔というか、もう一生取り戻せないし。

母ちゃんが食わないのを聞いて、「まじ?やったあ」って母ちゃんのパスタ食う。それだけ。1ミリたりとも引っかかっていなかった。

思い出したときに、「あ・・」つって。


「言えないわ」

親って究極的なところになるまで言わないし、子どもに対して弱いところを見せないし、困ってることとか悩んでることとか見せない。

でも、本当は子どもが思ってる程そんなに色んな事が上手くいってる訳じゃないし、困ることとか、愚痴りたいことだってあるんだけど、それを家族が聞く姿勢とか、余裕がないと、親も言えないんだよね。

当時の俺には余裕なんてなかった。ただただ楽しいことを追い求めて、ひたすら外に出るっていうことしかなかったし、まさか母ちゃんが癌だなんて思ってもいない。

その時の自分と、いま若い人がめちゃくちゃバリバリ仕事をして家に帰らない状態ってすごい似てると思ってて。

「この子がこんなにバリバリ働いて、こんな良い時に、私はこんなこと言えないわ」とか母ちゃんは思っちゃう。体調ちょっと崩しても「言えないわ」、何かが大変でも「言えないわ」。言わないんだよね。

だから、息子、娘たちが余裕を持って、それを表現しながら、親に「どう、最近?何かあったら言ってね」の一言でも良いし、それを言わなくても、実家に帰るっていう行動で示せれば、それが安心に繋がって親も言えると思うの。

それだけで、極端な話、病気の早期発見だったり、もしかしたら精神的なギリギリのラインから救ってあげられるかもしれないと思ってて。

母ちゃん本人の状態ってあんまり関係ないんだよね。

周りの状態がどうであるかによって、本人がどうアウトプットするか、そもそもしないかが変わってくるから。周りに余裕がないと。

母ちゃんが亡くなったのは2002年だったんだけど、その2年も前から、母ちゃんはひとりで癌だってことをわかって、ずっとひとりで闘ってた。

てことはその2年間あったわけじゃん。時間が。

例えばだけど、俺にもし余裕があって、2年間のもっと早い段階で、母ちゃんのことに気づけたりとか、「最近どう?」とか話せるような空気を俺が作れてさえいれば、もしかしたら、早めに「実は最近体調悪いんだよね」って言えたかもしれなくて。

それを聞いていたら、もしかしたら「じゃあちょっと病院行こうぜ」って無理矢理にでも連れて行って、「腫瘍がありますよ」ってなって、「ごめんなさい、ほんとは知ってました」みたいなことになって、「じゃあもう、すぐ治療しようよ!」ってなって、自分も生活スタイルを変えて、家族とも相談して、ってなって。。

そういう無限に変化する可能性があったんだけど。

その可能性を自ら閉ざしてたのは、自分。自分だったんだよ。


家に帰れ

よく聞くんだよね。

27、8ぐらいから39ぐらいまでのとにかくバリバリ働いてる人たちに「実家帰ってんの?」って。そうすると「年1回ぐらいかな」みたいな。

切なすぎる。もっと帰れよ。

親はいつ死ぬかわかんない。今もう自分らの親って60代とかじゃん。日本は長生きとか言われてるけど、若者より死ぬ可能性は全然高いし。

一年に一回帰ってて、正月と正月の間に親が死ぬ。

なんか、悲しくない?

親御さんもほんとは悲しい。言わないけど。

親って悲しいとき言わないんだよね。なんなんだ、腹立つわ、あれ。

実家に帰れなんて言う人、周りにいないじゃん。まず上司が休めなんて言わないし。周りの奴らは働く美学みたいなことばっか語ってさ、「とりあえず寝てないっす今日も」みたいな。

ショボ。

自分もサラリーマン時代それが普通だと思ってたしそれが美学だと思ってたんだけど、でもそれって24、5歳ぐらいまでの話で、会社でもある程度の年数働いてる人たちが、未だにそんな事を言っているのは、なんか馬鹿なんじゃないかな。

自分が大切だって思う人には「家に帰れ」って強く言ってる。言ってその人に行動を起こさせるようにしてる。すぐ行動を起こさせないと何も変わらない。

僕はそれですごい悲しい思いをしたし、昔の自分、だれも言ってくれなくて気づけなかった自分を見てるみたいで「言わなきゃ」みたいな。

家族の死とかについて、すごく強く人に言う人ってあんまりいない。やっぱり自分も傷つくことだから。俺も、人に言う度に自分の後悔がよみがえるし。

けど、自分自身すごい後悔が強いから、もう取り戻せないっていう闇が深いから、なおさら強く言うんだよね。

本来は、多分すげー当たり前のことなんだよね。当たり前のことを俺も守れなかったし、今も100%は守れてないから、自分にも言い聞かせてる。

プロジェクト立ち上げるときとかさ、うおー!おらー!とかなって、ついつい言っちゃうじゃん、「深夜何時になっても関係ねーや!!」みたいなことを。

けどそういうときに「違う違う」「帰んなきゃ」って。

うちのNPOで雇う時も「家族よりも仕事優先したらしたらクビ」っていうことを最初に言う。その分、子どもが熱出したとかでめちゃくちゃ休む。笑。

でも、それで多少売り上げが下がるとか、法人の事業が何かとか別にいいじゃんて思う。経営としてはほんとは良くないんだけどね。そんなの経営者としてだめだって思われるかもしれないけど、それすらも良いと思ってて。

大事なとこはそこじゃない。

病気とか疾患とか死とかって、いざ来るまで気付かない。だからこそ、いざとなる前に、近くにいる人のことを理解して、受け入れられる余裕を持っておきたい。

それが、僕の想いというか、心の奥底にずっとへばりついてるものなんだよね。

ヤーマン!!

(了)

---『another life. × 岡勇樹 〜私ガ社会問題デス(仮)〜』マガジンにて連載してまいります。次回にもぜひご期待くださいませ---

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日本の医療福祉を変革する若手として注目を集める、NPO法人「Ubdobe」代表の岡勇樹の自伝プロジェクト。 インタビュー連載、トークイベントなど、様々なコンテンツをお届け。