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VR流れ藻(17):SANRIO Virtual Festival 2023 (1)

 2023年1月21日・22日、SANRIO Virtual Festival 2023が開催された。
 正確に言えば前週から一部の催し(バーチャルパレード等)は公開されていた。コンテンツは有料範囲(B2・B3)と無料範囲(B4・B5・その他)に大きく分かれるが、無料範囲といえど(いや、あるいはむしろ無料範囲ゆえかもしれない)、驚異と言っていいほどに見ごたえのあるイベントだった。そしてその熱にあてられたままこれを書いている。

 イベントやその前後での個人的な体験や思うところはいろいろあるのだが、それは後に措き、ここでは無料範囲で筆者が体験した各コンテンツの感想を述べる。ちょっと細かすぎて見た人にしかわからない部分もあるかもしれない。もっと写真があればいいのだが、見ていると撮っている暇なんてほとんどないのである。ご容赦いただきたい。
 なお、まだ1/28、1/29にタイムシフトで観られるそうなので、観られる環境と興味のある向きにはぜひ観られることをお薦めする。またそのため以下には多くのネタバレが含まれることを一応警告しておく。

サンリオバーチャルパレード ミュージカルトレジャーハント

 先行して公開されていたコンテンツ。ミュージカル仕立てでキティちゃんらサンリオの面々が喋って歌って踊る。明るく楽しく、冒険があり暗転があり、そして明るい解決があり、ああなるほど、こういうのってこういう形式だよね、という感じのよさがあって素直に楽しいし、演出から舞台の細部に至るまで大変出来が良い。終わった後ではるか遠景にある神殿(と言っていいのかだろうか、キティちゃんの像が立っていたりする)の中まで入れてしまう。妙に居心地がよくて、見終わった人々がそのままそこで長い間歓談していたのが印象的だった。
 無料枠での客引きとして考えるなら正直これだけでも十分すぎると思う。先に書いてしまうと他の無料枠があまりにも充実しすぎていて、せめて少額でも取ったらいいのではと思うのだけれど、そこはいろいろな判断が働いているのだろう。サンリオさん太っ腹すぎて足を向けて眠れない(などと言いつつ本当はALT3のステージ上で堂々寝ていたのだが、それはまた別の話)。

サンリオキャラクターズ Special Live

※シナモンの後ろ姿です

 サンリオのキャラがそれぞれ歌って踊る。凝った演出はあまりなく至ってシンプルであり、シンプルに愛らしい。さすがにソロで舞台に立つとちょっと空間的にさみしいところはあるのだけど、これはこれでキャラクターをしっかり見せるためにはいいのかもしれない。
 こぎみゅんだけ全然知らなかった。シナモンかわいい。くるりと回ったポムポムプリンのお尻の*が気になる。なんでそこだけ書き込みがあるのか。そしてみんなかわいいお歌がある。あんまり接することがないのでちょっと新鮮。パレードもだけど、キャラクターに親しんでもらうための宣伝としては有効だったのではないかと思う。

TORIENA

 開幕、スクリーンに表示されたタイトルロゴが刹那、ぬうっと空間に浮き上がり、ぐねぐねと押しつぶされていく。もうこの描写だけでこれはVRライブなんだからお前ら覚悟しろという感じがあってわくわくする。
 ご本人が光とともに神々しく舞台に降臨したかと思うと、いきなり巨大な分身が舞台に大穴を開けて登場し踊りまくる。破片が降り注ぎ、生肉が立ち上がってうねうねと踊る。かと思うと分身が増える。楽曲によく合った破壊的で混沌とした雰囲気に圧倒され、自分たちが一体何に巻き込まれているのかわからない。

 と思っていたら2曲目は一転、穏やかなモノクロームの鉛筆画のような風景が展開する。ちょっと物憂いような楽曲の雰囲気にとても合っていて聞き入ってしまう。
 個々のオブジェクトの動きがとても良い。最初に浮き上がってくる教室の机とか、上からゆっくりと降ってくる椅子であるとか。特に、終盤で軽やかな音色とともに回転しながら椅子の列が飛び出してくるシーンがあったのだが、そのなめらかな動きと音色にどういうわけか突出した気持ちよさがあって深く印象に残っている。他も含めた全コンテンツを通して一番気持ちよかったポイントかもしれない。
 展開の緩急、量的にも質的にも変化する空間の処理など、非常にバランスよく練りこまれているように感じた。巨大な分身が無表情だったりするあたりはちょっとそっけないような気もするのだけど、意図的なものなのかもしれない。とても素晴らしかったと思う。

team:beyond_a_bit with EstyOctober

 白眉。
 「星と生物についての旅」という触れ込みであった。EstyOctober氏のWorldはどこか生物的な、澄んだ光の美しさに満ちている。そうした奇妙な存在がしずかに闊歩する『カンパニュラの足音』などはとても好きで、わたしも時々思い出してはインスタンスを立てる。だからこそこの作品はぜひ見たいと思っていた。
 舞台には大きな宝箱がひとつ。鍵が現れてゆっくりと舞い降り、そっと箱の錠を開く。箱の底から透き通った、深海の生き物のように繊細な花がただひとつ、優美に伸びあがって開く。ふいに、塵と吹かれて消える。そしてまた芽生える。

 舞台の上に咲き始めた花々は、いつしか周囲を取り囲んでいた。その間を鳥、というよりは魚、あるいはエイのようなやはり透き通った何かが、生命をもって飛び渡る。美しく、しかし何が起ころうとしているのかわからない。いつしか木の根のようなものが生じて空間を包み、その中を光が運ばれていく。中天に何か膨らむものがある。それは蕾で、やがて花開き、空間が変転する。足元が崩れ落ち、すべてが宇宙へと投げ出される。

 高速で視界が流れていく。頭上で巨大な光が花開いている。それが根を張る星は半ばひび割れ、砕け、崩壊しようとしている。いくつかの花と星が流れていく。やがてその間から鞭毛をもった単細胞生物のような、ブラックホールのようなものが現れて、観るものを飲み込んでしまう。

 気が付くと、元の宝箱の前に戻っている。そこからふいに一群の草が生え、見る間にどこまでも広がっていく。紫の草の野に丈高く、幾種もの花々が咲いている。振り返ると、壊れかけていた星のひとつがひっそりと半ば地に埋まっている。

 ひどく美しい光景だが、ゆっくりと味わうほどの時間はない。すべてはまた幻のようにあの箱の中へとかき消えてしまう。再びあの鍵が現れて、箱は閉ざされて終わる。

 筋書きとしてはそれだけだ。その体験を言葉であえてなぞろうとして、少しも近づけたような気がしない。それでも書いておくのは、この体験がもしかするとどこにも残らないかもしれないからだ。
 映画館で本当に素晴らしい映画を見終えたとき、ただ言葉を失うことがある。ぐったりと座席に沈み込んで、何も言い表すことができないまま、自分はいったい何を見たのだろうと考える。この作品は映画ではない。時間で言えば10分くらいしかないのではないか。それでもそこには言葉を失うような驚異があったし、ただ立ちすくむような美しい光景があった。
 この作品に言葉はない。何も語られないが、それは生命の播種の物語ではあるのだろう。ひょっとするとそこには、いまこうしてVRの表現世界を切り拓こうという意志が反映されているのかもしれない。VRの世界は概念の世界であり、多様かつ複雑極まる存在である生命を扱うことは難しい。ともすればひどく粗い像や、生気を伴わない安っぽい玩具のような存在になってしまう。しかしここに伸びあがる茎葉のうねり、飛ぶもののはばたきの中には、生命らしいふるまいの美しさがたしかにあった。生命の多様性を持ち込むことは決してできないとしても、生命の美しさそのものを概念へと落とし込むことはできるのだろう。わたしのような生物屋のなれ果てに軽々しくできる芸当だとは思わないが、ただそれを示して見せてくれたことは希望である。
 すばらしい作品を見せてくれたことに心からお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

一通り観てしまい、書き始めてしまった以上、書く気力が続く限りは続く。

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