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ラン科の未記載種オオミヤマウズラおよび「ガクナン」について

はじめに

(※冒頭の写真はミヤマウズラです。オオミヤマウズラではありません)

 ラン科シュスラン属(Goodyera)は小型の地生ランの仲間で、葉に独特の美しい斑紋が入る種が多数あることから、「ジュエルオーキッド」とも呼ばれます。
 世界で約60種、あるいは約100種あるという記述も見られますが、日本国内にはシュスラン、ベニシュスラン、ツユクサシュスラン、ミヤマウズラなど十数種が自生しています。またオオミヤマウズラと呼ばれる未記載種があることが知られています。
 未記載であるというのはつまり、その種について定義した論文などが発表されておらず、分類学的にまだ種として認められていない、新種として知られる以前の状態であるということです。しかしながら、一方ですでに国内の複数のサイトにオオミヤマウズラとされる植物の写真や説明があり、また園芸業者が販売している例もあります。
 いくつか例を見てみましょう。以下は2021/06/19に「オオミヤマウズラ」でGoogle検索した結果を上位から順に並べています。

HiroKen花さんぽ / オオミヤマウズラ - 野山に自然に咲く花のページ
 2019/10/10付けの記事。自生個体の詳細な写真、形態的な説明、詳細な観察など。基本的な情報はレッドデータブックあいち2009を参照している模様。種の発表経緯が書かれているが他サイトからの情報であるとしている。ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種と推定されていると述べ、また学名はYListに従いG. × tamnaensisであるとしている。

四国の野生ラン / オオミヤマウズラ / ガクナン(四国の野生ラン)Goodyera sp.
 2011/09/26付けの記事。自生個体の詳細な写真、形態的な説明など。基本的な情報はレッドデータブックあいち2009を参照している模様。種の発表経緯が書かれており、ミヤマウズラから分離された新種であると述べる。別名ガクナンとする。

レッドデータブックあいち2020 植物編 4.維管束植物(絶滅危惧IB類EN) / オオミヤマウズラ Goodyera tsukamotoi Seriz. - 愛知県
 ※検索ではオオミヤマウズラの項目のみの1ページのpdfが出てくるが、直接リンクは不安定なようなのでレッドデータブックあいち2020のサイトをリンクしておく。該当部分はトップの「レッドデータブックダウンロード」から植物編の「4.維管束植物(絶滅危惧IB類EN)」244ページ(pdfで52ページ目)を参照。
 2020/03/30公開。絶滅のおそれのある種としての評価、愛知県内の分布、形態的な説明、ミヤマウズラとの識別点など。植物の写真や図はない。

花調べ / オオミヤマウズラ
 日付不明。自生個体の詳細な写真、形態的な説明など。種の発表経緯が書かれている。別名ガクナンとする。

花の日記 / ミヤマウズラ オオミヤマウズラ
 2018/09/27付けの記事。ミヤマウズラおよびオオミヤマウズラの自生個体の写真。別名ガクナンとする。

清峰園芸 / 「錦蘭 深山の宝石蘭、オオミヤマウズラ 黄覆輪、{18}{旧名ガクナン}」
 日付不明。園芸業者の商品ページ。「長くミヤマウズラとシュスランの自然交雑種として流通してましたが、2008年植物学会にてガクナン改めオオミヤマウズラ、独立種として正式に命名されました。」との記述がある。

花遊び 山遊び / ガクナン(オオミヤマウズラ)
 2011/09/22付けの記事。自生個体の写真。「ミヤマウズラとシュスランの交雑種と考えられていて、静岡県の岳南地方で最初に発見され名付けられたとのこと」との記述がある。種の発表経緯が書かれている。別名ガクナンとする。

※2021/09/25、珍しく新聞記事が出て上位に上がっていましたので追記。
去りゆく夏にバイバイ、手を振る妖精オオミヤマウズラの白い花愛らしく(高知新聞) 2021/09/25付けの記事。自生個体の花の写真。ミヤマウズラとシュスランの自然交配種とされる、との記述。

 これらのサイトの記述をまとめると、おおむね以下のようになります。

1. ミヤマウズラに似るが全体により大型で、葉には白斑がないか目立たない、花は平開しない、花期は半月以上遅いなどの特徴がある。
2. 日本植物分類学会第7回大会(2008年)において、芹沢俊介氏によって発表された。
3a. オオミヤマウズラはミヤマウズラ(G. schlechtendaliana)とシュスラン(G. velutina)の自然交雑種であると考えられている。
3b. オオミヤマウズラは独立した種である(したがって自然交雑種ではない)。
4a. オオミヤマウズラの別名として「ガクナン」がある。

 1と2はとりあえず問題なさそうに見えますが、種の位置付けについては3aと3bの対立する説明があります。また3および4についてさらに異なる説明をしているサイトもあります(やまくさ手帳 / 国産ジュエルオーキッド [全種名リスト])。記述をまとめますと、
3c. オオミヤマウズラは「ミヤマウズラの一型,若しくは品種」である(したがって自然交雑種ではない)。
4b. 「ガクナン」はオオミヤマウズラとは別種であり、ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種である。

 さらに学名について複数の表記があります。
5a. 発表後、未記載のままとなっている。従って学名はなくG. sp.(=シュスラン属の一種)表記である。
5b. 学名はG. × tamnaensis
5c. 学名はG. tsukamotoi

 基本的な特徴についての認識は共通しているようですが、学名や分類学的な位置付け、別名ガクナンの扱いについては複数の説があります。
 そこで、本稿ではこれらの記述を可能な限り検証し、未記載種オオミヤマウズラに関する情報を整理します。ただし、これは文献資料などに基づく個人的な調査です。標本などは扱っておらず、学術的なものではありません。どちらかというとネット上の真偽不明な情報の検証記事に近いものです。

 詳細はかなり長くなりますので、結論だけ必要な方は最後の「結論」を参照してください。

(※学名については本来イタリック体で表記するところですが、noteの記述上イタリック体の指定が容易ではないようですのでボールド体で代用します。ご容赦ください。)

日本植物分類学会における発表

 複数のサイトに「日本植物分類学会第7回大会(2008年)において、芹沢俊介氏によって発表された」という記述があります。そもそもこれは本当でしょうか。
 まず発表が実際にあったのかを確認します。日本植物分類学会のこのページに、各年の大会の「プログラム/要旨集」が並んでいます。
 2008年/第7回のpdfファイル内を「オオミヤマウズラ」で検索すると、「P-32 芹沢俊介(愛知教育大・生物) 東海地方の湧水湿地に生育するラン科の新種オオミヤマウズラ」の記述があり、たしかに発表(ポスター発表)があったようだとわかります。
 しかしながらここには要旨は含まれておらず、表題以外の具体的な内容はわかりません。学会サイト内の記述を見る限り、大会の要旨集はオンライン公開はされていないようです。そのため、「日本植物分類学会大会発表要旨集」の内容を別途確認しました。以下に主要な部分を引用します(A4半ぺージの程度の内容ですが、適宜中略します)。

P-32「東海地方の湧水湿地に生育するラン科の1新種オオミヤマウズラ」
芹沢俊介(愛知教育大・生物) Shunsuke Serizawa
 東海地方丘陵地の湧水湿地には、ミヤマウズラに似ているがそれとは異なるラン科植物が生育している。この植物はミヤマウズラに比べて全体に大型で、高さ30~40cmになる。葉身も大きくて長さ5~7㎝になる。色はアオミヤマウズラ型のものが多いが、普通のミヤマウズラのような網状白斑のあるものもある。開花期は9月中~下旬で、同所に生育するミヤマウズラに比べて半月程度遅い。花はミヤマウズラに比べて大型で、半開するだけでミヤマウズラのように平開せず、またミヤマウズラよりずっとまばらに、10~20㎜間隔でつく。生育地は(中略)
 ミヤマウズラは、(中略)、この植物との混生地もある。しかし、そのような場所でも両者の形態的な差異は明確で、中間型は全く見られない。相互に隔離されていることは明らかで、種の階級で異なるものと判断される。
 (中略)最近どういうわけか激減しており、ほとんど絶滅状態になってしまった場所もある。そのため、ヒメボントクタデのような定量的検討は困難である。しかし、名無しのままでは保全上都合が悪いので、とりあえずオオミヤマウズラと命名しておく。

(日本植物分類学会 (2008) 日本植物分類学会大会発表要旨集, 第7回, 2008年)

 上記の通り、オオミヤマウズラの特徴およびミヤマウズラとの差異が述べられています。これらは各サイトの写真や形態的記述とほぼ一致します。また、「(ミヤマウズラとの)形態的な差異は明確で、中間型は全く見られない」「種の階級で異なる」としています。またここでは自然交雑種であるということは一切書かれていません。あくまで独立した種である(新種として扱う)という見解です。

種の特徴などの出典について

 形態など種の特徴に関する情報については、いくつかのサイトが「レッドデータブックあいち2009」を出典としています。レッドデータブックあいち2009については、すでにサイトの内容がレッドデータブックあいち2020に置き換わっており、2009年版のデータは現在参照できないようです(出版されているはずなので図書館などで探せば中身は確認できるかもしれませんが)。
 「レッドデータブックあいち2020」については、すでに「はじめに」の検索結果の部分で少しだけ触れました。2020にも形態、識別点、分布、標本などのかなり詳細な記述があります。それもそのはずで、レッドデータブックあいち2020のサイトには調査に関わる愛知県絶滅危惧種等調査検討会の委員としてオオミヤマウズラを発表した芹沢氏の名前があります。前述のいくつかのサイトは、このこともあってレッドデータブックあいち2009を信頼できる情報源として参照していたのかもしれません。
 ただし、記述にはひとつだけ気になる点があります。「評価理由」の部分には「未記載のラン科植物」と書かれていますが、一方でG. tsukamotoi Seriz.という学名が書かれています。未記載ですので学名はないはずですが、にもかかわらず学名が表記されています(本書には他にもいくつか未記載種の掲載がありますが、それらはすべてsp.表記になっており、これだけが異なります)。この学名で論文等を検索してみても、レッドデータブックあいち2020以外に該当するものはありません。「未記載」と明記されているのだから当然とも言えます。
 この学名についてはSeriz.となっていることもあり、芹沢氏が命名予定の学名を先に掲載したもののようです。現時点では記載がされていない不確定な名前であり、いわゆる裸名ということになるのでしょうか。裸名の利用に関してはあまり知識がないので何とも言えないのですが、不確定である以上、現時点ではあくまで未記載種、つまりG. sp.表記として扱ったほうが間違いがないように思われます。

自然交雑種説

 芹沢氏の学会発表では独立した種であるという見解でした。その後のレッドデータブックあいち2020でも学名の表記は交雑種扱いではありません(G. × abcd のような表記ではない)。では、自然交雑種であるとする説はどこに由来するのでしょうか。
 これに関する資料としては『高尾山花と木の図鑑』があります。

ガクナン(ラン科)
ミヤマウズラの葉より肉が厚くてかたく、シュスランに似る。花や葉の様子から両種の自然交雑種と考えられている。和名は岳南で、富岳(富士山)の南側、静岡県で最初に気づかれたことによる。95.9.25

(菱山忠三郎 (2001) 高尾山花と木の図鑑, 93.)

 2001年の書籍(2008年の学会発表以前)であり表記はガクナンですが、掲載されているカラー写真はオオミヤマウズラであるように見えます(ミヤマウズラに似るが花が平開しない、葉は白紋が目立たない等の特徴が見られる)。ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種説に関する資料はこれ以外見つけられなかったのですが、先行する言及が他にもどこかにあるのかもしれません。
 この資料については神奈川県植物誌調査会『FLORA KANAGAWA』71号(2010年)「ガクナンというランを見た」が引用していたことで知りました。ここでは植物調査会のメンバーらがガクナン(特徴の描写や『高尾山~』に言及していることからオオミヤマウズラと思われる)を見て、「「ミヤマウズラとシュスランの中間的な形態だな」と話し合っていた」という記述があります。『高尾山~』に掲載された自然交雑種説の根拠や由来は不明ですが、各サイトの写真を見ているとたしかにシュスランを思わせるような葉の個体もあり、形態観察から導き出される推測としてある程度の妥当性はあるのかもしれません。
 ともあれ、自然交雑種説に触れている書籍があるということはたしかです。

 ※『高尾山花と木の図鑑』は1990年版もあるのですが内容は未確認です。また後に2017年版が出ていますが、ガクナンの説明は2001年版から少し語尾が変わっている程度で記述内容はほぼ同一です。掲載写真も同一ですが、文末の写真日付はなぜか「9月29日」に変わっています。

G. × tamnanensis

 オオミヤマウズラの学名にG. × tamnaensisをあてているサイトがあることにはすでに触れました。「Goodyera tamnaensis」で検索すると、前述のサイト以外に論文が数本見つかります。

A New Taxon of Goodyera (Orchidaceae): G. x tamnaensis
 2010年に出た、4ページの短い論文です。内容としては、韓国の済州島で採集された個体をもとに、G. × tamnaensisという新種を記載しています。「×」付きであることからわかるようにこれは自然交雑種で、親はミヤマウズラ(G. shlechtendaliana)とシュスラン(G. velutina)です。
 自然交雑種説に従うなら、両親の組み合わせが一致するG. × tamnaensisが記載されたため、これがオオミヤマウズラの学名となり、別途改めて記載する必要はない、ということになります。とはいえ韓国の論文ですし、当然ながら和名オオミヤマウズラについての言及は何もありません。
 記載文には葉は長さ2.0~4.0㎝、幅1.0~2.3㎝と書かれており、オオミヤマウズラの長さ4.0~6.5㎝、幅2.0~2.5cmという記述(RDBあいち2020)よりもかなり小さいようです。他にもいろいろと特徴が書かれていますが、Fig.3のモノクロの写真だとやはり小柄なように見え、また葉には白い模様が目立ちます。

 もう一本、別の論文を見てみましょう。
First record of Goodyera × tamnaensis (Orchidaceae) from Boso Peninsula, Chiba Prefecture, Japan, based on morphological and molecular data
 2021年の日本の論文です。神戸大の末次健司氏らによるもので、千葉県の房総半島で見つかった形態的にミヤマウズラとシュスランの自然交雑種、つまりG. × tamnaensisではないかと推定されるものを形態的・分子遺伝学的に分析し、その結果、やはりこれはG. × tamnaensisであると結論した、というものです。
 この論文にはG. × tamnaensisとミヤマウズラ、シュスランを比較したカラー写真が掲載されていますが、こちらのG. × tamnaensisはなるほど両者の中間的な形態をしています。花の外見、茎の赤味や葉の色艶、主脈などにシュスランの影響が感じられ、オオミヤマウズラとは異なるものであるように見えます。
 つまり、おそらくオオミヤマウズラはG. × tamnaensisではない、そしてオオミヤマウズラとは別種のG. × tamnaensisが千葉県に自生しているということになります。

千葉県産ガクナン

 ここで「ガクナン」に関して、園芸系の興味深い記事があります。

草のゆりかご ――つるかめ山草園―― / 新説 ガクナン
草のゆりかご ――つるかめ山草園―― / 再びガクナン

 内容を整理しますと、まずオオミヤマウズラ、つまり元々ガクナンと呼ばれていた種についての記述はこれまで見てきた内容とほぼ同様です。ただし自然交雑種説については、発見当時はそのような話はなく、どこでそういう話になったかはわからないとしています。
 一方、千葉県で「ガクナン」と呼ばれる、あるいは「千葉県産ガクナン」として園芸的に流通する別種らしきものがあり、それらはミヤマウズラとシュスランの混生地に由来するため、両者の自然交雑種と推定されているとしています。先ほどの論文と照らしわせると、この「千葉県産ガクナン」はG. × tamnaensisである可能性が高いと考えられます。
 これはつまり、単に「ガクナン」という名を使った場合、オオミヤマウズラとG. × tamnaensisのどちらを指しているのかよくわからない状況に陥っている、ということです。
 なぜこのような混乱が起きてしまったのでしょうか。詳しい経緯は不明ですが、次のように考えることはできます。

1. ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種と推測される千葉県産の不明種がある。
2. ガクナン(=オオミヤマウズラ)はミヤマウズラとシュスランの自然交雑種である(という説がある)。
3. したがって、千葉県産の不明種は「ガクナン」である。

 簡単な三段論法ですが、前提が誤っていたということです。
 なお、オオミヤマウズラとG. × tamnaensisの発見の順序を逆にして考えてみることもできます。

1. ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種と推測される「ガクナン」(G. × tamnaensis)が千葉県にある。
2. 不明種(=オオミヤマウズラ)について、ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種である(という説がある)。
3. したがって、この不明種(=オオミヤマウズラ)は「ガクナン」である。

 こちらも一応成立します。ただし、「ガクナン」という名前が発見地である岳南地域に由来しているとされる一方で、G. × tamnaensisは岳南地域には知られていないようである現状を考えると、先にG. × tamnaensisに「ガクナン」という名前が付いていたという可能性は低いでしょう。先の記事にはガクナンの名前の由来として「分類が学者でも難しい=学難」説も紹介されていますが、これはさすがに不自然な印象が拭えません。

 この混乱への対処としては、「ガクナン」という名前の使用を避けることが考えられます。その場合、オオミヤマウズラは「オオミヤマウズラ」として扱えばよいのですが、問題はG. × tamnaensisに別の和名がないことです。「千葉県産ガクナン」という産地込みの名前で扱うのもひとつの手かもしれませんが、それでは事情を知らない人を混乱させるでしょう。今後G. × tamnaensisに別の和名がつけば扱いやすくなるのでしょうが、それまでは和名ではなく「G. × tamnaensis」という学名で扱うのが誤解のない方法ではあるでしょう。

YListの「オオミヤマウズラ」

 以上ですでにこの記事の結論は出ているのですが、もうひとつだけ述べておきます。YListがオオミヤマウズラの学名をG. × tamnaensisとしている件です。このYListの記述を引用しているサイトがあることには最初に触れました。
 YListの詳しい位置付けについてはサイトトップの説明を参照してもらうとよいのですが、基本的には日本産植物の和名と学名の対応を示すデータベースです。簡易検索で「オオミヤマウズラ」と入力すると、下記の通り和名に対応する学名などの出力が得られます。

学名: Goodyera × tamnaensis N.S.Lee, K.S.Lee, S.H.Yeau et C.S.Lee
和名:  オオミヤマウズラ
学名ステイタス: 標準
文献情報(原記載文献など): Kor. J. Pl. Taxon. 40: 252, f. 1-3 (2010); C.S.Lee et al. in Syst. Bot. 37: 356-364 (2012); K.Miki, Fl. Kanagawa 2018 1: 320 (2018). ミヤマウズラ×シュスラン
韓国名: 탐나사철란
科名: APG: Orchidaceae(ラン科); クロンキスト: Orchidaceae(ラン科); エングラー: Orchidaceae(ラン科)
データ編集日: 2019.12.05

(米倉浩司・梶田忠 (2003-) 「BG Plants 和名-学名インデックス」(YList),http://ylist.info( 2021年6月17日). )

 オオミヤマウズラの学名をG. × tamnaensisとしています。では、ここに掲載されている文献情報はどうでしょうか。3件あります。

 まず1件目。略記されているのでわかりづらいですが、これはすでに見た韓国済州島からのG. × tamnaensisの記載論文です。
 2件目は、1件目の論文が扱っていた韓国済州島のG. × tamnaensisについて分子遺伝学的分析を行い、実際にミヤマウズラとシュスランの交雑に起源していることを検証した論文のようです(本文は直接参照できないので要旨のみ確認)。
Nuclear and cpDNA Sequences Demonstrate Spontaneous Hybridization Between Goodyera schlechtendaliana Rchb. f. and G. velutina Maxim. (Orchidaceae) in Jeju Island, Korea

 最後の3件目は神奈川県植物誌2018です(ダウンロードページへリンクしますが、本体はサイズが大きいので注意)。オオミヤマウズラに関する記述を引用します。

1)ミヤマウズラ×シュスラン Goodyera ×tamnaensis N.S.Lee, K.S.Lee, S.H.Yeau & C.S.Lee
ミヤマウズラとシュスランの交雑種と推定される.ミヤマウズラに比べ大型で葉の白斑は見られない.花も大きくやや離れてつき平開することはない.花期はミヤマウズラに比して半月以上遅い.2010 年に韓国済州島産のもの
をタイプに記載された.また,未記載だが関東南部~三重県に点在するとされているオオミヤマウズラ Goodyera sp.(愛知県環境調査センター編 2009 レッドデータブックあいち 植物編 ; 愛知県 2015 レッドリストあいち 2015)や,園芸的に栽培されるガクナン(俗称)などがこれに類似または同一の可能性があるが標本は未確認.相模原市緑区城山で採集された(秋山 2010 FK (71): 862-863)

(神奈川県植物誌調査会 (2018) 神奈川県植物誌2018, 336.)

 詳しく見てみましょう。項目名自体は問題ありません(ミヤマウズラ×シュスラン=G. × tamnaensis)。これに対して「2010年に韓国済州島産のものをタイプに記載された」も問題ありません。ですが、特徴の記述はいずれもオオミヤマウズラと一致し、G. × tamnaensisではなさそうです。一方でオオミヤマウズラやガクナンと「類似または同一の可能性がある」として断定を避けた記述になっています。この記述の背景としては、すでに見た同会の「ガクナンというランを見た」の記事があると思われます。

 YListが「ミヤマウズラ×シュスラン」という注記をしているのは、こうした記述の不確実さを考慮してのことかもしれませんが、結局G. × tamnaensisがオオミヤマウズラの学名としては不適当であると考えられるのはすでに見てきた通りです。ただしYList編集日は2019年、神奈川県植物誌は2018年で2021年の末次論文以前ですので、国内のG. × tamnaensisは当時まだ確認されていなかったという事情は踏まえておく必要があるでしょう(オオミヤマウズラを独立した種とする発表後ではあるのですが)。
 なお、YListには「ガクナン」の項目はありません(2021/06/21時点)。

結論

・2021/06/21現在、オオミヤマウズラは未記載である。従って学名はGoodyera. sp.表記となる。
・オオミヤマウズラの種の特徴についてはレッドデータブックあいち2020が参考になる。ただし掲載された学名は裸名なので注意を要する。
・オオミヤマウズラは独立した種であるとされている。別途ミヤマウズラとシュスランの自然交雑種(=G. × tamnaensis)であるとする説があったが、G. × tamnaensisとは別種である。
・オオミヤマウズラの別名として「ガクナン」があるが、「千葉県産ガクナン(= G. × tamnaensis)」と混同されているため、この名前は使用に注意を要する。G. × tamnaensisに適切な和名がない現状においては、それぞれオオミヤマウズラ、G. × tamnaensisとして扱うのが誤解がないと考えられる。

あとがき

 シュスラン属について調べていた際、「そういやたしか未記載種があったけど、あれはもう記載されたのかな」とふと思い出しました。検索していろいろ読んでいるうちに疑問が湧きおこり、自分なりに調べてみた次第です。結果として思ったよりも込み入った内容に素人が言及する形となってしまいました。自然交雑種説の出典や「千葉県産ガクナン」が最初に紹介された園芸雑誌などいくつか気になる点も残っており、誤りなどがあればぜひご指摘いただければと思います(twitter:@ShajinShajin)。
 調べている途中でちょうど出たばかりの末次論文を見たときは驚いたのですが、これを起点にオオミヤマウズラの記載やG. × tamnaensisの和名命名が行われて、まるっと全部解決したりするといいなあ、などとぼんやり思います。レッドリストあいち2015ではG. sp.表記だった学名が2019で変わっていたりもしますし、何かしら進んではいるのかなという気もしますね。

※当然のことながら、本稿の内容の判断はくれぐれも各自の責任で行ってください。例えば本稿で扱った和名・学名の利用をめぐる認識の齟齬により園芸販売上のトラブルが発生したとしても当方は一切関知しません。ご注意ください。

追記(2021/10/17)

 twitterにて、ざきやま氏よりガクナンの初出書籍等の情報を教えていただきました。お礼申し上げます。

 いくつかのツイートがツリーになっていますが要点としては、

・ガクナンは書籍「野生ランおもしろ講座」(1985)で初めて紹介された。この際、すでにミヤマウズラとシュスランの交雑種と見なされていた。

・東京山草会ラン・ユリ部会ニュース198号(1994)にて、千葉県産ガクナンが紹介された。ここでは「野生ランおもしろ講座」のガクナンの記述についても触れており、それとは別物かもしれないが両者の交雑種だとしている。

 ということで、やはり「ガクナン」として紹介されたのはオオミヤマウズラが先であったようです。
 書籍については、もし可能であれば改めて確認してみたいと思います。

追記(2023/05/21)

オオミヤマウズラをめぐってはその後、2022年に大きな動きがありました。

Goodyera crassifoliaの記載

 2022年7月、新たにGoodyera crassifoliaが記載されました。
A New Species of Goodyera (Orchidaceae: Orchidoideae) from Korea and Japan
 韓国の論文ですが、学名はGoodyera crassifolia H.-J.Suh, S.-W.Seo, S.-H. Oh & T.Yukawa ということで、科博の遊川先生の名前が入っているようです。形態的特徴のほか、韓国の南西部の島々と日本に産すること、ミヤマウズラとの混同、ミヤマウズラとの開花期のずれ、染色体数の違いなどが言及されています。

オオミヤマウズラの実態解明に関する論文

 2022年11月、神戸大の末次先生がオオミヤマウズラ = Goodyera crassifolia に関する論文を発表されました。下記ツイートから続けて概略の説明があります。

https://twitter.com/tugutuguk/status/1589912445426241536

 記載論文として用意していたが間に合わなかったということで惜しまれます。何で今頃になってかぶるんでしょうね。
形態、繁殖、遺伝子解析など多面的な検証が行われていますが、やはり交雑種ではなく独立した種であるという結論です。注目すべき点はいろいろありますが、ひとつはオオミヤマウズラは無融合種子形成を行うというところでしょうか。柱頭に変な付属体があるというのも目を引きますね。
 分布については関東、中部、近畿、中国、九州、(と韓国)となっており、当初言われていたよりずっと広くなっています。

 ということで、オオミヤマウズラ = Goodyera crassifolia の実態について、ようやく決着がついたようです。

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