SHADOWTIMES 2012/12/13 Vol.5
《shadowtimes》 Post.3
「船が行く」港千尋
あれは長野県新野の「雪まつり」を見に行った道すがらだった。険しい山道を抜け、川沿いの道に入ってしばらくすると、電信柱にある地名の表示に「海」なる字がある。それは長野と愛知の県境、太平洋から遠く離れて海などもちろん見えはしない。
見たところ住んでいるのかいないのか分からない民家が一軒あるだけの、山の中に「海」。そこはかつて「雪まつり」を見に徒歩で山越えをしたという折口信夫が通ったというところで、不思議な地名は、なおさら記憶に残ったのだった。
きっと似たような地名は、他の地域にも見つかるだろう。たとえば日本海からも太平洋からも遠い山に囲まれた土地に「会津」という地名がある。船が停泊できる港などない盆地で、なぜ海上を行くような地名が現れるのだろう。
山奥へ行けば行くほど、海洋の記憶が強く現れるのだろうか。それとも水の流れが地名を引き寄せるのだろうか。この秋、熊野の海と山のあいだを走りながら、そんなことを考えた。
熊野を訪れたのは、今年から刊行が始まる中上健次全集のためで、表紙用写真の撮影とロケハンをかねた旅だった。南紀白浜から新宮への2日間は天候に恵まれて、太平洋の荒波も紅葉前の山稜も美しかった。
「枯木灘」の作家ゆかりの土地は、多くの写真家が、これまで何度も撮影している。とうぜん同じ経路をとおり、同じ場所を訪れて撮影することになるのだが、それでも初めての場所というのは新鮮でシャッターは自然に切れていってくれた。
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