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SHADOWTIMES 2013/02/07 Vol.13

《Days and Lights》
Post.6「二つの白い嶺」 勝又公仁彦

前回、雷(Lightning)に打たれるような経験を、悟り(エンライトメント)を多少関連づけて書いた。悟りと言えばインド起源の宗教を中心に使われる言葉だが、本誌1号で禅堂の写真を少しご紹介した。また、前回の5号の《shadowrecomendes》でご紹介した佐久間さんには禅僧仙がいの○△□図にインスパイアされた作品シリーズがある。私も大学生の頃にその画を含めた仙がいの書画のポストカードを部屋に貼っていた覚えがある。 

仙がいの作品 出光美術館ウェブサイトより 
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/index.html

“Japanoscape”「2013年1月14日 神奈川県足柄上郡松田町_ IMG_0909」白隠展の車内吊り広告。 

その仙がいと並んで江戸期禅画の双璧とされているのが、白隠である。ちょうど現在、東京渋谷の文化村ザ・ミュージアムにて展覧会が行われているようだ。ようだ、というのはまだその展覧会は観にいっていないためだ。 

「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」@文化村ザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html

その展覧会は観に行っていないが、近年、白隠のいた松蔭寺(しょういんじ)を何回か訪ねている。 そこでちょうど良い機会でもあるので、白隠について少し書いてみたい。展覧会には行かれていても、白隠がその生涯の多くを過ごした地を訪れた読者はまだそれほどいないだろう。

“触知論”「2012年4月18日 静岡県沼津市_ IMG_9490」松蔭寺正面参道にある案内板。白隠の生地が松蔭寺のすぐ近くであることがわかる。

白隠が生まれた原(はら)は東海道の宿場の一つ。現在は沼津市の一部である。私の高校の学区の西端にあたる。当時は白隠の事は知らなかった。同一学区でも最も距離が遠いため数は少ないが、原の中学を卒業して入ってきた同級生も数人いた。一学年300人のうち3、4人といったところだろうか。 

私の通っていた高校は富士山の麓にあり、原は駿河湾に面した海辺の町である。原から来た学生は多少風変わりに見えた。あまり口数は多くないが、先鋭的なことに興味を持っている者が多く、話の合う者もいた。

一方、非常に急激で直截なところがあり、興が乗るといきなり踊り出したり、趣味が合うとなると、前触れもなく家を訪ねてきたりして驚かされたことがある。また向こうは数が少ないせいもあってか、その他大勢の我々山の民に非常な違和感を感じていたようだ。「ヤマの奴らはわからん」と侮蔑の言葉をボソッと呟いた者もあった。

そのように他のエリアから見れば同じ地域と分類される我々だが、気風は全く違っており、そのことがまた彼らを印象深いものにしていた。我々はお互いに小さなマレビトであったのかもしれない。

“Japanoscape”「2012年4月29日 静岡県沼津市_ IMG_2062」沼津市の千本浜の夜景。波打ち際が白く光っているのは夜光虫(海ほたる)。ここ10年ほどは海と山のほたるを求めて、あちこちを尋ね歩いている。 

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