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SHADOWTIMES 2012/10/25 Vol.2

《Days and Lights》Post.1
「沈黙のレッスン」 勝又公仁彦

前回の港さんの「ひと夏のレッスン」を承けて、少し思ったことを。
その前に、このメルマガは今回のように前回の記事に関連して連歌のように続くこともあれば、全く関係ない話題が出てくることもある、ということをご承知願います。

さて、動物に人間がものを教えられる、ということはままあることである。犬の飼い主への忠誠心は駅前で銅像になるほどだし、映画で採り上げられることもしばしばである。果てはハリウッドでリメイクされたりもする。
ある種の鳥や動物の中には生涯一夫一婦制を保ち、裏切りを知らない。最近では、犬が飼い主であるなしに関わらず泣いている人間を慰め、そのことによる何らの見返りも求めないというイギリスの研究が発表された。
逆にチンパンジーの実験では、困っている仲間を見てもその状況を解決出来る道具を自ら渡すことはなかったり、懇願して道具を渡してもらったとしても、そのことにより得られた食べ物を返礼に分けるようなこともなく、独り占めして平らげてしまったりしている。霊長類の同族への無関心と強欲さに寒気を覚えることさえもある。

「“触知論” 2011年2月22日鹿児島県奄美市_IMG_9444_2_2」

しかし、これらは人間の側が言わば勝手にその価値を見いだし、教えられる(反面教師も含め)気持ちになっているだけで、動物の側が積極的に教育しているわけではない。
少数の例外として思い出すのは物語やマンガの中の動物たちである。挙げればきりがないので一つに留めるが、宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」は孤独なセロ(チェロ)弾きのゴーシュの元に夜な夜な様々な動物が訪れ、それぞれにレッスンを施し、主人公が卓越した奏者になっていくという物語である。
実際はこれすらも、動物たちは上の立場からゴーシュを教育する、というわけではなく、むしろゴーシュに音階やリズムを習いに来たり、その音響と振動による癒しの効果を得たいとお願いに来る。その過程でそれとなくゴーシュの間違えや過不足を指摘して逆に生意気だと酷い目に遭わされたりもする。
しかしゴーシュは徐々にその意義に目覚めて動物たちを受け入れ、同時に自然の内に潜む力と美の奥義を知らず知らずのうちに身につける。その自然は外から来たものであると同時に、自らに内在していながら抑圧され忘れさられていたものでもあるといえよう。

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