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SHADOWTIMES 2013/01/24 Vol.10

《Days and Lights》Post.5
「Lightning」 勝又公仁彦

私の興味の一端に、実力や才能がありながら同時代には理解されなかった人や後世での影響力に比べると生前低い評価しか与えられていなかった人たち、あるいは栄耀栄華を極めながら突如失意の晩年や非業の死に至った人たちに対するものがある。別にリスト化しているわけではないが、ふとそういった人たちの作品や業績に触れるたびに心の片隅にそれとなく留まっていく。

“Phases s.v.” 「2002年7月25日 大阪市都島区」天神祭の花火。
「大川の水面には数多くの屋形船が浮かんでいる。日本三大祭りの一つ大阪天満宮の天神祭は道真の命日にちなんで行われる。火雷天神の祭りにふさわしく、夜空には勇壮な花火が上がり水都大阪の河川や運河を照らす。花火は人間が天に打ち返す雷なのだろうか?」

前回の谷保天満宮の主祭神菅原道真公もご存知のようにそのような不遇をかこった人物の一人である。それ以上に、彼の場合はその不運がなければ、今ほどに世間一般に知られていたとは考えにくい。
今では学問の神として受験生の祈願を一身に受け止める生真面目そうな神様だが、生前は在原業平(ありわらのなりひら)とも親しく交際し、遊女とも交わったとされているので、学究一筋の堅物ではなかったはずである。
そうでなければ、政治家として大成し、有力貴族の警戒心を刺激することもなかったであろう。そもそも「天満天神」には学問の神の要素はない。天災をもたらす恐ろしい神というのが基本の姿である。

前回、天満宮への関心は北野天神絵巻に描かれた天神様=菅原道真が雷神となって現れることにあったと書いた。良く知られたことだが、これは道真の死後に実際に起きた様々な不幸や怪異に加え御所の清涼殿が落雷により被害を受けると共に死傷者が出たことによる。これらを道真の祟りによるものと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、子孫を京に呼び戻し名誉回復をはかるなどした。

怨霊神となった道真は清涼殿落雷の事件から雷神と結びつけられて考えられるようになり、北野の地主神であった火雷天神(からいてんじん)の祀られていた地に北野天満宮が建立された。
ちなみに火雷大神は古事記の中で、黄泉の国に妻である伊邪那美命を探しにいった伊邪那岐命が見てしまった、蛆(うじ)のたかった伊邪那美命の変わり果てた身体の各部分から生じた雷神8柱の総称であり、伊邪那美命の指令により伊邪那岐命に襲いかかる魔物のような存在である。
伊邪那美命の死の原因は火の神を産んで陰部が焼けたことにある。そのことによって雷神が生まれたというのは、火と雷が結びつけられて考えられていたことを表しているのだろう。
現在でも火災保険の補償項目には落雷による被害が含まれている。台風による被害も火災保険の範疇であり、風神雷神ともに火災保険で補償されるというのは、上の神話と合わせて考えるとなかなか興味深いカテゴライズに思われる。

“Japanoscape”「2011年4月2日 奈良県天理市_ IMG_6753」
「伊射奈岐神社:伊邪那岐命や伊邪那美命を祀る神社は各地に多くあるが、これは奈良県天理市柳本町の伊射奈岐神社。主祭神は伊邪那岐神と偶然にも菅原道真の二柱。近くには景行天皇陵などの陵墓を含む大和・柳本古墳群や纒向遺跡などがある。」

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