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2020/7/10 三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実(豊饒の海と言葉のボクシング)

三島由紀夫の小説はそんなに読む機会がなくて唯一読んだのが「豊饒の海」4部作。
読んでもよくわからない、というのが正直な感想だけど、この作品だけは強い物語性からページを捲る手が止まらず最後まで夢中で読んだ。

三島没後50年で企画されたドキュメンタリー。
全共闘からの誘いを受けて東大安田講堂に単身乗り込んだ三島とのシンポジウム。
その場に立ち会った存命する全共闘のメンバーと楯の会のメンバー、その時代を研究している解説の大学教授、平野啓一郎と内田樹のコメントを基に映画は進んでいく。
内容をまとめられるほど自分に落とし込めていないので、とりとめのない感想。

・内田樹のコメントにもあったが、三島自身は学生達を説得しようとか論破しようとかいう気は全くなく、彼らの主張に耳を傾け、自身の主張も訴えつつも、誠実に向き合っていた。
・平野啓一郎と内田樹のコメントがわかりやすい
・人間を行動と認識の人という分け方をしていて「豊饒の海」では「暁の寺」から本多の一人語りがメインになるが、本多の覗き嗜好やら認識の人描写が増えるのは、そういった人間に嫌悪感を持っていたこともあるからだろう。
そうはいいつつも「豊饒の海」の登場人物は多かれ少なかれ三島自身を投影しておりああいう最期を遂げたのは、本人の理想は「奔馬」の勲だったからなのだろうな。
・全共闘のメンバーでは木村修が良かった。
何がどうとは上手く言えないが、当日司会を務めて三島のことを無意識に「三島先生」と呼んでしまい学生達に失笑を買った。
終了後、本人にお礼の電話を掛けた際に楯の会への誘いを受けたというのも彼のバランス感覚を三島が気に入ったからだろうと思う。
・楯の会は三島自身に陶酔していただけで思想に共感していたわけではない。
1970年11月25日に市ヶ谷に行かなかった時点で三島には同士と見なされていなかったのだろう。
カリスマが消えて、組織も消えた。
自分の思想を持っていなかったのだろうな。
決起しなかった人がインタビューに応えているのを決起した存命メンバーはどう考えているのだろう。
・自分の思想がない、というのは全共闘も同じでインタビューでコメントしていた人も、当時の感想を述べるだけ。
唯一違うのは芥だが、彼は自分の世界に入って自分の主張をしているに過ぎず、時々は三島を挑発し屁理屈で論破しているように見えても自己満足に過ぎないように思われた。
映画の最後のコメントが彼で締められたのはいささか納得がいかない。