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2022/12/1 わたしのお母さん

自分にも思うところがあり、最終日のレイトショーに駆け込む。
はて、どこから述べていけばいいのやら。

石田えりのイメージとしてはアガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」のジョーン。
肝っ玉母さんという雰囲気なのに、こういう奔放で自己中心的で妙に色気のある役が似合う。
ボヤ騒ぎを起こして2世帯住宅から追い出されると、娘のところに逃げ込んで、娘の前で被害者アピール。
男から見るとほっとけない女だろうが、子供からすると、特に娘からするとあざとくて面倒くさい女。
距離を置かれているのは伝わっているけれど、何が原因なのかはわからず「不満に思うならはっきり言えばいいのに」と傲慢にも切り捨てるだけで、夕子の思いを掬い上げることはしない。
「良かれと思って」夕子が畳んだ洗濯物を畳み直したり、無断で夫婦の寝室に入って片付けをしたり、頼まれてもいないのに勝手に夕飯作った挙げ句ちゃんとしていないと夕子を悪者扱い。
善意がお節介、親切の押し売りになると、それは「独り善がり」なんだよね。
親切をする側は感謝の見返りを求めちゃいけないということをよくよく思い知らされて、なかなか苦い。

家を追い出されて迎えに行った時から、明らかに夕子の母親への苦手意識が伝わってくる。
自分からは決して話しかけない、近づかない。
自分の気持ちを受け止めてもらえるとはすでに思っていないが、親だから遠ざけることもできなくて、要領いい妹は表面的には親しくしていても、手間のかかる部分はしれっとスルーしてしまうので自分は上手く逃れられない。
責められたら「ごめん」でやり過ごそうとするもそれさえ許されなくて、ただただ心を殺すのみ。
「私、お母さんのこと、嫌いだった」というセリフは、自分だけでなく母への甘えと赦しなんだろうな。

この配役、どうして井上真央なんだろうな。
「ノルウェイの森」の菊地凛子にも思ったけど、眼力強い人が主張の強くない役をやると、元々のバイタリティが透けて見えて説得力が弱くなるように思う。
演技自体は悪くないし、その眼力でものを言う部分もあったので理解できたけれど、個人的な趣味としてはもう少しオーラ消せる人が良かったな。