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「消えたお妃候補たちはいま」 小田桐誠

今上陛下の婚活とその後に関する記録?。
候補に上がった方々は延べ100人以上。現在も健在ともあり、その後については誰(お相手も中々の上流階級)と結婚したなどに留められており、題名の割に中身は薄め。まあ、健在だし平和に暮らしているのだからそっとしておいてほしいよね。
浩宮時代(昭和、成人前)は元華族といった候補が挙げられ、20代になると財閥や大企業の創業者の親類縁者が候補として取り沙汰されるが、オックスフォードへの留学により、自分には国際感覚のある女性が必要と考えた(と思われる)。
そして、それを備えた現皇后との出会い。
日本で一番身分の高い立場になることが定められ、プライベートなどあってないような状態で公人であることを求められる。昭和天皇しかり、上皇陛下しかり、この人と決めたら逃さないのは、ままならない日常で伴侶選びだけが唯一許されるワガママだからなのかな、と。

外交官の父親に付いて海外生活の長い雅子様が就職の際にアメリカに残らず帰国したのは、日本で暮らしていなかったことにより自分のアイデンティティがしっかりしていないことに思うところがあったから、とある。
意思表示をしないといないものと見なされる海外で生きてきた彼女の主体的な振る舞い、ハーバード大卒→東大編入→外務省入省と才色兼備な姿が殿下の心を撃ち抜くのは必然だった。
祖父が公害問題を起こした企業の社長であったこと、就職していること(お妃になる人に上司がいるのは殿下よりも上司が上とみなされる懸念)、殿下より背が高いことで候補から外したい宮内庁と殿下の思いがぶつかり中々進まないお妃選び。29歳という年齢と仕事を続けていくことへの迷いの中に再度飛び込んできた殿下からのアプローチ。
「(外務省でなくても)皇室外交というかたちで今までのキャリアを活かすことができる」
「全力でお守りします」
そう言われたらコロっといっちゃうよね。

成婚後は外交官のキャリアを活かして各国の皇室と親睦を深めることに貢献してきたが、皇太子妃の最もやるべきことは後継ぎを産むこと。
自力で道を切り拓いてきた雅子様にもどうにも出来ないことだった。
自由で自分らしく生きてこられた国際感覚に優れた女性がしきたりだらけで日本一の旧家に嫁ぐ、いい悪いはさておき馴染めないのも当然のことだろう。
殿下が周囲と距離を置くことで批判を受け東宮一家は長い間厳しい立場に立たされた。家族である現上皇夫妻、秋篠宮家とも溝が出来たということは、彼らに近づかないことが雅子様を守ることだと殿下が判断されたからだろう。当時は、公務は休むのに遊びには出かけるのか、と微妙な気持ちで彼らを見ていたが、一方の言い分だけ聞いて判断するのは思慮が浅いと今にして思う。
即位礼正殿の儀の晩餐会で各国の招待客と懇親しているのを見ると、国内の公務は出られなくても手紙などでコミュニケーションを図っていたと知ることが出来た。皇后陛下が持ち合わせていた国際感覚がようやく日の目を見たのだ。

令和の時代は厳しいことが続いているけれど、陛下はありのままを受け入れ泰然自若とされている。不安な気持ちを持つ国民にとってそんな姿勢が安心できる存在であることは間違いない。

※上皇夫妻となろう小説的な私見についても後日記載予定