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Sakura Tsuruta インタビュー エレクトロニックミュージックに取り組む必然性と、シーンにおけるジェンダーギャップの現在

以下のインタビュー記事は、以前音楽メディアSoundmainにて女性のトラックメイカーを取材するリレー企画として掲載されていたものです。メディア終了に伴い、こちらのnoteに転載しています。(初出:2023年2月21日)

あなたは、2022年の末にSakura Tsurutaが初めてリリースしたアルバム『C/O』を聴いただろうか。強力なビートにアンビエントが絡んだ、鋭いけれど柔らかい8曲。リスナーをひとつのストーリーへといざなう本作は、素晴らしい強度を誇る一枚としてエレクトロニックミュージックの早耳リスナーを虜にしている。

Sakura Tsurutaは、アメリカでバークリー音楽院の音楽療法科を卒業した後に音楽療法士として働き、その後またバークリーのElectronic Production & Design科に入学し直したという異色の経歴の持ち主だ。帰国してからはクライアントワークや教育機関での講師など、広く音楽関係の仕事に携わるかたわら、自身の制作も進めてきた。様々な景色を見てきた音楽家に訊きたいことが山ほどある。インタビューは、育った環境からバークリーでの話、楽曲制作の裏側、フェミニズムについてまで多岐に渡った。


バークリー音楽院を目指すまで


3歳でピアノを始められたとのことですが、どのような音楽環境で育ったのでしょうか?

特に音楽一家というわけではなかったのですが、両親が音楽好きではあったので家では色んな曲が流れていました。3歳でピアノを始めた時は広島に住んでいて、音大生の先生に習っていましたね。レッスンが楽しくて、その頃にピュアに音楽と向き合えていたことが今の自分のルーツになっています。ちなみに、同じタイミングでバイオリンも始めたのですが、そちらはあまり相性が良くなかったですね(笑)。その後父の転勤で8歳の時にシンガポールに家族で移り住み、3年ほど住んでいました。その時もピアノは続けていましたね。また、当時流行っていたポップミュージックがMTVなどから自然と入ってきていました。

その後、また日本に戻って来られたんですか?

中学に入る前に帰国してきました。その時に習っていたピアノの先生が、20世紀の音楽をよく演奏される方だったんです。先生のリサイタルをきっかけに、ジョン・ケージやシュトックハウゼンなどのいわゆる現代音楽と呼ばれているものや、今のダンスミュージックの源流となる電子音楽を知りました。中学高校でそのあたりを聴くようになって、「ダンスミュージックと現代音楽って繋がってるんだ!」という感じで両者がリンクし始めたんです。

その先生との出会いは大きかったんですね。

大きかったと思います。あと、帰国して通っていた学校がインターナショナルスクールだったので、友達とともに海外のポップスを聴いていたのもバランスが良かった。deadmau5やSkrillexが爆発的に売れだした時期で、そこでタイミングよくエレクトロニックミュージックの流行にも触れられました。

その頃はもうすでに、そういったエレクトロニックミュージックを自分で作っていたんですか?

DJはしていました。色んな学校の人が交流するイベントがあって、そこで毎回音楽担当が必要で。最初は選曲していたのが始まりで、その後友達にすすめられてDJをやるようになったんです。

DJデビューが早いですね。楽しかったですか?

楽しかったです。そもそも、音楽が強い学校だったんですよ。吹奏楽とビッグバンドをやっていて、ビッグバンドの方ではトランペットをやっていました。吹奏楽はホルンがメインでしたが、規模が小さかったので管楽器はだいたい演奏しましたね。

その年齢でピアノやバイオリンだけでなく色んな管楽器をやってDJまでされていたというのは、経験としてかなり大きいですね。その後、どういった経緯でバークリー音楽院を志望されたのでしょうか。

元々音楽しか取り柄がなくて、ずっと音楽が大好きだったのでこれを仕事にしたいと思って。でも、演奏家にはなりたくなかったんです。それよりは、社会や自分の所属しているコミュニティに対して音楽を通じて貢献したかった。自分がライフワークとしてそういった創作活動を最も探求できるのは、バークリーではないかと考えたんです。

Sakuraさんがまず入学されたのは音楽療法科とのことですが、入学試験はどういった内容だったんですか?

まずは即興演奏と、先生が弾いたものを耳コピしてどれだけ返せるかというイヤトレ。あとは初見で譜面を読んでどこまで弾けるかだったり、自分の課題曲を持ってきて弾いたり。カバーレターと呼ばれる、なぜ入学したいのかという意思表示をするエッセイ執筆もありましたし、面接もありました。

なるほど。そもそも、音楽療法士というのはどのようなお仕事なのでしょうか。日米で多少異なるとは思いますが。

一方的に演奏するだけではなく、音楽で相手とのコミュニケーションを試みていく仕事です。音楽療法ってサウンドヒーリングと間違われることがあるんですが、実際は違っていて。少なくともアメリカでは、ほとんどの場合は資格がないと音楽療法士として活動できないんですよ。エビデンスに基づいた判断も重要ですし、新しい保険や医療制度との兼ね合いも考えたり、作業療法士など他の医療事業者との連携を求められたりもします。けっこうアカデミックな領域だと思いますね。

専門的な知見を深めていくにあたって、バークリーでどのような研究をされていたんですか?

障害を持つ幼児や高齢者向けの介護施設でのデイケア、精神病棟などでのフィールドワーク……といった感じで学期ごとにフォーカスする専門分野が決まっていて、各分野に対する理解を深めるための授業もセットになっていました。各学期でひとつずつ違う分野をこなしていくのが学科のスタイルでしたね。中でも、私は神経疾患治療を専門とした施設でのホスピス・緩和ケア病棟で、卒業後も音楽療法士としてそのような活動をしていました。

音楽療法士としての忘れられない経験


そういった音楽療法士としての経験が、今の音楽制作に影響を与えているとすればどういった部分ですか?

目的をクリアにするという部分ですね。突き詰めると「なぜこの曲がこの世に存在しなければならないのか」を明確にしていくこと。無駄な音色(おんしょく)を捨てる判断をしたり、表現したいコンセプトと音素材をマッチできるようにしたり。世界観に対して、表現解釈の幅がより広がりました。

非常にリアルな話で興味深いです。実際、曲制作の場面ではどのような根拠に基づいて判断をされているのでしょうか。

「この音は果たして私が表現したいことをうまく表現してくれているのか」とか「この音色は私の表現したいイメージに適しているのか」、あるいは「このツールがベストな表現の手法なのか」、「もっとサンプリング等で外部の要素を取り入れたほうがいいのか」などなどです。

「なんとなく」という根拠で選ばれた音は、ご自身の作品からは排除されているということでしょうか。

あると言えばあるんですけど、でも「なぜこの音をこのように使ったのか説明せよ」と言われたら説明できるとは思います。特に、「ここは5拍か7拍であって、4拍ではない」という数に関しては。

その答えは、やはり聴き手ではなく作り手であるご自身の中にあると思いますか?

そうですね。もちろん聞き手の解釈もしていただけるように抽象的なサウンドを取り入れたり、テーマも聞き手が寄り添いやすいテーマを選んだりするように心がけています。

なるほど。音楽療法士の経験を踏まえると、もしかしたら聴き手ありきという部分もあるのではと思ったんです。

最近は「私が今求められているものってこういうものなのかな?」という判断をする時もありますけど、でも、それも自分が音楽を作っている立場としてどのように世の中に出すのか正解なのかという意味なので、「自分の視点や環境からどう見えるか」という判断基準がやはり大きいですね。

卒業して音楽療法士として働いていた中で、バークリーのElectronic Production & Design科に再入学されたとのことですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

音楽療法士として勤めていた介護施設に、交通事故で脳の半分を失ってしまった方がいたんです。当時24歳くらいで、私と同い年だった。彼は発声ができないんですけど、私が行く度に表情がにこやかになって、いつも嬉しそうにアイコンタクトで迎えてくれるような素敵な方だったんですね。

患者さんのお部屋を訪ねる時には、ギターやピアノなど和音を作れる楽器を持っていくことが普通でした。彼に対しても最初はそうだったのですが、ある時、本当に自分と同世代の患者がそういった弾き語りで満足するのだろうかということを疑問に思い始めたんです。なぜなら、私はいま流行っているダンスミュージックやエレクトロニックミュージックを好きで聴いていたから。

そこで、ある日試しにラップトップとMIDIコントローラーを担いで、彼のお部屋を訪ねてビートを打ち込む様子を見せたんですよ。そうしたら、彼が今までにない表情で反応してくれたんです。「こういうヒップホップビート好き?」って訊いたら、「うん」ってうなずいて教えてくれた。その時に、私は「これだ!」と思って。ドラムが叩けなくても、MIDIコントローラーの中でプログラムされた音で自由に演奏ができるアクセシビリティにすごく感動したんです。ミュージックテクノロジーの可能性を見た瞬間だった。私はこれをもっと勉強したい、と思って、再入学を決意しました。

素晴らしいエピソードですね。同世代が聴く音楽のリアリティが患者さんの心を動かしたと。

そうですね。その介護施設はご高齢の方が多かったんですけど、その方は交通事故に遭ってしまって20歳そこそこで施設に入らざるを得ない状況にあった。でも、まだ遊びたい時期だし、同世代との交流やソーシャルな場を楽しみたいという年齢じゃないですか。そこで、どうやったらこの患者さんのクオリティオブライフが向上するのだろうと考えた時に、同世代の私が夢中になっている音楽のほうが良いのでは? と思ったんですよね。

Sakuraさんは、当時リスナーとしてはエレクトロニックミュージックにどのような形で接していたんですか?

すでに自分の中では一番好きな音楽でした。テクノロジーや技術とともに発展していく音楽である点にすごく魅力を感じていたんです。

作り手という立場では、一番最初にDTMを始めたのはいつになるのでしょうか。

バークリー入学時に必修科目としてDAWを使わなければならない授業があるのである程度着手し始めた年齢となると18歳の頃ですが、本当に初めて触ったタイミングとなるともう少し前です。中学生でまだ私がDAWという存在を知らなかった頃、キャラクターが演奏してくれる子ども向けのMIDIシーケンスソフトがあって遊んでいたんですよ。それで、今日の気分に合わせて耳コピしたり楽譜に起こしたりしていました。

それまでに色んな楽器をされていたと思うのですが、DTMとの違いで一番印象に残っていることはありますか?

自分が弾けない楽器でも音を出せるのは率直に嬉しかったですね。弾けた気分になる。あと、自分が絶対に弾けないような速さで弾けるのも面白いし可笑しくて。弾くだけじゃなくて、作って楽しむという気持ちが芽生えてきたのはやっぱりDTMとの出会いが大きかった気がします。

Electronic Production & Design科での学びと卒業後のステップ


その後、実際にバークリーのElectronic Production & Design(EPD)科でより専門的にそういったことを学ばれるんですよね?

そこで学んだのは、今やっている仕事に直接繋がるようなことばかりで。必須科目でモジュラーシンセがあるんですよ(笑)。LFOやCVといったシグナルについても流れを理解するためにモジュラーを使ってやりましょうという授業で、その後にMaxでパッチでも作ってみましょうという宿題が出ていました。他にも、昔のおもちゃを解体して色んなパーツをつけてハンダゴテで改造して面白い音を出すといった、マシン改造の授業もありました。MaxでJitterを使って音にどうやって反応させるかというオーディオビジュアルの授業もあったし、録音もミキシングも制作も一通りやりましたね。

音楽療法科とは全く異なる内容ですね。

ただ、音楽療法科とEPD科の専攻が意外と交流が深くて。音楽療法の場で、現場で使うためのデバイスをEPD科の子たちが新しく開発したりするんです。例えば、身体の不自由な方々がより演奏しやすくするために、ゲーム機のWiiのリモコンを改造して新しいインターフェースとして使用する研究をやっている人もいました。そういったUIやインターフェースという部分でも、テクノロジーの魅力と可能性を音楽療法と繋がる形で感じられたんです。

そういった繋がりもあるんですね! 専門を活かしながら別の学科同士が関連しているのは素晴らしいです。ちなみにEPD科の卒業生は、どのような進路に進まれるのでしょうか。

ライブテクニシャンとしてアーティストのツアーに帯同している人や、サウンドアーティストとして活動している人、ゲーム会社で作曲をしている人、サウンドエフェクトを作っている人など、様々います。日本人は、私が在籍していた頃は自分の他に後輩一人しかいなかったですね。

リスナーとしては、EPD科の頃はどのようなエレクトロニックミュージックを聴かれていましたか?

今もですが、当時からRichie Hawtinは大好きで聴いていました。EPD科の授業でゲストアーティストとして登壇されたこともあって、その時に直接ご挨拶をさせてもらってますます好きになった(笑)。あとはScubaとかDUBFIREとかを好きで聴いていましたね。

帰国されて、かなり幅広く活動されている印象です。今は、音楽制作という面ではどのようなお仕事が多いですか?

まずはイベントや動画出演という形でのパフォーマンス。福島県の裏磐梯の湖のほとりで演奏した「ETCHED 002 現夢」というプロジェクトや、Kuniyuki Takahashiさんと共演したTHE NORTH FACEのプロモーション動画などがあります。


そこから最近はファッションのイベントへの音楽提供やライブパフォーマンスが増えてきて、昨年だとメンズブランドATTACHMENTのファッションショーの音楽とパフォーマンス、BIRKENSTOCKのポップアップのインスタレーションなどをやりました。あとは、映像の方とコラボレーションして制作するオーディオビジュアル作品もあります。専門学校での講師もしていますね。

ちなみに、『C/O』のようなまとまった音楽集を作られる時とクライアントワークを手がけられる時との間に作り方のアプローチの違いはありますか?

違いますね。でも、私はクライアントワークも好きなんですよ。お題があるので、コンセプトからちゃんと考えられるじゃないですか。やっぱり自分は単純に音がカッコいいだけでは駄目な人なんです。クライアントワークだと、「こういうコンテクストで、こういった場所で流れる音楽だからこう作る」というのがあるので、それが自分の制作のプロセスにも合っているんです。

あわせて、DJの活動もされていますね。Sakuraさんが繋がりのあるシーンや、交流のあるアーティストはどのあたりなのでしょうか。

machìnaやRisa Taniguchi 、あとベルリン拠点ですがKyokaさんや、ウクライナ出身のXLII(シリ―)さんですね。XLIIさんはもう日本に住んで長い方なんですけど、どのプラグインが良いかなど、込み入った機材の話もする仲です。

アルバム『C/O』の制作アプローチ

なるほど、ジャンルも国も幅広いですね。続いて今回の新作『C/O』についても伺いたいのですが、コンセプトが「音の手紙」ということで。どのような考えが込められているのでしょうか。

「C/O」は「in care of~」の略で、これはよく手紙を出すときに宛名で書くフレーズなんです。「~様方」といった意味ですね。私がここ数年日本に帰ってきてから起こった価値観や環境の変化に対して、日頃お世話になっている方や周りでサポートしてくれる方に対して、今の私から音のレスポンスを贈りたいと思い「音の手紙」つまり「C/O」というタイトルをつけました。そこでは、自分の中にある様々な記憶をたどりながら材料にしている部分もあります。

記憶というと、例えば?

MVを見るとだいぶイメージが沸くと思うんですが、「Hide & Seek」という曲は真っ暗なスペースの中で底なしに自分がどんどんふわーって落ちていくような様子を描いていて。そういった子どもの頃のフラッシュバックがコロナ禍にすごくあって、インスピレーション源になりました。

トラックメイクのアプローチについても教えてください。『C/O』の各楽曲は、どのような手順で作られたのでしょうか?

曲によってバラバラではあるんですが、共通しているのはまずコンセプトを決めて、そのコンセプトに合わせて音のパレットも先に決めちゃいます。好きな音素材や合うサンプリング素材を揃えて、そのパレットの中だけで作る。あらかじめひとつの場所に音を集めておくことで、アルバム全体でストーリーが伝えやすくなるんですよ。

音を集めておくというのは面白いですね。「音の手紙」というコンセプトでいうと、今作ではどういった音がパレットに集まったのでしょうか。

まずは声ネタ。あと、裏で鳴るハット音です。シーンを定めてくれるような、後ろで常に流れている環境音やノイズですね。さらに、メロディになる音も同じシンセを使って集めていきました。

映像や写真がインスピレーション源になることもありますか?

ありますね。『C/O』の場合だと、形や色がインスピレーションになることが多かったです。アートワークにも入っている、丸いシャボン玉みたいな形をイメージしていました。私の中で、「丸」という形に対する執着心があるんですよ。今回は、球体から始まり、完全ではない形も含めて色々な「丸」を考えました。『C/O』というタイトルも、「C」がちょっと不完全な丸で「O」が完全な丸というイメージで考えていて。作っている時にはもう色々な丸に憑りつかれていました(笑)。中でも「Human Energy」という曲は私の中で色々なことがすでに固まっていて、いつもなら優柔不断になりがちなキー設定が「Aフラットマイナーがいいに違いない」とか、色も「緑の藻みたいな……マリモだ!」とか、割とすぐ決まりましたね。アートワークを作ってくれたManami(Manami Sakamoto)ちゃんにも、リファレンスとしてマリモの写真を送りまくっていました(笑)。

アルバムのアートワークは、それを象徴的に表現しているということですね。周辺が丸で、中央は丸になりきれていない。

そうですね。球体を目指した結果、なれる時もあるしなれない時もあるという。あとは、ちょっとメタリックなところ、つるっとしたところ、ザラッとしたところと色々な素材が混ざっています。多様な側面がある物体ということで、そのあたりはManamiちゃんのセンスが反映されていますね。

ということは、音楽作品としても、本作は球体になりきれている部分となりきれていない部分があると捉えてよいですか?

なりきれていないところから、最終的に球体になりきって終わっている感じです。

球体として完成に向かっているということですね! それは、音のバランスが最後整ったということ?

もちろんそれもありますし、あとは自分の意思が一人前になるというイメージも含まれています。色々な葛藤やもがいている気持ちを経て、冒険が終わり一周した感覚ですかね。

前半に成長していく過程やアンバランスさが表現されていて、後半に行くにつれてバランスが整っていくということですね。あと、この作品は全体的にすごくビートが重くて強い印象を受けました。

やっぱりダンスミュージックのリズムが好きだからだと思います。もちろんアンビエントな曲も好きで、実際アンビエントな部分もあるんですが、結局ビートがあるほうが落ち着きますね。後ろで鳴っているパッドや環境音など、丸くて優しい音もあるんですが、どの曲においても音を結晶化させるプロセスをとっているんです。彫刻を作るイメージで、それによってメタリックで硬い音を作っていても、多少柔らかく聴こえるように調整しています。それぞれの音に意味があって、すべてが共存できるように配置にも気をつけています。

なるほど。共存させるために、具体的な技術としてはどういった工夫をされましたか?

EQでちゃんと各音のあるべき場所を作ってあげることはもちろんですが、他にも、似たような音色を使う時はぶつからないように、「片方をこっちの曲で使って、もう片方をあっちの曲で使って……」という工夫をしています。結果、どちらも繋がっているような印象を与えられるように。ひとつの彫刻として捉えられる兄弟みたいな音というか。あとは、ちょっと尖っている音で合わないな、という時はパッド音を多めにしてこもらせたり、和音を重ねたりもします。

テクノロジーとタイムマネジメント術

機材やソフトウェアについても伺いたいのですが、今作『C/O』で新たに導入されたものはありますか?

WALDORF社のBlofeldというウェーブテーブルシンセです。つまみが多い機材って、あまり直感的じゃないので苦手なんですけど、これは小さくてシンプルに扱えるし、何より音が好みですね。あと、意外に使うのが簡単で。ずっとコンピューターの中の内蔵ソフトシンセやプラグインだけ作っていたんですけど、もうちょっと楽器のように直感的に扱うハードシンセがほしい人は入りやすいと思います。価格もそんなに高くないし、おすすめですね。日本であまり使っている人を見ないので、被らないというのもいいです(笑)。

他に、Sakuraさんが最近関心のある機材やテクノロジーはありますか?

山ほどありますよ! 次に取り入れたいと思って狙っているのが、embodmeというフランスのスタートアップが出している「ERAE Touch」というコントローラーです。日本ではまだ代理店がなくてオンラインで直接買うしかないんですが、パフォーマンスする時に映えそうで。打ち込み方や奏法はどうしてもマンネリ化していくので、そこを打破できるように取り入れていきたいです。

自分から出てくるパターンというのは有限ですもんね。

それで言うと、今回『C/O』では偶然性に身を任せてみるということも試してみました。弾く系のシンセ音エフェクトを入れて、ピッチをランダマイズしたんです。こうすることで、普段自分では演奏しないようなことが偶発的に出てくる。それをそのまま使ってみたり、耳コピして自分で弾いてみたりしましたね。

Sakuraさんは日中はお仕事をされていると思うので、制作に充てられる時間が限られているかと思います。その中で、集中して取り組むために何か工夫されていることはありますか?

まずは制限をつけること。それは時間に対しても言えますし、音のパレットを作る際にも言えます。例えば、スネアがずっと決まらないときに延々とひとつずつ音を出して決めていく作業をしない。15分やって見つからなかったら、一旦置いておいて後から戻ってきたほうが違う視点でものを見るチャンスになりますし、判断もしやすくなります。

あとは、「曲を作る」ということをゴールにしない。もっと小さなマイルストーンを作って取り組みます。今日は新しいプリセットを作ろうとか、ライブラリを綺麗にしようとか、音素材だけをとりあえず集めておこうとか。音楽を作る作業じゃなかったとしても、それは意識しています。今日は音楽には手をつけずに「丸」について調べてみようとか、本を読んだり、ドキュメンタリーを見たりしてみようとか。自分の創作活動に繋がりそうな小さなことを、常に意識してやるようにしています。

講師もされている立場から、トラックメイクを初めてする人に対してのアドバイスもお聞かせいただきたいです。

変な曲ができてしまうことを恐れないことです。音楽をずっとやってきている大御所の方でも、何か素敵なアイデアが毎回降りてくるかといったら絶対にそんなことはないんですよね。それよりはアイデアが降りてくる土台を作るために、努力を重ねて内側から音楽を生み出す力を養っていくのが大事です。

エレクトロニックシーンにおけるジェンダーギャップの現状

この連載で毎回伺っているのですが、Sakuraさんが刺激を受けている女性のトラックメイカーを教えてください。

先ほど挙げた交流のある方々に加えて、国内拠点で活動されている方だとサウンドアーティストの細井美裕さんやモジュラーアーティストのGalcidさん、アンビエントの佐藤那美さん、日本と海外を行き来している方だとSHIMAさんもですね。それからテンテンコさんも好きだし、AKIKO KIYAMAさん、Maika Loubtéさん、MPC GIRL USAGIちゃんも。

たくさん挙げていただいてありがとうございます。海外だといかがでしょう?

一番影響を受けているのはKaitlyn Aurelia Smithという、モジュラーシンセの音と自分の声を素材に音楽を作っている方です。あとはKelly Lee OwensやElkka。皆さん繊細で、とてもディテールがしっかりしていて低音の厚みもあるのですごく好きです。暗すぎず明るすぎずという感じのフェミニンな曲が多いというのも、彼女たちの特徴だと思いますね。

今フェミニンとおっしゃいましたが、Sakuraさんの中ではその「明るすぎず、暗すぎない」というイメージがあるのでしょうか?

そうですね。あと、軸があるんだけど冒険していて、実験的でもある……。

なるほど。一方で、女性のトラックメイカーやDJって、まだまだ数としてはマイノリティであるがゆえに活動しづらい部分もあるかと思うんです。Sakuraさんご自身は、これまで活動してきてそのような実感はありましたか?

幸い私はアーティストとして受け入れてくれる方が多いので、すごく救われているし恵まれていると思います。けれども、トラックメイクを始めようとしても周りに気軽に訊ける人がなかなかいない、というケースは多いんじゃないでしょうか。

あと、イベントの告知用に出来上がった私の紹介文に「女性アーティストのSakura Tsuruta」と記載があることにはよく違和感を覚えます。男性の出演者に対して「男性アーティスト」や「男性DJ」と記載されることはほとんど見ないですよね。どうして女性になった途端、性が最初に来てしまうのか。性別ではなくて、音楽を先に見てほしいなと思います。

そういった状況に関して、日本とアメリカとで違いは感じますか?

アメリカのほうが先進的ですが、まだまだ状況は一緒です。どちらも、女性が音楽業界で意思決定できるポジションにはいないので。あと、日本は女性がこういったことを発言するとすごく特殊な人と思われがちですよね。フェミニズム=ラディカルな考えという認識がある。アメリカでは最近はそういう傾向はなくなってきていて、「自分は男性だけど女性の権利をサポートするフェミニストです」と発言できる環境があります。

海外も含め、多くの経験をされてきているからこそのエピソードが伺えて、とても参考になりました。ありがとうございました。


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