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2020コスメビューティ試論―いま美しくなるために必要なこと(3430字)

長年コスメ業界にいて、それなりに化粧品のビジネスや肌研究やマーケティングに携わっていると、時おり物凄い研究結果に出くわしてしびれることもあるし、まれに驚異的な効果実証が出て感銘を受けることもあるし、予想を裏切るような面白いトレンドが生まれてわくわくしながらメークを選ぶこともあるし、各界の美しい(と言われている)著名人有名人と対面し「果たして美しさとは一体何なのだろうか…」と深い思考にはまってしまうこともある。つまり、私はビューティについて知っていいことも知らなくていいこともたくさん知識としてたまっていて、相当な時間「美しさとは」ということについて考えを巡らせ生きてきていると、ひとまず言い切って良いだろう。

一方で、世の人々が日々求めていることは、「どうやったら自分は美しくなれるのか」という、極めて即物的な欲望である。だからこそ即物的な小手先の美容提案ばかりが流通し、多くの人が獲物にされるわけだが、考えてもみてほしい、美醜だけが万物の中で特権的かつ唯一無二の事柄なわけはなく、だからこそ美醜のみに通用する秘訣なんてものは存在しない。美しくなれる秘訣があるとしたら、それは美醜の世界だけではなく、もっと万物に通用する汎用性の高いものである。世の中は広くて、美しさについての世界以外にも、経済の世界もあるし政治の世界もあるし数学の世界もあるしテクノロジーの世界もある。美しくなるには、ということなんてその中のたった一つの事柄でしかないのだ、冷静になると。だからこそ、真理に近づく秘訣であればあるほど、それはあらゆる世界に通じる不変の法則となっていく。

そもそも、美しくなる、とは一体どのような状態のことを言うのだろうか。現代では、ファッション、コスメ、ダイエット、さらにはスポーツやヘルスケア、内面的啓発にまで美しさにつながるケア領域は広がっている。たとえばファッションとコスメをとってみても、二つの領域には決定的な断絶があるし、カルチャーのトレンドをつくるという意味ではファッションの方が明らかに上流にいて、コスメはもっとコンサバでクラシカルな世界だ。 広げようと思えば無限に広げられるこの“美しさ”についての議論を、ひとまず「コスメで顔を美しくする=スキンケアで肌を綺麗にしメークで映えさせること」と定義してみる。

コスメ史はこの数年を振り返ってみても、いくつもの新たな潮流を生み出して、歴史の駒を一つずつ前に進めてきた。ひと昔前だと、美白やシワ改善ジャンルが活況を見せていた。美白ケアの一般化やシワ新規成分開発により市場が拡大していったが、近年だといよいよレッド・オーシャン化してしまい、コモディティかつマニアックな差別化競争に陥り始めている。オーガニック/ナチュラル系コスメも雨後の筍の如く多くのブランドを生んだが、世界観訴求のバリエーションが行きつくところまで行きつき、多様化した結果、淘汰が進んでいる。その中で、各ブランドが投資をし、市場が盛り上がっている引き続き元気なジャンルといえば、エイジングケアとポイントメークだ。エイジングケアは若年層にも広く定着しはじめ、裾野を広げている。ポイントメークは様々な使い方・質感・色が生まれ、昔のように一つのトレンドでは表現し辛くなってきている。エイジングケアとポイントメーク。ここ数年の両ジャンルの歩みを観察し思考すると、いま美しくなるために必要なことが一体何なのかが、立ち上がってくるかもしれない。そう、あの香り…化粧品の、あの甘く色気のある、それでいて高貴な、好奇心をくすぐる香りとともに。

エイジングケアは、美しさの“揺らぎ”である。

近年のエイジングケアを考える上で忘れてはならないこと――それは、美容医療の進化である。ボトックス注射やヒアルロン酸注入など、肌を若返らせるための美容医療はその効果としても、価格的なハードルとしても、格段に手の届きやすいものになってきている。一方でエイジングケアコスメも、美容医療を睨み、この数年革新的な美容価値を提案してきた。それらは一言でいうと、「美容成分をいかに肌の奥へ浸透させるのか」という戦いである。多重層技術でじわじわと浸透を促し、今や定番となったブースター・カテゴリーを生んだDECORTEのモイスチュア リポソーム。ドミニク・チェンもびっくりの発酵理論で強力な浸透を訴求するLANCOMEのジェニフィックとピテラSK-Ⅱ。独自のサイエンス研究で真皮浸透を標榜するPOLA B.A。ひと昔前に顔筋マッサージブームを生んだSUQQUが提唱する美容液先行理論や、ALBIONの乳液先行理論も同様で、「いかに肌の奥へ浸透させるのか」ということについて進歩を遂げてきた近年のエイジングケアコスメ界だったと言ってよいだろう。

美容医療を鏡にしたときに見えてくるエイジングケアコスメの実体とは、「決して最後まで到達することのない液体」である。メスを入れ直接注入するのではない、あくまで表面から“深く浸透させる”というエイジングケアコスメのスタンス。美容医療に対し禁欲的に振る舞いながら、祈るように肌表面からの浸透を促すその行為は、極めて宗教的な儀式であり、ゾーニング違反ぎりぎりまで攻め込むが決して侵略することはない、しかし“侵略してほしい”と願いながら行う、ある種どっちつかずな、倒錯的な美しさの揺らぎの間に存在している。

一方で、近年のポイントメークも、彼女ら彼らを虜にし、美しさの間での揺らぎを生んでいる。

近年のポイントメークは、バリエーションの多様化と選択肢の充実が進んだ数年間だった。韓国コスメも一緒になって盛り上がったクッションファンデ・ブームはヌーディメークのトレンドを生み、M・A・Cのリップガラスが牽引したグロス人気も遠い昔、その後やってきたのはCHANEL復権に沸いたリップ人気だった。ツヤ、マット、カラフル、ヘルシー、分人化された自分のキャラクターと気分に合わせて何になりきっても良いし何を選んでもよい。マスカラの時代は過ぎ去り、目もとはプレイフルで多彩な色が踊るようになった。メークのマルチアイテム化も進み、アンオフィシャルなツール使いも流行り、かじえりやちばゆかや和田さん。がYoutubeで、Instagram LIVEで、夜な夜なプチ・ムーブメントを起こし、様々なメーク手法と仕上がり顔の細分化を生み出した。アイテムもハウツーもマニアックに揃っている。私は田中みな実にも同化できるし、神崎恵にも石井美保にも同化できる。

「真っ赤なリップをする日は、大切な予定があるからじゃない。単に今日はそういうイメージの日だったから」というのは、昨今の赤リップブームを受けて若い子が言う話である。そこには、画一的な誰かを目指して皆が一斉に模倣に走っていた時代とは明らかに異なる、“誰かになれない自分”を受け入れた上での、“今日は誰かになる”という意識が前景化している。自らを全面的に受け入れた上で、誰かになることを目指すこと。その矛盾めいた、決して実現することのない、しかし懸命に同化することを目指し施されるメーク。そこに輝く、美しさの揺らぎ。

あらゆる境界線はなくなり、シームレスに全てが繋がるようになった。リアルな場はバーチャルな場へ接続し空間を無限に広げた。会社員は副業をするようになった。お笑い芸人はお笑い以外を生業にするようになった。女性は男性に接近したし、男性は女性に接近した。それぞれが何かに近づいた。

けれども、大切なのは、どこかに立脚していることである。軸足をしっかりと置きながら、理想を追い求めて何かに近づき揺らぎ続けること。その祈りのような揺らぎは、美容液を肌奥深くまで浸透させるし、あなたを理想へと近づけるメークを生む。

「そもそもメス入れて美容成分をぶっこんだ方がいいんじゃないの」

「どんなにメークしたってあの子にはなれないよね」

パレーシアの時代と言われ、表裏なく何もかもを包み隠さずに言うことが一般化したいま、極端に合理主義的な物言いが支持を集めるようにもなっている。

しかし、どれだけ多くの人がそんなことを言ったところで、私は知っているのだ。信念を持ち、ぶれない軸足に立脚しながら、だが美しさを求めて、倒錯性・矛盾性を孕みながらも揺らぎ続ける人たちが、誰よりも美しくいられることを。

美しさの揺らぎが、甘く色気のある、それでいて高貴な、好奇心をくすぐる香りとともに、あなたを美しくすることを。<完>

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