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rowbai インタビュー レーベル〈LOW HIGH WHO?〉所属、謎に包まれたトラックメイカー/シンガーソングライターの思考に肉薄する

以下のインタビュー記事は、以前音楽メディアSoundmainにて女性のトラックメイカーを取材するリレー企画として掲載されていたものです。メディア終了に伴い、こちらのnoteに転載しています。(初出:2022年12月16日)

形容しがたい、凶暴さと安らぎ。言語化しようとした途端にするすると言葉の間をすり抜け空中に霧散してしまう音楽。近年早耳のリスナーの間で話題を呼んでいるrowbaiの作品は、決して捕まえることのできない音の戯れとして、ゆらゆらとアンダーグラウンドシーンを浮遊し彷徨ったままだ。とりわけ、2021年にリリースされたEP『Dukkha』は衝撃的だった。本人は自身の音楽について「ナイーブな音楽」と説明するが、もしそうであるならば、「ナイーブ」の背景にある作家性をどうにか紐解き分解していきたい――霧散し行方をくらませるいびつな音を何とか繋ぎとめておくために。果たして、rowbaiとは何者なのか。レーベル〈LOW HIGH WHO?〉所属、謎に包まれたトラックメイカー/シンガーソングライターの思考に肉薄する。


楽器演奏の経験とDTM


子どもの頃から何か楽器をされていたのでしょうか。

母親が家でピアノの先生をしていて、私も3歳頃から弾いていました。小学校高学年くらいからはエレキギターもやってみたくなって。しかも、なぜかIbanezのSteve Vaiモデルを弾いていました。ボディが黄色で、ピックガードは黒で、ツマミが緑や赤で。めちゃくちゃ変わったギターだったんですよ。ちょっと恥ずかしかったのを覚えてます(笑)。中高では吹奏楽部でサックスも吹いていました。映画の『スウィングガールズ』を観て憧れて。

色々な楽器をされてきたんですね。ギターやサックスをされていた時もピアノは続けていたんですか?

続けていました。でも、譜面を見てその通りに弾くのがあまり好きではなかったんですよね。だから、中学くらいから耳コピで勝手にJ-POPを弾いたりしていたんです。

その後にはバンドも始められるんですよね。

中学・高校の文化祭から始まって、大学から軽音部に入り本格的に活動し始めました。最初は三人組で、私はギター&ボーカル。最終的にはベースが抜けたので女子二人でThe White Stripesみたいなことをやっていて。「ピンクロリータジュリエッツ」というバンド名で、ダークな重い感じのオリジナル曲を作ってライブ活動もしていました。今とはまるっきり違う音楽の形態ですね(笑)。当時はだいぶ自暴自棄なメンタルで、闇な世界観を表現していたんですよ。

そういうバックグラウンドがあったんですね。形態は変わっても、近いムードは今の作品からもうかがえます。

確かに、『Dukkha』もそういったムードを含んでいるかもしれません。

バンドの後に、ソロでDTMを始めたのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

DTMをちゃんとやりだしたのは、大学二、三年生の頃です。中学の時に一度フリーのソフトを触ってみたことはあって、学校の校歌のロック・アレンジを作っていました。でも、そのデータを書き出せなくて嫌になって続きませんでした。あと、中学の頃はボカロが好きだったんですよ。ボカロPに憧れていたけど、当時は吹奏楽ばかりやっていたからできなくて。その時のやりたい気持ちが残っていたのかもしれない。

意外です。rowbaiさんもボカロがルーツにあるんですね。

そうなんです。ニコニコ動画、たくさん見てました。

ひさしぶりにDTMを触ってみていかがでしたか?

あまり悩まずにできたかもしれない。バンドの頃のギターはなかなか難しかったんですけどね。

皆さんDTMを触りはじめた当初が一番苦労したという話をされるんですが、rowbaiさんはスムーズに始めることができたんですね。色々な楽器の経験があったからでしょうか。

そうかもしれないです。作曲に関してあまり悩んだことはなくて。どちらかというと、ミキシングやマスタリングといった音作りの点で理想の形にならずに苦労しました。大学の時から一緒にやっていて、今もミキシングやマスタリングをしてくれるパートナーがいるんですが、そのやり取りを通してつくりながら覚えていくことが多かったです。

「スキルさえあれば思った音を独りで重ねていける」


当時はどのようなアプローチで曲を作っていたのでしょうか。曲作りの面で、DTMを始めた頃と今で何か違いはありますか?

当時は自分のことしか考えていなくて、とにかく自身の感情を吐き出したい気持ちしかなかったですね。曲作りにおいても聴く人のことなんか全く考えず、人と違うことや変なことをしようとしていた気がします。今は、色々な曲を聴いて曲作りにも様々な方法があることを知った。バランスよくできるようになったと思います。

自分の音楽を客観的に見られるようになった?

そうです。聴く音楽が幅広くなったのが大きいかもしれない。前は、自分のネガティブな気持ちに寄り添ってくれる暗い音楽ばかり聴いていたんですよ。

たとえば、以前だとどういった音楽を聴いていたのでしょうか。

中学の時は神聖かまってちゃん。the GazettEなどのヴィジュアル系も好きで聴いていました。ボカロ系では、きくおさんが好きでした。あと、学生の時からずっと好きなのはPay money To my Pain。どれもジャンルは違いますけど、私の中ではつながっています。

かなり雑多ですが、確かにムードとしては共通点がある気がします。

私は、音楽ならジャンルに関わらず基本なんでも興味を持てるし抵抗なく聴けるほうなんですが、その中でもこれまで好きになってきた音楽の共通点は、ネガティブさや繊細さを持っているというところにあると思います。

色々な楽器をされる中で、rowbaiさんにとってDTMとはどういう存在であり手段なのでしょうか。

音を重ねて、それが調和した時に楽しいもの。バンドでもそういう化学反応は生むことができるけれど、バンドは「他人の」予期せぬ音が入ってくるじゃないですか。それはそれで良いところもあるんですが、DTMはやっぱりスキルさえあれば思った音を独りでちゃんと出して重ねていけるんですよね。

裏を返せば、rowbaiさんはそういったDTMでしかできない手法をご自身の楽曲に必要としているということですよね。

そうだと思います。私は、バンドはあまり向いてなかったと思うんです。結局ワンマンになっちゃって人に迷惑かけてしまったなと反省しているので、独りで考えてこねくりまわして形にしていく方が向いている。

意欲作『Dukkha』の制作アプローチ


『Dukkha』の中で最も凝りに凝った楽曲となるとどれになるんでしょう?

2曲目の「Goma」はこだわりが強かったですね。トラックは一番攻めていて、工夫を凝らしました。(共同制作者の)kuroyagiさんにJimmy Edgarを教えてもらって参考にしたり、808の音を極悪にしたかったのでhirihiriさんがWeb記事で公開されていたヤバい音の作り方を見て試したり(笑)。

rowbai, Kuroyagi「Goma」。上記の手法を取り入れた楽曲

あの記事は色んな方が参考にしていますよね(笑)。となると、やはり『Dukkha』で曲作りのアプローチも幅が広がったんですね。

広がりました。『Dukkha』がこれまでの集大成という感じで色々試して、その上で今まさに次のステージに進み始めたところです。これまでは、キックがでかければいい、低音が大きければいい、と思っていたところもあって。今はむしろ感情の起伏を表す作曲やメロディ作りの部分に注意を払っています。単にビートの主張が強ければグルーヴがあるかと言われると、そんなことはないじゃないですか。むしろビートの要素がなかったとしても、歌やメロディ、リフにちゃんとリズムがあればグルーヴは出せるだろうし。

ちなみにrowbaiさんは、いつも曲を作る時はリズムから組んでいますか?

リズムからの時もあるし、コードからの時もあります。使いたいサウンドから、という着想もある。自分は、音楽以外のところからインスピレーションを得て曲作りを始めることも多くて。これまでだと、とにかくネガティブな自分の気持ちを自分で消化したくて音楽を作っていました。大きく感情が動いた時に作りたくなる。やっぱり、何も言いたいことや表現したいことがないのに曲を作るというのが、私はできないんですよ。

それは、ご自身の中にあるモヤモヤした感情を音楽に変換して具現化したいのか、それとも音楽を作ることで発散したいのか、どちらでしょうか。

これまでは発散している方が多かったのかも。というのも、普段は(周囲に対して)シャッターを下ろしていて、「この音楽を聴いて私に気づいて」くらいの気持ちで作っていたので……。

気持ちいい音を出すということから始まる人やジャンルから入る人など様々なタイプのミュージシャンがいると思うんです。rowbaiさんの場合は気持ちの発散を起点にしているからこそ、つかみどころがなくて独自の音楽になっているのかもしれないですね。

そうかもしれないです。でも、ジャンルにハマらないからこそリスナーに曲を見つけてもらいにくいというのもある。難しいですよね。

先ほどDTMの良さとして音を重ねていける点があるとおっしゃっていましたが、即興的なアプローチについては普段どの程度用いてらっしゃいますか?

即興はピアノでずっとやっていたので、DTMにおいてもピッチベンドを使って音程を変化させながらシンセでフリースタイルする、みたいなアプローチはけっこう取り入れてますね。そういったサウンドはArcaに影響を受けています。

なるほど。Arcaと同じくrowbaiさんもご自身でシンガーをされていますが、制作過程において作曲と歌入れはどのように絡み合っているのでしょうか。

私はトラックを先に完成させてから歌を入れるというのはほとんどないんですよ。だいたい鼻歌みたいな感じで途中に入れる。やっぱりトラックを作るのって細かいところを色々作りこまないといけないので大変だし飽きちゃうんですよね。だから、先に鼻歌でもメロディを入れて曲っぽくしちゃうことで「いいねいいね!」ってなるじゃないですか。そうやって気持ちを盛り上げていく。あと、私はオートチューンが好きなんです。オートチューンは、声色を変えることで声というよりも音として扱えるから。

ビートと声を並列に扱えると。

そういうイメージですね。

「音楽は人生のようなもの」


『Dukkha』は非常に難産だったと伺いましたが、コンセプトについてはいかがでしたか? というのも、曲数は多くないものの非常にコンセプチュアルな作品だと思っていて。

コンセプトはたくさんノートに書きました。その中で「Dukkha=苦しみ」をテーマにしようというアイデアが出てきた。でも、もう作っていく中で最後の方は若干飽き飽きするというか、「もういいでしょ……」という気持ちになりました。ネガティブな気持ちを曲にして自分を保っているという生活を、もうやめたかった。そこから脱したいと思うようになったんですよ。だからこそ、『Dukkha』を作ることで苦しみから出発しつつも最終的には前を向いていけるようになった気がする。それまでは逃避していて、リアルから逃げたかったし、自分が人間であることから逃げたかった。あまり生きている感じがしなかったんです。rowbaiとして音楽を作っている時だけ現実の自分から逃れて自由でいられる、みたいな。逆に、今新たに作っている曲は体温がけっこう入ってきた気がします。今ようやく自分とrowbaiがちゃんと統合されてきた気がする。

rowbaiさんにとって、『Dukkha』を作ることで音楽に対する捉え方も変わりましたか?

私にとって、音楽は人生のようなものなんだろうなと思います。人生って、気づいたら生きていて、極端な話ですが今死ぬことだってできるじゃないですか。だけど、なんとか死のうとはしないで今生き続けている。音楽もそういう感じなんです。気づいたら身近にあって、やめる理由も特にない。だから、音楽は私にとって自分の人生のような感じ。音楽を大好きとも言い切れないし。なんとなく近くにあるなという感覚です。

空気のような存在としての音楽が、rowbaiさんの中で淡々と続いているような感じなのでしょうか。

そうですね。Twitterで、坂口恭平さんが作っているものを排泄物みたいなものとして捉えているようなツイートを見て。その感覚にすごく近い。

直接的にそういう音は入っていませんが、『Dukkha』には光や水や空気といった自然を感じるんです。空間に余白があって、瑞々しい音が残響とともに鳴っているからかもしれない。何か、ご自身の中でインスピレーションとして思い当たるところはありますか?

私、実家がすごく田舎なんですよ。しかも都会の人が思い浮かべそうな綺麗な自然ではなくて、陰湿な暗い田舎というか。ご近所づきあいにしても、ちょっと閉鎖的な感じ。家の側面全体に竹やぶがあって、サラサラサラ……って揺れる音がしたり、台風の時はそれが倒れて道を塞いでいたり。おじいちゃんが農業をやっているので野菜も果物もたくさんなっていて、そういう中で私は育ったんです。上京して大人になってからは昔を思い返しますね。実家にいた時は早く離れたかったけど、今思えば案外いいところもあるのかもな、って。もしかしたらそういう記憶から来ているのかもしれないです。

「brain fog」に顕著ですが、そういった自然を感じるサウンドに東洋の音階が乗ることで、エモーションが喚起されます。あの曲は〈許されない/恥晒した/周りの目/狭くなる視界/苦し紛れ/迷惑はかけない/ごめんなさい/呪いをかけた〉というリリックも、苦しみをどこまでも描ききっている。

「bain fog」を作っていた時は、一番のどん底でした。でも、具体的なことはもう忘れちゃった。


感情がやられている時、使う音に対してどのように反映されるかという傾向はありますか?

怒る元気がある時は、どんどんヘヴィになります。しんどすぎる時は怒る元気もないので、エレピなどの優しい音を使いがち。エレピの音って、複雑さがなく丸い音の印象なので。あとは、サウンドの構成要素が減りますね。「brain fog」のように音を減らしてシンセをシンプルに使ったり。

次作のキーワード「ナイーブ」の意味


ますます新作が楽しみになってくるわけですが、今作られている次作はどのような方向性なのでしょうか。

以前、ライブを観てくださったK/A/T/O MASSACREの加藤さんが「rowbaiさん激ナイーブなLIVEで最高だった…今はとにかくそういうのがなんかしっくりくる」というツイートをしてくださったことがあって。その時から、カタカナ語でいうところの「ナイーブ」という表現が自分にしっくり来ているんです。私はライブではすごく繊細で危なっかしいので、それも全部見せようと思っていて。自分のそういった弱さを受け入れることが、次回作で目指すコンセプトです。以前はネガティブな気持ちを元に音楽を作っていたけれど、最近はそこにようやくポジティブさも加わってきた。次の作品は、それらも全部ひっくるめた上での「ナイーブ」な音楽になっていると思います。曲は割とまとまってできてきているので、来年には出せるかもしれません。『Dukkha』でようやく自分で納得したものが作れたので、次もいい音を出したい。でも、音楽性でいうと『Dukkha』とは全く違いますよ。音楽性は結局つながっていかない(笑)。

全く音の想像がつかないですけど(笑)、とにかく次作もつかみどころのない素晴らしい作品になりそうですね。心待ちにしています。最後に、rowbaiさんが女性のトラックメイカーで刺激を受けている方がいらっしゃったらぜひ教えていただきたいです。

フランスのOklouです。「brain fog」は彼女に影響を受けた部分もあります。YouTubeで演奏動画や曲作りの過程などが上がっていて、自分とスタイルも近いのでとても参考にしています。彼女の作っている世界観に共感する部分があってすごく好きです。

Oklouのトラックメイク方法の解説動画

国内だと、uamiさん。一度ライブでお会いしたことあるんですけど、あの方はちょっと狂気を感じるしすごいですよね。uamiさんが出した「haloalo」という曲は、それこそ「brain fog」に近いナイーブさを感じて私はすごく好きでした。

あとは諭吉佳作/menさん。諭吉さんも自分と同じく地元が静岡県の方で、自分にはない才能を持っていてすごいなと思います。以前一緒にプリクラを撮らせていただきました(笑)。

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