Risa Taniguchi インタビュー 初クラブでの衝撃からDJ活動を経て探し続ける「刺激的な音」
日本のみならずアジアを代表するDJ/プロデューサーとして、近年めきめきと頭角を現しているRisa Taniguchi。彼女の活動で注目すべきは、やはりテクノの本場であるヨーロッパにおいての存在感であろう。そのプレイはアムステルダム・ダンスイベントやヨーロッパ・ツアーといったライブ出演だけでなく、スペインの〈Clash Lion〉からEP『Ambush』を発表し、Pan-Pot主宰の〈Second State〉、Dense & Pika主宰の〈Kneaded Pains〉などのレーベルからリリースを連発することでアーティストとしての評価も着々と積み上げてきた。
DJという立場で確固たるポジションを築きながらも、一からDAWでのオリジナル曲制作をするようになった経緯について訊いてみたところ、彼女からは「元々ソフトウェアの扱いは苦手だった」との答えが。Risa Taniguchiは、どのようにして曲制作のアプローチを身に着けていったのだろうか。また、海外での人脈はいかにして形成されていったのか。じっくり話を伺うことで、彼女がこれまでの熱い想いと泥臭い姿勢で活動を進めてきた背景が浮き彫りになった。
DJ活動の名刺代わりにもなる自分の曲を
DJは、大学生の時に始められたと伺いました。
大学1,2年の時でしたね。ファッションが好きなので原宿でアパレルのバイトをしていたんですけど、大学が23区外にあったので学校からバイト先まで1時間くらいかけて行っていたんです。そこに服が好きでクラブに行くような当時で言うところの「原宿キッズ」の子がいて、その子に連れられてクラブに行ったのが最初でした。
当時は今以上にクラブシーンとファッションが繋がっていたので、凄く自然な流れでした。そこで皆が踊り狂っているのを見て「何だこの世界は!?」って思うと同時に、自分も踊り狂った結果、自分が自分じゃなくなるような体験をしたんです。頭でっかちな性格なので、その後クラブミュージックについてどんどん調べて学んでいきました。
その頃行っていたクラブは、やはりテクノ中心の箱だったんですか?
2008年~2009年あたりなんですけど、フィジェットハウスやフレンチハウスが流行っていて、Daft PunkはもちろんのことBoys Noizeなどの四つ打ちがかかりまくっていました。
そこで衝撃を受けて、すぐにDJをやろうと思い立ったと。
「DJがこの空気をコントロールしてるんだ!」と気づいて、自分もああなりたいと思ったんです。私はそれまでクラシックをやっていて、大学に入ってからもピアノを弾いていたんですよ。それまで聴いていたのはクラシックが中心だったし、あとはロックを聴くくらいだったから、そこでエレクトロミュージックの刺激に初めてドハマりして。色んな音源を掘りまくっていく中で、自分でもそれをかけたくなってきて。
それで、大学に通いながらクラブで回し始めたんですね。
そうですね。私、大学の時が一番忙しくて、学費を自分で払っていたのもあって週6でバイト勤務するような生活だったんです。むしろ社会人の今のほうがまだ時間に余裕ある、みたいな(笑)。働いた後にバイト先で寝たり、単位も取りづらい大学だったのでけっこう学業も忙しかったりして。
そこからまずはDJとしてのキャリアを築いていくわけですが、オリジナルの曲を作ろうと思ったのには何かきっかけがあったんでしょうか。
当時のイギリスのダンスミュージックシーンが好きすぎて、大学3年の時に夏休みを全部使ってロンドンに遊びに行ったことがあったんです。向こうでMIXとか録りたくなったらどうしよう? と考えて、そこで「どうやらDAWというものがあればラップトップ一つでMIXが作れるらしい」ということを知り、Ableton Liveを買ったんです。渡英する前日に詳しい知り合いに使い方を教えてもらったんですけど、もちろんそれだけだと覚えられないので、自分で使いながら学んでいきました。ロンドンではMIXを作っていたんですけど、そのうち「そういえばDAWってオリジナルの曲も作れるんだよね」と気づいて、サンプル音を組み合わせながら作っていきました。
初めて曲を作ってみてどうでしたか?
難しかった! 忙しいし、こんな難しいことをするよりも自分はDJしてたほうがいいやって思って、そこから5、6年くらい本腰を入れて曲を作る、という感じではありませんでした。でも、20代後半の時にオーディオ製品の国内輸入代理店で働いていたことがあって、そこでちょっと勉強しないといけない環境になったんです。それまでは「MIDIって何?」ってレベルの知識だったんですけど、さすがにそれだとお給料もらえないぞと思って勉強し始めたら少しずつ理解できるようになってきた。そこで改めてがっつりAbletonを触るようになったんです。
大学の時に一回挫折された時は、どのあたりが難しかったですか?
そもそも自分は何かを一から自分で作る、ということが苦手なんですよ。クラシックで育っているから、作者が作った曲をいかに譜面通り弾くかという考えしかなくて、自分で作曲するという発想すらなかった。
なるほど。でも、仕事だったとは言え、その後奮闘して勉強されたのが凄いですね。
実は、欧米から離れたところでDJだけやってこの先生きていけるはずがない、という想いもありました。例えば海外で活動したいってなった時に、名刺代わりに聴かせる曲がないとDJとして今後輝けないだろうなと薄々感じていたんです。それで、やるしかない! と思って頑張りましたね。
大学の時にDAWを触って一度挫折した自分に今声をかけられるとしたら、どのようなアドバイスをしますか?
頑張ることでこれが達成できるよという明確なものがないと、ただ頑張れって言っても人ってやらないと思うんですよ。だから、自分だったら「今曲作りを始めることでもっと早いうちから世界中のプロデューサーに自分の曲を聴いてもらえるし、何ならロンドン行ってその場でギグがもらえるくらいになれるかも!」と言ってあげたい。それはマジで言ってあげたいです。もっと早いうちからやれば良かったなって思ってます。
クラブを意識してこその「刺激的な音」作り
DJを先にやっていたことで、曲作りにプラスになっていることはありますか?
そもそも私の場合はDJを経ていないと自分でオリジナルの曲を作ろうという段階にも行っていなかったと思うので、そういう意味ではDJは大前提ですね。あと、お客さんとしてフロアで刺激的な音に触れて踊り狂ったという原体験から全てが始まっているので、その聴き手としての感覚は一番分かっていて、そういったところを拠り所に曲を作りやすい。
となると、自分で作りたい曲とDJでかけたい曲と聴きたい曲というのは全て同じ?
一緒です。そこは繋がっていて、境目は全然ない。
Risaさんのトラックってストイックで硬派、かつ重くて攻撃的なサウンドだと思うんですけど、リスナーとしてもそういう音が好きということですね。
そうですね。私はどのジャンルでもあまり好みが変わらなくて、例えば子どもの頃からピアノを弾いている時は暗くて激しい曲が好きだったんです(笑)。たぶん、刺激が好きなんだと思う。
そんなRisaさんが、「これこそ刺激的!」と思う曲を知りたいです。
ジャンルはクロスオーバーしてしまいますが、自分が音楽を聴いていてゾクゾクするというか、アドレナリンが出てくるような感覚を覚える曲をいくつか紹介しますね。
なるほど、Risaさんの中での「刺激」を紐解いていくと、低音というのも非常に重要な要素としてある気がする。
2010年代って、日本のクラブシーンでもベース・ミュージックのトレンドが凄くて。スピーカーの振動でバーに置かれているグラスをいかに落とせるか? みたいな謎の議論もあったくらい(笑)。どうやって身体に響く周波数を作るかという点に皆が注目していたし、私はそのトレンドが原点にあるので、低音は刺激的なポイントとして重視していますね。
インパクトのある低音を作り出すためにこだわっていることはありますか?
低音って出せば良いというわけでもないし、出過ぎちゃっても気持ちよく踊れない。自分が作るようなDJのための曲って、あくまでクラブという場でDJがたくさんかける中のひとつを担うわけだから、そこで自分の曲だけ低音が出過ぎているのも違和感があるんですよ。どちらかというと、自分が作ったベースラインを気持ちよく聴かせるためのEQやキックとの兼ね合いのほうが大切ですね。
そのあたりの技術的なところは独学で学ばれたんですか?
そうですね。やっぱりベタですが、YouTubeに落ちている海外のチュートリアル動画にはたくさん助けられました。本当にこの時代に生まれて良かったと思う(笑)。テクノはAbletonとかが出しているチュートリアルもたくさんあるじゃないですか。どのデバイスを組み合わせてどのパラメーターを動かすかなどの具体的な技術は、とにかくそういった動画を見て叩き込んでいきました。あとはトライ&エラーを繰り返しながら先輩や友達にガンガン聴いてもらって、たくさんフィードバックをいただきました。
ちなみに、新しいテクノロジーは貪欲に取り入れるタイプですか?
自分はハードウェアに凝ってサウンドデザインを一からやりたいタイプではあまりないんですよね。どちらかというと、「こういう音楽を作りたい」というのが大きくて、それを実現するにはどういうフレームワークを辿っていくのがいいんだろうと考えるタイプで。だから、ソフトウェアを使うことが多いんです。でも、そのせいでどうしても手数が決まってきているのも感じているので、Ableton Liveに入っている、Max for Liveというプログラミングソフトをベースにして設計されているデバイスを実験的に使ってみることで、自分の作品にランダム性を取り入れ始めています。
具体的な制作過程も伺いたいのですが、私はRisaさんの曲だととにかく「How We Dance Again」が大好きなんですね。あの曲を聴くととにかく躍りたくなるし、もういても立ってもいられなくなってしまう(笑)。こういったタイトルでコロナ禍にリリースしたというのはそもそもそういった気持ちを狙っていたとは思うんですが、どのように作られたのでしょうか。
わ~、嬉しいですね! あれはベルリンの〈Second State〉というレーベルから出させてもらったんですけど、それまでもめちゃくちゃたくさんの楽曲を送ってたんです。その中でも、「How We Dance Again」は自分の中でMAXのテンションを出したんですよ。
そうですよね。抜群にテンションが高い。
作った時、私ちょっとやりすぎちゃったかなと思ったんです。でも、初めてレーベルから「これいいね! 絶対リリースしよう!」って言われて。それで、自分が思っていた上限よりももっとテンション高いくらいの方がいいのかなと気づいたんです。あまり作った人が言うことではないのかもしれないですけど、最初はちょっと恥ずかしいくらいの気持ちだったんですよ(笑)。でもクラブで流したらドーンって沸いて、良かった良かったって。そこで初めて大丈夫だったんだなと思った。
恥ずかしいというのは、分かりやすすぎるからということですか?
そうですね。あのメインのリフって、いわゆる90年代のシンセスタブの音なんですけど、サンプリングで作ってるんです。イケイケの音欲しいなって思った時に探して見つけたもので、サンプラーに通して適当に弾いてたらあのリフが出てきて。あ、これ良いかもしれない、と思った。
音階が快楽的で、盛り上がるんですよね。
ちょっとジュリアナっぽいんですよね。でも、人ってダサいとダサくないのギリギリの境目のところが一番上がると思うんですよ。あれがもうちょっと行き過ぎると、EDMの盛り上がりっぽくなるというか。そこまで行く一歩手前の「え、大丈夫?」って思うか思わないかのものが重なると刺激になるのかもしれない。
オンラインでつながる海外レーベルとの縁、コロナの影響も?
先ほどベルリンの〈Second State〉から出しているという話がありましたが、海外のレーベルからリリースしたいという方に何かアドバイスはありますか? やはりとにかく音源をたくさん送りましょうということでしょうか。
うん、それしかないですね。確かに、日本に住んでいるのにけっこう海外のレーベルから出させてもらっているので「どうやってるの?」ってよく聞かれるんですけど、そこにマジックはないと思います。自分はFacebookでレーベルのページを見て、小さく「デモはこちら」と書いているところから送ったりしていました。有名レーベルにいきなり送っても聴いてもらえないと思うので、その周辺レーベルや、そのレーベルから出した人が興した新興レーベルをリサーチしながらたくさん送りましたね。
最初、どのくらいの数のレーベルに送りましたか?
百まではないですけど、何十というレベルでは送ったと思う。
逆に、インターネットではなく現場での交流の延長線上で繋がりが生まれることはありますか?
現場で初めて会って仲良くなる、ということは稀ですね。海外のDJが来る時ってやっぱり皆忙しくて、運が良くても関係者室に行って挨拶できるくらい。そこで友達になるなんて難しいんですよね。それよりは、ネット上で交流して、その後初めて会って「君がRisaか~!」となる方が多いかな。
Black Asteroid やMaika Loubtéなど、コラボレーションも最近増えていますね。
コロナ以降、作り手も皆オンラインに向かう時間が増えたじゃないですか。そうなると、コロナが明けたら日本にDJしに行きたいから日本の人とコラボしよう、という発想はあったのかなと思います。海外の人とコラボすることでその国に行ける機会が増えますしね。
私は自分からコラボの話をしたことはまだないんですけど、例えばBlack Asteroidだったらインスタグラムでメッセージをいただいて、今度東京に行くから一緒に曲作ろうよってお誘いをいただいたり。
Maika (Loubté)ちゃんは一度も会ったことがない時にメールが届いて、良かったら一緒に作りたいですって言われて。いきなり彼女のスタジオに入って曲を作りました。
ご自身では、自分のどういった点が評価され声をかけられていると思いますか?
Maikaちゃんの場合は、自分が作る曲にはない要素を感じてもらえていた気はします。逆に、Black Asteroidはシンパシーを感じて一緒に作ったら面白いことができそうというケースなのかな。彼の美学やファッションセンス、ダークな雰囲気を見ると、自分もシンパシーを感じるんですよね。
なるほど。エレクトロミュージックシーンについて、海外と日本の違いを感じることはありますか?
エレクトロというとちょっと大きいシーンになるので私はそこまで捉えきれてないんですが、テクノの範疇で言うと、最近はヒップホップを二倍速にしたくらいのBPM150周辺の音が、ヨーロッパの若い世代のオーディエンスにはテクノとして認識されているようです。例えばAmelie LensもCharlotte de Witteもそうですけど、サイケトランスくらいのBPMのテクノじゃないと若者に受け入れてもらえないらしいんですよ。それってなぜだろうって色々調べていたんですけど、やっぱりコロナは大きいんじゃないかって。抑圧された結果、速いBPMや違法レイブが流行っている。それって日本と全然感覚が違いますよね。そもそも抑圧されていたものをクラブミュージックに向けるという若者の分母がどうしても数的に少ないし。
日本の場合はヒップホップやハイパーポップの現場がややそういった受け皿になっているかもしれないですね。あえて訊きますけど、Risaさんは自分の作品で今そういったBPM150くらいのテクノをやろうという気にはならないですか?
自分のDJにはブランディングが壊れない程度に取り入れてみるというスタンスではやっています。DJはお客さんの動向が大事なので。ただ、アーティストとして自分の作品には……うーん……さすがにここで急に取り入れると自分の世界観がブレてしまう気がする。トレンドに寄せすぎてしまうというか。無視もしないけどどっぷりも浸からないというくらいの感覚かなぁ。
でも、訊いておいて何ですが、そのくらいの距離感のほうがアーティストとしては長期で活動していける気がします。
本当にそうですよね。自分は長期的に活動したいと考えていたので、初めからそのくらいの距離を意識的に保っています。新しいものに飛びつきたい時も、ちょっと一呼吸おいて長期的に考えるようにしてきました。
なぜそういった思考が身についたんだと思いますか?
自分は子どもの時から、好きになったものに対する執着が凄いんです。DJを始めて少し経った20代後半の時に、たぶん自分はこのままDJをやり続けたとしても趣味で終わるんだろうなとふと考えて、「明日死んだらめちゃくちゃ後悔するな」とゾクっとしたんです。自分がDJを始めて鳴かず飛ばずの時代に、「仕事も忙しいし、何でここまで辛い思いをしながら体力を削ってやってるんだろう?」って思うこともたくさんあって。でも、それでも好きだからずっと続けられたんですよ。ということは、そのくらいめちゃくちゃ好きなことだから、これは長期的な活動をちゃんと模索していかなきゃと決めたんです。
入れ替わりの激しい世界ですし、Risaさんのそういった考えは色んな方の参考になると思います。これは毎回皆さんに伺っているのですが、女性のプロデューサーやトラックメイカーで刺激を受けている方はいらっしゃいますか?
Sakura Tsurutaさんが出られていた時に私やmachìnaさんの名前を挙げていただいてましたが、実際自分もその2人が日頃から刺激を受けている仲間で(笑)。女性、と限られるとやはり数が少なくて、トラックメイカーではないですが、VJのManami Sakamotoさんも含めた4人で集まる時には、曲作りに限らず自分の作品で生きていく上での様々な刺激をもらっています。
そういった方が近くにいらっしゃると言うのは良いですね! 最後に、今からトラックメイキングを始めようという方に対してアドバイスをください。
まずはとにかく自分の好きな曲をDAWに放り込んでリファレンスにしながら、音を出してトレースしていく作業が一番大事だと思います。真似をして再現しまくることです。最初は自分もその繰り返しでした。模倣を積み重ねることで、自分だけの音というのも少しずつ見えてくるはずです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?