王の話

総集編的に。ネタで書いてた「王の話」をちょとまとめ。


王の話をするとしよう


異国の地でプロとなった若者は自分の国で、始まったばかりのプロの振興に力を入れる。代表に選ばれ活躍するその姿を対戦国の記者が「王」と、いつしかその言葉が代名詞となる夢の場所のプレーは夢に終わったが彼は今でもプレーを続けているキングカズ。現役プロサッカー選手


王の話をするとしよう


若いときから注目されたイタリアのクライマーは、爆発力は凄いもののツアーで結果がなかなか出なかった。ツールでは新人ジャージの常連になる。彼が変わったのはジロでの勝利からTTで差が、あまり出ずにぎりぎりの差で総合をとった年からだろう。その同じ年のツールの山岳で17人抜きからの総合奪取。そこからダブルツールへ。
後は活躍もするが、同時にアメリカの覇王に押されヘロインへと逃げ成績も落ちる。最後は自殺という悲しい結末に終わる。
だが彼がその時代の山岳王であったことは紛れもない事実である。
イルピラータ、海賊 マルコ・パンターニ。彼もまた
王の一人である


王の話をするとしよう


漫画家を目指していた男は未来を漫画とは別で掴もうとした。彼の手は動きを捕らえそれを見る物の心も捕らえる、希有な手を持っていた。しかしこの国でも彼のその能力に気がつくのはゆっくりとしていて、もう一人の王との出会いがその状況を変えていく。もう一人の王と組んだ作品は観た物の心を捕らえ、そして人に伝え広めるという相乗効果を得ていく。
そうして二人は王国を作り、そこからの作品は人心を得てどんどんと広がり続け世界を手にしていった。
だが、老齢となり目指していた未来がぼやけていくと引退を言っては復帰を繰り返し今に至る。
宮崎駿。商業アニメの王。
そしてもう一人の王は高畑勲である。


王の話をするとしよう


高校時代前人未踏の三冠三連覇を制覇し、米国の大学へと進学したりそこから戻り新人王に。そこから米国のNBAの二軍で活躍。
2004年、NBAの地でプレーをする。以降日本へと復帰、未だに挑戦を続け昨年開幕のBリーグMVPを昨年獲る
田臥勇太 日本バスケの王である


王の話をするとしよう


産まれた時そのものは王の甥という立場だった。そこから中学で県大会優勝、高校から大学に行きそこで開花する。ノーヒットノーランや155km/hなどの目立つ成績も上げるが、世界大会でキューバ相手に勝利。そしてリーグ戦では14完封37勝をするまでになる。
プロに入る時に叔父に指名されるも他からの指名が勝ち1年浪人をしてまで叔父のところへと行く。
そうしてプロに入ると最初から2桁勝利をする。初年度だけは防御率も3点台だったが、その後は2点台前半から1点台で安定しもっとも点が取れない投手の一人として君臨する。その能力は最優秀防御率や最多奪三振をとっていることからも証明している。
菅野智之 日本プロ野球投手の王の一人である。


王の話をするとしよう


本人はまだ自分の事を王とは認めないかもしれない。だが歩んできた道は王そのものなのである。
最初作曲からその世界に入った若者は、そこから脚本の道へと入っていく。多数のヒット作に恵まれ脚本家として一流と言われ始めた頃に友人と会社を作りそこでも脚本として参画をする。そのまま脚本の道へといくわけでは無く「M:i:III」から監督として活動を開始する。その後怪獣映画やSF映画やテレビドラマでも監督としての能力を発揮するが、MTVのアワードでキーボード演奏をするなど音楽家としての面も見せる。
「スターウォーズ」の監督の記憶も新しい中、この度日本映画「君の名は。」の製作総指揮も発表される。
J.J.エイブラムス。ハリウッド映画の若き王の一人である。


王の話をするとしよう


彼は24歳で世界的大ヒット作の主役となり、そこからずっと55歳の今日まで「王」であり続けている。
出る映画全てがヒットするというわけではないが、大半は世界的ヒットに結びつけており、王の能力の片鱗を垣間見ることができる。そして彼はプロデューサーとしても優秀で、「ミッション:インポッシブル」で初めてのプロデューサーをしている。
年に1本から2本、出演作ではほぼ主役。そして出る映画で滅多にしなないことから「おトムさん」と日本のごく一部で言われ愛されている王である。
トム・クルーズ 愛すべきハリウッドの王の一人である。

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