天気の子について語りたい※ネタバレあり

※ネタバレし放題なので注意!

天気の子どんなもんかなーと思いつつも、予告編のグランドエスケープだけで泣けそうだったので思い切って見に行ってきました。
結果ぶっ刺さったので文章を書きます。
どこかで語りたくてもう我慢できませんでした。

前提

一応前提として、私は「彼女の彼女の猫」以外の新海誠作品を視聴済みで、「君の名は」があまり刺さらなかったタイプの人間です。
アニメや漫画は色々見たり読んだりしますが、考察ガッツリみたいなタイプでもないです。
例えば私はSound Horizonが好きですが、曲だけ聞いて考察は人のを読む……みたいなタイプです。
あと、天気の子はめっちゃ好きな映画だ!と感じた人間です。

語る

私はこの映画をひとことで表すなら、「帆高の主観視点で最後まで暴走しきった映画」だと思っています。
具体的にそう感じた点について、以下に語ります。

・エンディングについて

ストーリーの軸も演出も、全部が帆高の視点に偏っていて、エンディングも「帆高の視点から見れば」全力を尽くして手に入れたハッピーエンドだと思います。
私は基本主人公に入れ込んで感情移入しまくっちゃうタイプなので、基本帆高の視点で映画を見ていましたし、犠牲がありつつも爽快感のある良い映画だと感じていました。
最後のシーンまでは。

映画の最後、帆高が東京に向かい陽菜と再会するシーン。
陽菜は雨に沈んだ東京に向かって祈っていたあのワンカット。

私にはあのシーンが頭から離れません。
陽菜は地上に帰ってきてから数年間、毎日ずっとああやって祈っていたのか、いったい何時間祈り続けていたのか……

帆高に再会することができて嬉しかった陽菜の気持ちは本物でしょうし、
積乱雲の上から飛んだ時、陽菜自身がもう一度地上で暮らしたいと思っていたのも事実だと思います。

ただ、陽菜は帆高が思っているほど、救われてはいないでしょう。
あのエンディング後もずっと、「自分が人柱をやめたから東京は沈んだ」と考え続けるのでしょう。

「世界と引き換えに愛する人を救った」と考える帆高と「自分が人柱をやめたから東京は沈んだ」と考え続ける陽菜。
その2人がこれから本当に上手くやっていけるでしょうか?

もちろん陽菜の悩みを帆高が解決し、2人で幸せとなる未来もあるでしょうが、私はあまりそうは思えませんでした。
むしろエンディングの後こそ、これまでの新海誠作品のようなすれ違いだらけの毎日が待っているんじゃないかと思えてなりません。

・世界について

作品内で聞く「世界」というワードを考えた時にも、「世界」がとんでもなく帆高の主観視点で考えられたものであることに気づけます。

天気の子を見てからあちらこちらで感想を漁ったところ、天気の子はセカイ系だという意見を見かけます。
※セカイ系とは(Wikipedia)

世界を取るかヒロインを取るかといった点では確かにセカイ系で間違いないんですが、セカイ系というにはあまりにも範囲狭くないですかね。

最終兵器彼女だって、沙耶の唄だって、最後には地球レベルで滅んでるんですよ!
それが天気の子では?東京が3年かけてゆっくり沈んだだけ?
もちろん異常は異常ですが、客観的に見ればそれほど大きな被害ではありません。

それでも天気の子の中では「世界の形を変えてしまった」とはっきり言っています。
帆高にとって、家出してから須賀たちと楽しい日々を過ごし、生活費を稼ぐために青空でビジネスをし、陽菜を救うため警察に追われた東京は確かに世界そのものだったんです。

・まとめ

他にも色々、帆高視点の映画だなぁと感じた点はあるのですが、大きく分けると上記の2つが「帆高の主観視点で最後まで暴走しきった映画」だと感じた大きな理由です。

ぐだぐだと色々書きましたが本当に語彙力なくして感想だけ書くならめちゃくちゃ好きな映画でした。
アニメっぽいご都合主義で後半を一気に駆け抜ける爽快感とか!
考えられ得る最高のタイミングでグランドエスケープ流すところとか!!
終わった後思い出してみると本当に爽快に駆け抜けて良いシーンだったか?と考えさせれられる所とか!!!
沈んだ東京に祈る陽菜を見てすぐエンディングに入る絶妙な後味の悪さとか!!!!

多分また新海誠監督の新作が出たら映画館に見に行くと思います。
もし最後まで読んでくれた人がいたなら本当にありがとうございました。

おわり

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