海鞘日記(2024.7.26)
波板の浜辺の若き松林まだ小さけど天を目指せリ
カリュウ
リラックマ白きおなかやソーダ水
孟春
◎内面的な修行について
娑婆世界こそ壮厳な浄土であると維摩経は説きます。世の中は不条理、理不尽に満ちているように見えますが、因縁果の道理に貫かれていると私は考えます。
私がこんな状況にあるのも、全て自業自得です。
良い業、悪い業という原因があって、
さまざまな関係性の中でそれらが絡み合い、
結果として現在の状況に至っているのです。
お釈迦様は原始仏典の中でおっしゃっています。
善い行いをする者は善いところに生まれる
悪い行いをする者は悪いところに生まれる
その道理を知る者はどちらでもない第三の道を行き、全きニルヴァーナの境地に赴くと。
良い結果を求めて良く生きるというのは、無自覚に悪いことをして悪い結果を招くよりも賢明であります。
しかし、お釈迦様は第三の道を説かれました。
安らぎの道、ニルヴァーナを目指すことです。
私自身、英語の勉強を1日10時間はしようと思っても毎日はなかなか続きません。要領の悪い方法ですので焦りもあります。
知らず知らずのうちに良い結果を得よう得ようと一生懸命になっています。
失敗もたくさんします。欲も捨てられません。
自己嫌悪に陥ります。
ここで、考えてみると良いのが、
縁の法則です。
失敗した時や焦りが強まったときにこそ
誰かに支えられていた事に気付くのです。
私には両親の存在が大きいです。
まだ、健在でいてくれる事に感謝しています。
先の事を考えれば不安は尽きませんが、
今という時が有り難いです。
少なくとも、今という時の中では
思いっきり英語を学ぶ環境が用意されている。
その有難みに私自身思いを致さなければなりません。
そのように考えますと安らぎます。
気持ちが安らいだ中で勉強し、家事をする。
体力づくりをする。
それが修行である事に気付くのです。
そうすると結果に対しても適度な距離で考えることが出来るようになる気がします。
英語の勉強を完成させることよりも、
今勉強をしているということに意味があるのだと。
私もこの事について考えて分かるのでなく、
自然と身についているようになれば良いと思っています。
内面の修行とはそれが身につくように実践するということなのでしょう。
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