自分の目指しているもの(仮説)

(次の投稿は見やすさについて改善しようっと...読みづらくてすいません)

今日は自分が何を目指しているのかを内省していました。

##shaの生きる目的

50年後の日本人が幸せであること、という定義はしていたのですが、その中でどの「幸せ」に貢献するのかを悩んでました。

その「幸せ」は「努力が報われる」という方向かなと思っていました。

その内容が一段解詳細化したような気がしました。

(これもeumo academyの振り返り会のおかげかと思います。感謝。)


多分、僕の望みは、全員が情報を、各自のステージに合わせて扱える状態であること。なのかなーと思いました。

##情報を「扱う」の定義は

1.判断する

2.利用する

3.刺激を受けて自己変容する

だと思っております。

情報が扱いやすい状態であること、情報を扱っていても当たり前の環境であることが重要だと思ってます。

##情報が扱いやすいとは

→情報の可視化(情報はデータとコンテクストと2種類であると推察)

→UIやUX的な話(単に情報がある、ではなく、利用しやすい、判断しやすい、自己変容しやすい情報が望ましい)

の上で、

→情報の量が適切である(その人の臨む程度の情報である。深い情報を求める人には深く、少ない情報を求めている状態なら限ることができる)

あたりが要件になりそうです。

こちらは具体的にはオープンだけではなく、自分の臨む形に翻訳されているみたいなことが必要な気がします。(しかも自己変容があるので、心地よい、だと誤りの可能性が高い)

##情報を扱っていても当たり前の環境

こちらは心理的安全が担保されている環境だと思います。

これが広ければ広いほど幸せなんだろうと思います。

もう一つは、良い方向と各自が思っている方向で扱うことが「善いこと」という状態である必要がある気がしてます。そうじゃないと頑張る人は疲弊する+搾取する人が幸せになる文化になるので。


まだまだ粗いような気がしますが、何となく言語化できてきた気がしましたので魚拓的に貼っておきます。

(ここに資本主義や民主主義を重ねるとこのままでは解にたどり着かない気がしますがそれは次の宿題ということで。)




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