マッチングアプリの奴隷。
大学2年の春。
重たいコートを脱ぎ捨てて、なんだか心も軽くなるような気がする春。
大学内では桜が咲き、新入生をねらった新歓ビラ配りでにぎわう春。
僕は失恋をしました。
半年間の片思いでした。
憧れの先輩。彼女は、背が高くすらっとしていて、とても綺麗な女性でした。それなのに、しょうもない小ボケを言ってはニヤニヤ笑う。そんな彼女のギャップが好きだった。
僕はそれ以降、人を好きになったことがありません。
もしかしたら、まだ彼女のことが好きなのかもしれないし、そうではないかもしれない。
彼女とは失恋して以降、もう実に3年ほど会っていない。し、これからも会うことはないのだろうと、心のどこかで思っている。
失恋してからというもの、僕はマッチングアプリを乱用して女遊びに明け暮れていました。
彼女に翻弄され、彼女を想い、恋焦がれていた毎日の充足感を取り戻すために。彼女のことをもう、思い出さないために。彼女の代わりになる、また新たな片思い相手を求めて。
マッチングアプリには、多種多様な女性がいました。
写真はすごく綺麗だったのに、実際あったら顎が数倍に伸びていた人。話している最中にやたら「フガッ」と鼻をならす人。毎週、電話しているのになかなか会ってくれなくて、よくよく聞いたら子持ちの既婚者だった人。爪が長い人。息が臭い人。
中には素敵な人もいました。
美人だったし、性格も悪くない。会話は多少つまらなかったが、おっぱいは大きいし、退屈を埋めるには申し分ない。
それでも僕の心の空洞は、埋まる気配を見せなかった。
きっとどこかで。
僕はかつての片思いの彼女と比較しては、目の前にいる女性の粗探しをしていたのだろう。好きにならない理由をこじつけては、一晩の関係で済ませてしまう。どこかで、「もっといい女性はいるはずだ。」なんて思いながら。頭では、そんなの幻想だなんて理解しているはずなのに。
いつしかマッチングアプリをゲームだと思い込むようになりました。
息を吐くように「初めまして!可愛いですね!タイプです!」なんてメッセージを送り、電話をかけて「声、可愛いですね!」なんて言って会う日を決めて。出会っていつものトークで一人暮らしの家に連れ込み、流れ作業でセックスをする。口では可愛い可愛いなんて言いながら、頭の中では、この女脱いだらだいぶデブだな。ハズレだな。なんて思いながら。
このまま僕は、一生を終えるのでしょうか。いつだかに経験した純粋な「好き」という感情を二度と経験することなく。
気がつけば髪はなくなって、女性に相手にされなくなる。「キモい死ねよ。」なんて思われながらも若い女性と話すために、金を費やす。
僕が待ち受けるのは、そんな未来な気がしてなりません。
「愛することは技術である」とフロムは言いました。
人を愛することは、誰しも簡単にできることではない。子供が自転車に乗れるようになるために何度も転びながら練習するのと同じように、人を愛することを習得するには訓練が必要なのだ。まずは、目の前を愛そうとすること、そこから訓練する必要があるのだ、と。
僕は人をいつの間にか条件でしかみていなかったようです。
まるで、物件を決めるかの如く、頭の中で無意識に、「顔」「性格」「ユーモア」「スタイル」「年齢」「身長」「話の波長」...なんて項目で点数をつける。
より良い女性が、もっといい女性がいるはずだなんて思いながら、またスワイプする。
今思うと。
僕はかつてのマッチングアプリの奴隷だった頃よりかは、人をちゃんと人として見て、深く知ろうとするようになったと思います。
思えば、別に人はそんな簡単に点数がつけられるほど単純じゃなかったのです。
深く知ろうとすればするほど、思いもよらなかった素敵な一面が見られることもありました。本当に楽しいときは、こんな顔で笑うんだ。意外と、変なこと考えてるんだ、この子。意外と抜けてるところあるんだな。なんて。
前よりかは、人間として、人間らしく、人を愛せるようになった気がします。
それでも時々。
無意識に人を条件で見て判断して、勝手に喜んだり落胆したりしている自分がいることに気づく。
その度に自分は自分が恐くなる。
まだいたのか。あの頃の自分が。なにも変わっていないじゃないか。そんな風に。
僕は今後、人を本当の意味で愛せるようになるのでしょうか。人を物件ではなく、人としてみることができるのでしょうか。
別に人を条件でみることが悪いか否かは、この世の中において決められているわけではない。
そもそもこの世の中に良いも悪いも究極的にはないのでしょうし、仮に僕が人を条件で見ていたとしても、それは僕の中で起きていることであって周りに悟られないようにすればそれで済む話なのでしょうけれど。
それでも僕は、人を愛せる人間のほうがかっこいいし憧れるなあと思います。
世間を見れば、僕と同様に人を条件で判断する人が多すぎる。
人々は皆、己の利益だけを考えて、是非を判断する。
合コンでは、当たり前の顔をして年収を聞く。学歴を聞く。お医者さんなの?すごぉい!東大生なの?かっこいい!
くだらない。
他人は自分の写し鏡だ。って前職の先輩は僕に言いました。
言われた当初、なぜこのタイミングで彼は僕にその言葉を与えたのかわかりませんでした。
しかし、今ならなんとなくわかる気がします。
人はそう簡単に変わることはできない生き物です。理屈では理解し、頭では変わったと自覚していたとしても、まだどこかで変わらない自分が潜んでいる。
前職の先輩は、きっと僕の内に潜む、マッチングアプリの奴隷に忠告をしたのでしょう。
お前が人を条件でみるようになれば、周りにも似たようなくだらない人間しか集まらないよと。
多分、条件で人をみる方が、効率よくスペックの高い人に出会えるかもしれないし、ストレスも少ないかもしれない。
でも。
僕は、そうであったとしても、人を人として、ちゃんと向き合える人間になりたいと思います。
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