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2021/10/23 イマドキの野生動物

 2021年10月23日、東京都写真美術館で写真家宮崎学さんの写真展『イマドキの野生動物』に行った。その記録と感想。

 宮崎さんは長野の伊那谷出身。身近な長野の人間に話すと南信という地域で彼の地域とは多少文化が異なるが自然豊かだと言っていた。宮崎さんは小さい頃から自然の中で動物と触れ合い写真家となってからは「自然界の報道写真家」を名乗った。主な手法は動物たちの通り道にセンサー付きのロボットカメラを設置し無人で撮影するという方法だ。無人のために動物の自然な姿を撮影できるということだ。撮影された動物の表情はどれも安心感を感じさせ良い気分がした。川にちょうど橋のように大きな木がかかった場所があり、そこを映すように同じ場所から撮影された写真には猿や熊や猫など多様な動物がいた。その往来はちょうどブレーメン通りなんかと何ら変わりがないなと思った。宮崎さんは梟や猛禽の困難な撮影もした。日本に生息する猛禽全種類を初めて撮影に成功した人物らしい。森を知り尽くすということはないにしても森の様子を掴み、まるで森と会話をしているようだと思った。
 死という展示について。死んだ個体がどのように自然に帰っていくかが記録されていた。あらゆる虫や鳥や動物が餌や巣の材料として恩恵を受けていた。宮崎さんが語ったのは我々は死には目を避けがちだが死こそ生をうみ出すということだ。写真を見てその通りだと思った。我々は瞬間を死の上に生きている。死に囲まれて生き、いつか死ぬ。
 他の展示には住宅街に生きる小動物や東京の繁華街に生きる動物、東日本大震災の後人が住まなくなった住宅に出入りする動物、洗剤の蓋を背負うヤドカリなど考えてしまうものもあった。ただこれが良いとか悪いとかではなく時折自然の側から自分を見つめてみるという視点が自分には無意味ではないと思った。自分なりに何かしら考えて感想を持ちたいものだと思う。それは膨張しようとする自分との対話だと思う。生かされて、生かして、そう言った巡りが尊かった。このような良い気持ち、良い感情が自然な表情を持つ引き締まった肉体を持つ端正な動物たちの美しい写真を見ながら味わえたことは贅沢だった。そしてそのような撮影をした宮崎さんの追求は美しいと思った。森に何度も足を運び、カメラも自作だった。寒い日だったが暖かい心地だった。

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