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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY8 2001年冬 昼間、明洞】

次の日。
目が覚めるとSさんは着替えてパソコンに向かっていた。
「おはようございます」
「あ、起きた?おはようー」
鏡越しに目が合う。
「ごめん、仕事がはいったんだ。昼すぎには戻るよ」
「じゃあこのまま寝て待ってますね」
もう一度体を横たえると、Sさんの笑い声が聞こえた。

Sさんを見送って、一人になった。
空は抜けるように青くて、漢江からは水蒸気が立ち上っている。今日も寒いのだろう。
ガイドブックを見ながら大きなベッドでゴロゴロしていた。
ただSさんが好きだという気持ちだけで、一人で国境を超えてしまった。それがおかしくて笑ってしまった。わたし、わりと大胆だな。

11時ごろ、着替えてCOEXモールに向かった。

COEXには幕張メッセのような展示場が併設されていて、この日Sさんは展示会のスタッフとして行くのだと言っていた。ちらりと覗いたけど、看板の英語すら理解できなかったのですぐに通り過ぎた(映像や写真などの技術展だったような気がする)。

モールを少しウロウロして、日本で見かけない可愛い文房具を買った。 
新世界百貨店の地下でキンパを買って、部屋に戻った。
窓際のテーブルで景色を見ながら食べていると、Sさんが戻ってきた。テーブルをちらりと見て
「食べにいかなかったの?」
と言いながらコートを脱いだ。
「あ、僕はホテルで刺身を食べたよ。隣のブースのドイツ人が奢ってくれた」
聞いてもいないのにそう言ってバスルームに消え、着替えて出てきた。
「食べたら行こう。明洞なんていつぶりだろう?」

わたしたちはタクシーで明洞に向かった。
あの頃明洞のメイン通りには大きなスターバックスがあった(のちにバナリパになってたあのビルです)。
そこの3階にあがって、窓際で暖かいラテを飲んだ。

そのあとメイン通りをうろうろし、なんでも3つ10000ウォンの店に入った。ネクタイを真剣に選ぶSさんの後ろで「わたしが買ってあげましょう」と言った。Sさんは喜んで、時間をかけて選んでいた。
そのあとロッテ百貨店まで歩いた。
最上階の免税店までエスカレーターで一階ずつおりて、見てまわった。
「ベトナム風の家具、素敵だよね」
Sさんがそういったとき、この人が日本でどんな生活をしてるのかぜんぜん想像できないことに気が付いた。どんな家に住んで、どんな休日を過ごしているのか。一瞬、甘酸っぱい感情がおしよせてきたけど、すぐに押し戻した。

免税店は日本人で混雑していた。
「たくさんの日本語だ!わー日本に帰りたいなあ!」
屈託なく話すSさんを周りの日本人たちがちらりと見た。
「ちょっと!ここには日本に帰りたいなんて人、いませんって!」
と言うと、Sさんは「そうなのー?」と言って大きな声で笑った。

免税店で300ドルもするネクタイを見ながら「さっきのほうがいいね」と言った。「そんなはずないやろ!」と突っ込むとまた笑ってくれた。

緯度の高いソウルは、日が沈むのが遅い。
真冬でもまだ日は高くて、時計を何度も見てしまう。

「何か食べたいもの、ある?」
「参鶏湯!」
私が答えると「食べたことなかったの?」といって「知ってる店があるから行こう」と言ってくれた。

私たちは参鶏湯屋を目指した。

写真は2019年ソウル明洞のメイン通りから見たソウルタワー

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