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天才漫才師〜ベーブルース様〜

見取り図にはまってから、思い出したことがある。
わたしが初めて漫才師と話した日のことを。
25年前。
わたしのアルバイト先は、二丁目劇場の近くだった。
ダウンタウンを生んだお笑いの聖地と言われている場所だ。
その漫才師は多い時で日に三度来た。
漫才出番の合間だったのだろう。

ある日のこと。
バイト先の店は外階段を上がった2階にあり、客が階段を登ってくるのが見える作りになっていた。
その漫才師が店に入ってくると、後から制服を着た女子高校生が10人ほど階段を上がってくるのが見えた。
わたしは彼を店に入れたあと、女子高校生たちの前に立ちはだかり「高校生はお断りしています(実際そう張り出していた)」と言った。女子高校生たちは何度も振り返りながら、しぶしぶ階段を降りていった。
オーダーを聞こうと、漫才師の席に近づいた。
「ありがとうね。助かったわ。嫌なこと言わしてごめんね」
そう言って笑顔を向けてくれた。
「いえ。仕事ですから」
わたしは嬉しくて恥ずかしくてそう言うのが精一杯だった。
オーダーのミックスジュースを持っていくと、
「ありがとう。ここのミックスジュース、すきやねん」と言ってくれた。大学生だったわたしは気の利いたことも言えず、ただ「ありがとうございます。お仕事頑張ってください」と言うのが精一杯だった。

店にはいろんな漫才師がきたけど、コンビでよくきていたのは彼らだけだった。真剣に劇場のことについて語っていた。好感しかなかった。
それから彼を少しづつテレビでも見るようになった。ある深夜番組では大師匠に「天才やな」といわしめていた。わたしはなんだか誇らしかった。

天才と言われた彼はもう、いない。

あっけなく死んでしまった。
劇症肝炎という病名を初めて聞いたのは彼の訃報だった。泣いた。
軽やかに階段を駆け上って店に入ってくる姿を今も覚えている。

わたしが初めて話した漫才師。
ベーブルースの河本さん。
50歳を過ぎた河本さんを見たかった、NGKでトリをとる姿を見たかったと、若い漫才師を見るたびに思う。

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