川越児玉往還3 用土→新町宿〔完〕
夏の猛暑日に川越街道を歩いた時の暑さが幻の様で、朝晩は肌寒くなり季節はもう秋。川越児玉往還の地図が入手できたので、中山道の新町宿まで、夫婦で歩きます。何があるのが未知数なので、「何かあるのか・何もないのか」それも楽しみです。
2022.10.22
1.スタート地点まで
朝帰りの人の数が多く感じます。
昨夜渋谷ハチ公前で待合わせをしたのですが、人の多さに圧倒され、98%がアンダー30、もうビックリです。
寄居駅は、JR・東武・秩鉄の3路線が乗り入れてます。改札口と言った感じの場所がなく、無人駅用の自動改札機が、階段の上や通路中央に、ポツポツと置いてあり、不思議な風景でした。
八高線に乗り換えたのですが、反対方向に乗り間違えて乗ってしまいました。運よく2時間待ちの様にはならず、朝夕だけ時間に2本運行しているので、事なきを得ます。
こんな時の、小さな駅での待ち時間って思い出に残りますよね。
2.用土
美里町に入ります。
埼玉県には2つの"みさと"があり、それが三郷市と美里町。美里町は読んで字の如し、美しい里のある町でした。
朝食を途中で食べるのが習慣になり、楽しみでもあります。
カフェがあるとモーニングを楽しめるのですが、なかなかうまく行かず、そんな時はコンビニを利用。イートインが無い場合は、神社や公園での朝食。案外とこの方が思い出に残ったりして、旅は楽しいものですね。
3.鎌倉街道
今までは、江戸時代に整備された街道を歩いてきました。
鎌倉街道はもっと昔の街道。なので、江戸時代の街道から更に横道にそれます。これぞ"未知(道)との遭遇"!
本当にここを通って良いのか?
と思う様な道を進みます。オフィシャルな看板も出てますので、私道ではないと思われますが、恐る恐る歩く感覚が堪りません。
昆虫や野菜を楽しみながら進みます。というか、楽しくて楽しくて、なかなか進みません。
鎌倉街道。
30分弱でしたが、心に残る道筋でした。あ〜楽しかった〜、本来歩く予定の川越児玉往還からそれましたが、1番良かったかもしれません。街道歩きは本当に奥が深いです。
4.広木宿
酒屋さんが見えてきました。この付近が広木宿の中心地と思われます。
街道を歩いていて、宿場町の中心地がわからない場合の目安として、次の建物が現れると中心地の確率が高まります。
広木宿の中心部を過ぎました。
大きな屋台の倉庫がありましたので、お祭りの時は、賑やかになるのでしょうね。どの地域でも同じですが、コロナ禍で祭りが中止になった事と、高齢化や過疎化が重なり、後継者へ継続の機運や志が低くならないか心配です。
5.赤城山
川越児玉往還を歩いて、初めての一里塚跡。あまりにも残っていなかったので、無かったものと思う位でした。
一里塚は街道歩きのモチベーションを高めます。
ガリガリ君で有名な、赤城乳業千本桜工場。すぐ近くの小山川には、長さ5kmにわたり約1,000本の桜並木が植えられてます。5kmという事は1時間位歩ける長さ、凄いですね。
6.児玉宿
児玉宿の町並み、北関東地方の小さな城下町通の佇まいです。
八幡神社に、七五三の撮影をしている家族がいました。見ているだけで幸せになります。子どもは地球の宝物ですね。
7.養蚕のまち
この付近は養蚕業が盛んで、競進社模範蚕室は、養蚕業の学校の中に建てられた施設。変遷を経て、現在では群馬県立児玉白楊高校に至ってます。
約10年前、隣の神川町に月1回訪れる仕事があり、上の画像道を左右に行き来してました。まさかここを歩くなんて・・・・、街道歩きはそんな事の繰り返しで、毎回あちこちでそんな事を感じてます。
進行方向左側には秩父連山が眺められます。
江戸から最短距離で中山道に達するには、秩父を超えれば良いのですが、険しいので脇往還はこ 今歩いているルートを通っています。
養蚕業の名残りか、越屋根の家がいくつかありました。
付近の地蔵が被る帽子は巾着のような同じ形をしてます。同じ方が作ったのでしょうね。
8.梨街道
この付近に来ると、一面に梨畑が広がり、直売所や出荷組合の倉庫が目につき始めます。地域ぐるみで梨を栽培してきたのでしょうね。
この付近の地名は元阿保。北武蔵の豪族"安保氏"の館があった地域。堀に囲まれていた、大きな館があったそうです。
神流川の堤防で武蔵國も終わり。川越児玉往還の終点は何処になるのかわかりませんが、中山道新町宿を目指します。
9.武蔵國→上野國
群馬県のソウルフードもつ煮。
こんにゃく芋や、ネギの産地でもあるので、納得出来ますね。
住宅地の中にある古墳。元々古墳があった場所に住宅地のが建ったのですが、なんとも不思議な光景です。
10.藤岡宿
藤岡市内は、○丁目の主張が強いです。ドリフターズの東村山音頭♪を思い出しました。
里程標。
初めて見ました。神流川上流地域の町村への距離が記されてます。昔はもっとあったのでしょうね。
八高線のガード、低すぎます。
この下で列車の音を聞いたら楽しそうですね。
一里塚かと思ったら古墳でした。
工事をする時に制約が多そうですが、古墳が身近にある町って味があって良いですね。
藤岡宿の町中を出て、ゴールの新町宿を目指します。
11.新町宿
この付近では、公民館のことを公会堂と呼ぶのですね。ちょっとした言葉の使い方が違う事に気付くのも、街道歩きの楽しみでもあります。
上越新幹線・関越自動車道・高崎線・国道17号。
中山道と並走する近代の大動脈と交差して、跡少しで中山道に合流します。僅か30分歩く間に、中山道の子孫ともいえる4つのバイパスを横切る、面白いですね。
中山道板橋宿から別れる脇往還、川越街道から始まり川越児玉往還を経て5日間で、中山道新町宿に到着。
1番感動したのが、鎌倉街道を歩けた事。脇往還から右に逸れて鎌倉街道に入ってからは、なんとも言えない満足感でいっぱいでした。
遺構が少ない分、植物や生き物で楽しませて頂きました。
道端で拾った収穫物、左上から順に、カラスウリ、南瓜、栗、栃の実。
次は何処を歩こうかな?
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