【本の紹介】答えのない世界を生きる 小坂井敏晶

この本を私が読んだきっかけ

スタートアップに転職した元同僚と久々に飲んだ時に紹介されたのが出会いのきっかけだ。当社を僅か半年で辞めて新たな孤独な道を突き進んだ彼は清々しい表情をしていた。彼は私に問うのだ。「人生一回きりですよ。そんな見栄とか地位とかに縛られてるうちに人生終わっちゃいますよ?ワクワクしなくていいんすか?人生燃やさなくていいんすか?」と。

いやいや、そんな人生を賭して進みたい道、簡単に見つかるようだったら決めてるって。俺だって妥協してるわけでじゃない、自分なりに器用に立ち回って、自分なりに夢と現実の上手い折り合いをつけるように、誰にも迷惑かけず、それなりに褒められるように生きてるんだ。お前みたいに夢は持てない、でもこれはこれで・・・なんて苦しい言い訳をしながら熱く語る彼を宥めているときに、「じゃあ、これ読んでください」と勧められたのがこの本だ。

だいたいのあらすじ

この本は遥かフランスで社会心理学の教鞭を取る、きっと偏屈な60過ぎのおっさんの自叙伝だ。こう聞くと、おそらくみんな読む気を無くすだろう。自分もかくいうその一人だ。こういう本はだいたい相場が決まってる。自分のこれまで培っていた尺度で、自分の思う角度で、自分の社会を好悪で判断して切りまくる。そういうのに僕らはみんな疲れている。でもみんな「人生の指針」が欲しくて縋る。自己啓発セミナーみたいな、ありふれた本。悪循環だとわかっているのに、ついつい読んでしまう。その繰り返し。

この本で僕が最も好きなところは「答えが提示されない」ことだ。もっと言えば、タイトルの通り「答えのない」世界を生きてきた著者の泥臭い思考の過程が描かれる。

小難しくもなく、60過ぎまで大学生のような悩みを延々と引きずり続けたおっさんの自叙伝だ。こう書くと、少しは親しみを持ってもらえるかもしれない。

このおっさんは等身大の私たちだ。ただひたすらに自分の人生に悩み続け、どこかに答えが無いかと友人を頼り、本に頼り、いろんな挑戦に精を出す。そして人生も折り返し地点を過ぎて、下り坂のさなかで気づくのだ。「人生に答えなど無い」と。

皆さんにお勧めする理由

ここまで書いたら皆さんにもひょっとしたら初回にわざわざこの本を取り上げた理由を気づいてもらえたかもしれない。

この本はまさに新型コロナウイルスのパニックのさなか、まさに人生の答えが見えていたんじゃないか、それがとうとう失われてしまうかもしれない、と何もかもを錯覚している私たちに、「人生に答えなんて無い」と明確に突きつける本なのだ。この事件があろうとなかろうと、我々の人生は元からさしたる指針もなければ、定義された道徳も、画一された価値観も、何も無い。答えなんて無いし、未来も誰にもわからない、自分なんてものは極めてあいまいで、それら全てを脳汁絞って試行錯誤の果てに掴み取る泥臭すぎてカッコ悪いその過程こそが人生なのだ。元から存在しなかったものに、ただ気付いてしまった、それだけなのだ。

世には「べき論」が氾濫する。だが、それらは人間の現実から目を背けて祈りを捧げているだけだ。集団現象を胎動させる真の原因は、それを生む人間自身に隠蔽され、代わりに虚構が捏造される。「べき論」は雨乞いの踊りに過ぎない。しかし、それでも我々は「べき論」を語り続ける。それはストレスを発散するのと変わらない。

極めて手厳しい。でもそうなのだ。上から目線で世に物申すyoutuber、毒か薬かといえば毒だけを選択的に放出さえしてようにさえ見えるテレビ、政治を批判しフェイクニュースを垂れ流すtwitter、見た目の絢爛さばかりが蔓延る退屈なinstagram、どれもぱっと見はもっともらしく見えるだろう。すべてが虚構であり、退屈な幻影にも関わらず、だ。

自分の放つ日々の問いかけ、こういった紹介文、それらすべてでさえも虚構であり自己満足であり、虚栄心(今どきの言葉でいうならば承認欲求)を満たすものである。

そんな徒労は幾千年前から手を変え品を変え人生の先達も行っていたことであり、共に同じ時代を歩む他の人も行っていることであり、オリジナリティも独自性もない。

でもだからなんだっていうんだろう。自分は自分の人生を生き、他者と僅かでも関りを望み、這いつくばって先に進むしかない。他人の評価や見栄なんてくそくらえだ。でも、それと同時に、自分の人生を生きていくことはかくも切実で暑苦しいものであり、そうせざるを得ない切実さと表裏一体だ。眼を曇らせる何某たちに一喜一憂している暇なぞ無いのである。

「西遊記」を思い出そう。どんなに足掻いても釈迦の掌から逃れられない孫悟空。これが人間の姿であり、私の問いの出発点である。答えがあると誰もが勘違いしている。

刮目して本を読み、何が起こるかわからぬ未来にクヨクヨ悩むのではなく、一緒に「答えの無い問い」について考えたい。これがこの本を皆さんに紹介した理由だ。

最後に僕の敬愛する作家である舞城王太郎の作品より、本書にも通じるような、不器用で泥臭い試行錯誤の輝きを放つ一文を紹介したい。

だからとりあえず僕は今、この一瞬を永遠のものにしてみせる。僕は神の集中力をもってして終わりまでの時間を微分する。その一瞬の永遠の中で、僕というアキレスは先を行く亀に追い付けない。(舞城王太郎「九十九十九」より)


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