書けないときの、傾向と解決策。

ここ数日、三ヶ月に一度くらいの割合で目の前に立ちはだかる、書けないという強固な壁に直面している。どうやっても話が浮かばない、書こうとしてもその壁に弾き返されてしまう。まあしょうがない、そんな時もある。もうこうなったら書けない壁に体当たり!その気持ちを素直なことばに変えて、解決策を練ってみよう。


ひとまず日常の出来事をふり返ってみる。思いついたことばを、メモアプリにポチポチ入力してみる。さらにはnoteにある文章の公開履歴を読み返してみたり、あれこれと、本を読みあさったりもする。それでもまだ書けないんです。数行書いてみたものの、話が膨らみかけて消えてしまうのです。


目はどこか、一点を見つめている

こうなるといよいよもう、諦めの境地に入り開き直ったかのように、寝そべって天井を仰ぐ。そうかと思えば、急にムクッと起き上がり、無意味にその場で軽いストレッチや運動を始めてみたりもする。


ここでまた、気持ちをさらりと入れかえてみる。ヒントを得るべく自分が日頃、読んでいる本や文章の特徴を、いくつかここにあげてみよう。

日常の可笑しみあふれるエピソード。
家族間のほのぼのとしたお話。
独自の目線で物事を解き明かしていくもの。

これは、書くことにおいて私が目指すところではないか。


しかしそれとは別に、自分でも気づいていながら、気づかないふりをしていることがある。

いつからか、人の評価を意識して書いている自分がいる。もちろん、公開するからにはそこを重視して考えるというのは、良いことだ。問題は、自分自身の向き合い方にある。最近の私はことばをふるいにかけ、そこから表向きの良いことばだけを選別して書いている。すると自分の想いが動いていない文章ができてしまい、しっくりこない。

その反面、話がのっている時はことばに動きがプラスされ、文章にリズムが生まれ、踊っているかのように見えてくる。ことばに独自の想いをのせて、自由に変化させながら書く。それが出来ていなかったんですね。


ここでようやく、答えが解明できました。「ことばとの向き合い方が大事だ」ということです。それでは、今週も文章を公開してみます!よろしくお願いします。