習字の授業と、先生。

小学生のとき、生徒たちの間で、ものすごくこわいと恐れられている先生がいた。その先生は女性であった。なにか具体的な例をあげるというよりは、とにかく口調や態度が荒々しく、ただただこわいという話。それまで上級生から受け継がれてきた、良くない噂が、巡りめぐって大勢の人の耳にはいり、誇張されてきたのだろう。


まるで、破裂寸前の風船のごとく膨張した噂ばなしは、子どもたちの間でさらにふくらみを増していく。失礼を承知の上で書くと、昔ばなしの架空の鬼のようなイメージをもっていました。(先生ごめんなさい)


先生は習字の顧問をしていた。そのころ学校では、学年が変わる時期にさしかかっており、それにともない、まもなく習字の授業が開始される。色んな噂もあいまって、私たちは初めての習字の授業をビクビクしながら迎えることになる。


いよいよ授業の日。先生が、教室に入ってきた。教室はしーんと静まり返り、みんなの表情も一気に強ばる。先生は教壇に立ち自己紹介をする。第一印象は、大きな声と大きな口でガハハと豪快にわらう人といった感じ。声にも独特の張りがあり、ソプラノというよりはアルトよりの太く通る声色。ハッキリとした口調からは、気をぬくと叱られそうなピリついた雰囲気も感じられる。


が、ただでさえ緊張感ただよう空気にさらされるなか、先生は私たちにこんなお題を用意していた。


「まずはじめに、○と△ を書いてみよう」


… 気ぬけした


てっきり最初に練習する文字は、かんたんな漢字の 一(いち)あたりを想像していたからだ。だが、先生はこわい。この一風変わったお題に意見を言うものは、一人もいない。


初めての習字の授業で、ひらがなと漢字をさしおいて、まさかの『○と△』の記号を書くという奇妙なループ。感情はまざり合い、幼い私の心は、もうなんだかよくわからない方向を示された迷い子のような気持ち。先生はこわいし、○と△ を書く意味もわからない。書き方を教わりながら黙ってうつむき、筆と向きあうフリをしていた。


書き終わると、順に先生のもとへ行き列に並ぶ。『○と△』を書いた半紙を持ち緊張した面持ちで見せにいく。だんだん、前に並んだ列の間隔が狭くなってくる。ひとり、ふたり先生が座る席へと近づいていく。ついに、わたしの番がまわってきた。そこでわたしは褒められたのか?記号を直されたのか?


うん。つまりあれです。緊張でガチガチだったことしか、思い出せないんです。


念のため、ここに記しておきます。授業が開始されてからの間、つよく叱られたとか、ましてや体罰をうけたという訳ではないのです。ではなぜ、こんなに脅える必要があるのでしょうか。おそらく、噂がもたらした先入観に、みんな一様に呑まれてしまったのでしょう。


時を経て大人になり、あの時『○と△』を書いた意味を自分なりに解釈する。文字を書く上で ○と△ は基本の「基」の部分にあたるということだ。

それは、ひらがなの『お』の文字に集約されていると考えた。書き順を追っていくと、○と△のような箇所があいだにあり、それを基本に書かれているように見える。○は右下のしなやな曲線の部分、線は△の辺。左下の小さく曲がりくねったところは、△そのものの形状といえるだろう。


十数年たって、たどり着いた『○と△』の意味。ところでなんで、こわい先生ってずっと心に残っているの?