車の運転。

車の運転中、私の視界になにかが映り、ルームミラーに目をやる。そこには後方の車が映っている。明らかに近い距離。右へ左へふらふらと揺らしながら、こちらの様子を窺うように、急いでいることを匂わせてくる。


道路脇の制限速度の標識を見る。目の前のスピードメーターはそれ以下を、指す。標識にある速度を超えてはいない。ちょっとなに?私の方が合っている。それなのになぜ間違っている、貴方の方が追い立ててくる?


その距離は、煽りというにはまだはやい、微妙な間隔を保っている。間隔をあけながらも、詰め寄ってくるのが見てわかる。


そして右サイドミラーに目をやったその時!

ついに痺れを切らしたのか、その車は片側一車線にもかかわらず、私の車の運転席側、ななめ後ろから大きく半円を描きながら、対向車線にはみ出した!それはまるで、猛烈な勢いで高速のボールが予測不可能な方向から飛んでくるかの如く。
(ちょっと大げさ)

そしてさらに、近距離ではないものの、片側の対向車線の右前方からは、車が走ってきているのが見えるではないか。追い抜くために、右側にはみ出した車とも正面からぶつかりかねない。あろうことか、その車は対向車線側の車にまで危険を犯しながら、追い抜こうとしている!


「あぶっな、やばっ」


反射的に、その言葉が口から飛び出す。そしてスピードを緩めることなく、急激な勢いを保ったまま、私の車を追い抜いて走り去ったのだ。あっという間の出来事に唖然とする私。なんということだろう。事故に至らずに済んだから良かったものの、私の車のみならず、対向車線側の車にも言いようのない不安感を与え、自分の運転を主張する。ぶつかっていたらその人自身、対向車、そして私、あるいは他の車も巻き込んでの大惨事になりかねない。


これが、いまに至るまで何度もある。何にそんなに急いでいるのだろう、そこにどんな用事があるのだろうか。

日常で「せっかち」という言葉を耳にする。この言葉を運転中の危険行動に置き換えて、使うことがある。あまりにも、安易すぎる。そのくらい人にとって自分にとって、考えるべきことなのだ。

もし仮にノロノロとした運転が発端となり、後方の車に迷惑をかけていたとする。それならば話は別だ。そうではなく、こちらはあくまでも一定の法定速度を守りながら走っている。正しいのは守っている方なんですよ、まったく。


そしてたった今、気づいてしまいました。


『こどもの日』にこんなことを書いてしまう私にもまったくだ。もっと健やかに、あかるく陽気にたのしくーですね!


はい。ではなにごともどうか穏やかに、そして客観的に。自分をゆっくりコントロールしつつ心と身体を落ち着かせ、みんなの安心と安全を守ることを、心がけたいものですね。