「雑談」

一見無駄だと思われていることが、実は一番重要だった。なんてことが、たまにある。


最近よく人の本音とはなにか、という事を考える。ここである一つの言葉に行きついた。「雑談」 という言葉である。雑談というと、「無駄話」 というイメージがあるけれど、つきつめて考えた時そうではないなにかが、この言葉には隠れている気がする。


そこで  「雑談」 という事から連想した言葉をいくつかここに、あげてみる。

居酒屋・昼下がり・トイレ・学校帰り・コーヒー・ドライブ 

まあ、多少なりとも思いついた感はあるものの、これらの場所と場面、物などには時に 「雑談」 がつきものである。そう考えたのだ。


では 「雑談」 とはなんだろう。わたしが思う「雑談」 のイメージとは。

その場の流れで取りとめのない話をする。ゆるい会話をしながら、ただ淡々と過ごす。そして、時に話しが思わぬ方向に盛りあがり、長話へと突入する。要するに、気を使わない相手との会話のことだよね。


これを様々な現場に取り入れて、活かすことは出来ないだろうか。いうならば、一旦人との余計な心の距離を取り払い、構えることなく自由に語り合う場を設ける、そんなこと。

たとえば、仕事で新しいアイデアを提案する時などに 。

年齢や経験に関係なく、だれもが自由に考えを持ち寄り、気持ちの内側から自然に出てくる言葉に身をまかせ、遠慮なく話をする。そのなかで相手に共感したりお互いを認め合いながら、答えを求めすぎることなく話を進めていく。あくまで自由にをコンセプトに、そこで出たアイデアを交換したり、膨らませていく。予定調和ではないけれど、それが結果として意味を成す会話になってくる。

そうすることで、人間関係も円滑に進み、早い段階で、人の本質が表立って分かるようになる。人との心の距離が近くなることで、アイデアも提案しやすくなる。その結果、物事の流れがより良い方向に変わっていく。

でもこれは、理想ではあるね。けれど考えることは、無駄ではない。もうすでに実践している所も、あるかもね!