忘れてはいけないこと。

人に対して持つ印象は、千差万別である。

子どもの頃、外見や印象で性格を決めつけられることが苦手であった。ある日、祖父母に連れられて買いものへ行った。
記憶は曖昧だが、おそらく祖父母の知り合いらしき人が、私を一目見るなりこう言った。「まあ!賢そうなおとなしい子ですね」そのとき、自分とかけ離れたイメージで見られたことに妙な居心地の悪さを感じた。


人には良い面があれば、悪い面もある。
失敗だってする。たまには、ゴロゴロ怠けたい日もあるだろう。思いを口に出すのは簡単だ。けれど、誰もがこころの位置を調整しながら、あたえられた時間を上手にやり過ごしている。

このところ、メディアなどで報道される有名なスポーツ選手を見て思うことがある。マスコミが同行する毎に、選手の行いを連日に渡りニュースでとり上げる。そして「素晴らしい!見習うべき」と拍手喝采といわんばかりに讃える。その過剰ともとれる世間の反応に、違和感を覚えてしまう。


有名な選手ともなれば、知名度も高い。
大人のみならず、子どもからも絶大な人気を誇る。注目される立場を踏まえた上で、自ら選んだ人生を懸命に誠実に歩んでいる。世界に選ばれし、唯一無二の存在なのだ。けれども、常に評価される対象として見られることに、ストレスを感じることはないのだろうか。当然、それらの行動や佇まいは、喜ばれる行いであり誇らしくもある。


しかし、私たちはその有名人とされる人々に、過度に期待をしすぎていないだろうか。どんなに優れた才能の持ち主であっても、一つや二ついや、三つと欠点はあるだろう。過剰に望まなくとも、人前に立つものとして最低限のマナーと心構えプラス、素敵な笑顔とプレーが見られれば十分である。


一方で、多くの人目に晒されることのない私たちは、広い括りで分けた場合、一般人とされている。では、私たちは人として誤った行動をしないのか?一日の終わりに行いをふりかえり、反省することもあるだろう。完璧な人なんて誰一人として、存在しないのである。


あるコンテンツの対談で、有名な選手がゲーム好きだということを初めて知った。
私は「この人ゲームするんだね、意外だなあ」極端にいうと「人間的な一面もあるんだ」とすら思ってしまったのだ。そのくらい偏った勝手なイメージを抱いていたことに気づく。私はどんな目線で、一人の人を見つめていたのだろう。


忘れてはいけないのは、立場は大きく違えど、彼らも私たちと同様に、なんら変わりない一面を持つということだ。


性格を表すことばに「ありのまま」という表現がある。そういう一面があってこそ人であるし、自分でもあると思うのだ。



うわっ、どうやら気温も暑い上に自分の気持ちも、ヒートアップしてしまったようです。これではもう、暑苦しさのオンパレードですね。涼やかにあたまと体をクールダウンすることにします!