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デザイナーになりたい願望

大学を卒業して、最初に勤めたのはアパレル業界でした。
ファッションが大好きだったので、それに携わる仕事がしたかったのが理由です。
大学の専攻は中国語で、中国に携わる仕事がしたいとも思っていたのだけど中国関連はまだ先でもできると思い、まずはアパレルの道を選ぶことにしました。

職種は販売員でした。
多くの業界で研修的にまずは現場に入って商品を知ることを取り入れているけれど、一定期間の販売業務ではなく終わることのない販売業務期間としての採用でした。

中には、本社採用の同期もいて彼らは数か月のショップ経験を終え本社に入っていきました。
私は羨ましく彼らの後姿を見送る。
本当は私もデザインをやってみたかったのです。

田舎の高校生だったころ、雑誌で見るようなかわいいお洋服は近所で手に入る場所もなく思うようなおしゃれが楽しめない環境でした。
都内に行くにも時間と交通費をかけて、それなりに労力のいることだったのです。
今のようにネットでモノを買うことがそれほど主流ではなかったのです。

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」ばりに、「カワイイお洋服が売ってなければ作ればいいじゃない」と自分で洋裁を始めたのもこの頃。
幸い、母が洋裁の手習いがあり子どものころからミシンを使って何かと作ってくれたこともあり「お洋服を作りたい」と駄々をこねる私に手ほどきをしてくれました。
雑誌を見て素敵だなと思ったデザインを見よう見まねで基本の型紙に取り入れる。
細かな部分を自分の好きな色やステッチを入れてみる。
かわいい!欲しい!と思い描いたお洋服が形になって、それを身にまとえるのは本当にうれしかったし、楽しかった。
そして、服作りに夢中になった。

ある程度欲しかったお洋服が手に入り意気揚々と外に来て出かけ自尊心を満足させると次に湧いてくるのが「オリジナルのお洋服を作ってみたい」というもの。
自分のアイデアを形にできたらどれだけステキなことなのだろう?ワクワクするのだろう?と挑戦しだしました。

開始して早々に気が付くのは
「私、デザインなんてできないわ」
というもの。
残念ながら模倣はできてもオリジナルの発想というものがまるでないのです。
「1→2」はできたとしても「0→1」はできない。
これが私なんだ。
そう気づいてからはオリジナルのお洋服を作ることはあきらめました。
同時に、デザイナーになりたいという気持ちもさっさとあきらめたのです。

あきらめた、というより自分の可能性に自分で蓋をしたというほうが的確かもしれません。
できない自分を見たくない、傷つきたくないが故に。
それでも消化できずにくすぶっているから折を見てまた吹き出したりもするのですけれども。

その後のくすぶりの様子↓


現在はクリエイティブとはとてもいいがたいお仕事をしています。
自分の得意や好きを使っているのでそれなりに楽しんで満足もしています。

ですが、時々思います。
これもクリエイティブな仕事なのではないかと。
端的にいうとサポート業務なのですが対象となる方の夢や希望を叶える具現化はこれもまた新たにモノを生み出しているな、と。
相手のイメージを形にして落とし込むことは昔思い描いたファッションという自分の大好きなカテゴリではなかったけれど乱暴に言ったらクリエイターの一端と言ってもいいのではないかと。

視点を外してモノの見方を変えればそれはそれで夢がかなっていることもある。
知らず知らず、自分の得意や好きを生かすとこういう形のデザイナーになったのです。

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