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素敵でいたいのは誰のため

世の中にSNSというものが浸透したおかげで、知りたくもない情報が不意に目に入ってきたりする。
例えば、昔の恋人の消息とか。

う、と一瞬ひるむけれどそれでも好奇心が勝ってつい読んでしまったりする。

わりかし普通のお父さんになっていたり、仕事をがんばっていたり人によってさまざま。
サヨナラの理由もそれぞれだけど、あの時努力していたり何らかのきっかけがあったら私も今とは違った未来があったかも。と彼らがあの時選択した未来の姿を見ながら思う。

以前はどんな原因で別れたとしても、いつ、彼に見られてもいいように一般的に素敵な自分でいたかった。素敵でいようと努めた。
「あなたと別れても十分幸せなワタシ」をいつでも見せつけられるようでいたかった。
その気持ちは裏を返せば「私と一緒にいるよりも他の誰かと幸せでいないで」という気持ちにも近い。
どれだけ負けず嫌いなんだ。

ちなみに私の中で「一般的に素敵なワタシ」とは、具体的にいうと「仕事で実績を残しているワタシ」だった。
あなたの力を借りなくても私は1人で十分やっていける、といったところか。
どれだけ男性と張り合う気なんだ。

先日、うっかり元恋人の投稿を目にしてしまった。
気が付いた時にはもう文字が目に入っていて、彼が頑張っていたお仕事が広く評価されているようだった。
ほわー、がんばってるなあ・・・。夢が、叶ってよかったね。
彼が迷うことなく自分の望む道への選択をしていった結果を穏やかな気持ちで祝福した。

現在、ふと昔の恋人の様子を目にしたとしても以前のようにに強がって「素敵な自分でいよう」という気持ちが起きないのは自然に今の自分に満足している、つまり十分幸せなのだと思う。
人は不幸せな時ほど虚勢を張りたがる。
弱い自分を見せたくないのだ。(私だけか)
・・・どれだけプライド高いんだ。

今でも「仕事で実績を残したい」と思う。
でもそれは誰かに見て欲しいからじゃなくて純粋に自分に何ができるのかチャレンジしたい気持ちに近い。
別れた恋人に払う虚栄心なぞとっとと捨てていればもっと早くこんな気持ちに気づけたかもね。

不幸な自分を守る呪いのような「仕事で実績を残しているワタシ」という鎧をまとおうとする私はいつまでも砂を搔くような空回りの努力しかできなかったけど今はシンプルに働くことが楽しい。

これは素敵でいたい理由の基準が誰かじゃなくて自分になったからこそ得られた気持ちだ。
今は、自分のために、自分が思う素敵な私でいたい。

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