靡きへの贖いについて

 タシカニ脳は、楽な方へ楽な方へいこうとする。

 自分であらゆる観点から考えて、これはやるぞと決めたこと、例えばジムで毎日運動するとかいうことが、次第におろそかになったり、不規則になっていくことに、脳は?正当な理由をつけようとする。

 明らかにそれはいいわけだよね、というのは克服することは比較的容易である。ところが、これは「あらゆる観点から考えて」遺伝なんじゃないかと思うことは、ある種のオブセッションとして迫ってくる。それは遺伝だから無理だとか、遺伝だから仕方ないとか、血が違うとか、血に関していろいろいわれると、ああそうなのかもしれないなあと靡いてしまいそうになることが少なくない。他人から、冗談でもそんなようなことを言われたらショックを受けるか、自分でも想像できないほどぶちぎれるだろう。

 たとえでっちあげででたらめだとしても、遺伝的形質を持ち出されるのには生理的な不快感がある。そして、脳が楽な方へ靡きやすい。しかし、それこそ、そこにこそ、自分がなんとしてでも向かい合わなければならないことがある。それとのたたかいから、今まで何度逃げだしたことか。これで、今もまた逃げだしたら、これまでと同じことを繰り返すことになる。もうそれは、やめよう。

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