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mid90s

映画の中盤に、『ギャップ』を飛び越えるシーンがある。建物にぽっかりと空いた隙間を飛び越える行為には、いったいどんな意味があるのか。『ギャップ』は何を意味しているのか。 この映画で語られる『ギャップ』とは、それぞれの子どもたちが抱えている「孤独」なのではないだろうか。孤独は暗くて深くて、大きくて、怖い。そこに向かっていかなければいけない、越えなければいけない。落ちないようにしなければいけない。 スティーヴィーは確かに孤独を感じていたかもしれない。けれどもそれは、自分で創り出

    • 『羅生門』芥川龍之介_「わかる」ということ

       芥川龍之介にとっての「愉快」とは、いわばすべてを理解していることを意味する。人間という存在、そしてその人間たちが生きている世界=現実世界をすべてわかっていることを意味する。芥川は「愉快な小説」を書きたかった。けれども書くことができなかった。書けないまま、「羅生門」でいえば「下人の行方は、誰も知らない」ようにしてしまったのである。  芥川は「自分の頭の象徴のやうな書斎」(=「日本間の二階」)で、「悪くこだわつた恋愛問題」についてしばしば伯母のフキと喧嘩をする。  芥川を憂

      • 『水声』 川上弘美

         「よくわからない話だった。」  川上弘美の小説を読んだ人がこう言うところを何度か聞いた。もしかしたらこの感想は、非常によく当てはまっているのではないかと思う。ストーリーの展開がよめるよめないとか、難しい言葉で書かれているとか、そういう「わからない」ではない。もっと何か大きな「わからない」なのだと思う。  むかし、友人から「最近、変わったね」と言われたことがある。私は全く変わったつもりもなかったから、その時は少し驚いて、「そう?」としか言えなかった。けれども後になって考える