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ある喫茶店のいちにち



今日もまた、甘い一日が始まってゆきます。


おひさまの光が、カーテンの隙間から瞬くころ、トゥルークピルトにある『えいんふぃらー』という名前の、ちいさくて可愛らしいお店のマスターは、もう起きて、エプロンを結んでいました。
よし、と気合を入れてから、指の先に魔法をこめると、お菓子作りは始まります。
とんとんとん、とリズミカルな音で、新鮮な果物を切ったり、かしゃかしゃっと回る泡立て器の先には、ふんわり優しい生クリームの波が出来ていたり・・・
ふんわり焼けたケーキのスポンジは、みるみるうちにドレスを着飾り、ショーウインドウの中で順番待ちをします。
やがて、何もなかった一面のガラスが鮮やかに彩られたくらいになると、二階から自作の機械を持って、スーツ姿のけだるそうな男の人が、いつもの定位置に座りました。
この人は、コーヒーにちからが入りすぎちゃうマスターの代わりに、なんの変哲も無い美味しいコーヒーを淹れてくれる、いつもお店の奥に座っているだけの人でした。
その人と自分の前に、マスターは簡単なごはんを並べると、両手を合わせてからフォークでぺろりとたいらげます。
この人とマスターの朝は、いつも変わらずこんな感じ。
二人を恋人同士だと思っている人は、たくさんいるのだけれど、当の本人たちは、どうなのかしら?ねぇ。


さてさて、そうこうしている間に、おひさまも大きくなって、ぐんぐんと高く昇ってきました。
さぁ、お店を開ける頃合いです。
トゥルークピルトでは時間が存在しないので、いつも曖昧気分しだい。
なのでマスターは、いっつも最初のごはんを食べてから、お店の札をくるりと回すんです。
それでも、しばらくは誰も来ません。
この街はかなりのお寝坊さんが多いので、いつものこと。
その間にも、マスターはゆっくりゆっくりケーキ以外の甘いおやつを用意します。
すると。

「ナー。今日も果物を持ってきた」

挨拶がてら、大きな荷物を持って入ってきた少し身体の大きな男の人は、いつも自分の育てた果物や野菜を持ってきてくれる、マスターの古くからのお友だちでした。
マスターがお店を始めると知った時も、快く持ってきてくれた優しい人で、実はちょっとだけマスターのことが気になっているんですが、マスターは知りません。
今日もまた、楽しくお話をして、にっこり笑顔で二人はお別れしました。

しばらくして、紅茶ポットが魔法の熱で温まってきたくらいでしょうか。
猫のしっぽが上下に揺れて、扉がゆっくりと開かれます。
チリンチリン、と小さくなったベルに顔を向けると、マスターはいつもの満天の笑顔でご挨拶。
本日、初めてのお客さんです。
おずおずと閉まる扉に、猫のしっぽのドアノブが、また上下に小さく揺れると、お客さんは窓際の席に座りました。
厚手の表紙の、ラズベリーと同じ色のメニューをめくってから、お客さんは少し緊張したようにマスターを呼びます。
甘酸っぱい果物の紅茶と、今日のおすすめケーキがひとつずつ。
マスターはメモにささっと書いて、カウンターの奥へ戻ると、また指先に魔法を灯らせて、しゅるしゅるっとかわいく楽しいケーキのお城を、お皿に一つ作ります。
かちゃかちゃと、楽しげなマーチを響かせてテーブルへ紅茶と並べれば、それだけで小さな王国が出来上がりました。
ドキドキしていたお客さんも、ワクワクした顔から、ニコニコ笑顔に大変身。
ふわふわっと心地よい気持ちに包まれて、幸せ気分でルンルンと帰って行きました。
そのあとにも、一人、二人と入っては幸せに帰って行って、そろそろおひさまがゆっくりと、まどろんでくると、お店の中はすっかり満員になっていました。
その中でもポツンと空いたカウンター、一番奥の特等席。
誰もわざと開けているわけでは無いのですが、不思議と、いつもの常連さんが来るまでその席は殆ど誰も座らないのです。
すると、噂をしていたからでしょうか。
いつもの常連さんが、いつものように少しだけカリカリしながら、眉の間にシワを作って入ってきました。
彼が座るなりメガネをくいと上げるのを見てから、マスターはそれでも少しだけ嬉しそうに、自分で淹れたコーヒーを、その「自称・すっごい魔法使い」さんに出すんです。
そうすると、決まって魔法使いさんは、ぐいぐいと勢い良く飲んでから、

「あぁーーーまずい」

と口にするのです。
実はこのマスターは、コーヒーを淹れるのがあまり得意ではありませんした。
美味しいものを淹れている、淹れようとしているんですが、どうにも苦いものだとチカラが篭りすぎてしまうようで・・・知らないで頼んだ人には、いつも何だか不幸を渡してしまっている。
そんな気がして悲しくなっていました。
だって、夢だった喫茶店をせっかく開いたのに、主であるマスターのコーヒーが美味しく無いなんて。
一緒に暮している男の人の淹れたコーヒーの方が美味しいって言われるだなんて。そこまでがっかりするような出来事は他にあるでしょうか。
ですが、この魔法使いさんだけは何だか違っていました。
初めからずっとずっと「まずい」とは言うのですが、決して不幸そうな顔をせず、それでいて、毎日来ては飲んでいってくれるのですから。
(いや、確かに元々から幸薄そうではあったんですけど。)
だから、マスターは、この胡散臭い魔法使いさんのことが、嫌いにはなれなくて、いくらまずいと言われても、ついつい笑ってしまうくらいには、なんとなく温かい気持ちになってしまうのです。
とは言っても、魔法使いさん、一度来るとコーヒーを一杯頼んだだけで、ずっとずっと居てしまうんですけどね。

バタバタとした合間が落ち着き始めて、お仕事の途中でパスタを食べにくる、常連の探偵さんも満足そうに帰ったくらいのころ。
控えめな鐘の音が響いて、扉の奥から大きな背丈の、ヤギ角の生えた男の人が、角の生えたよく似た小さな子を抱きかかえて入ってきました。
身体を前に乗り出す男の子が落ちないよう、指輪が光る大きな左手で支えながら、ヤギ角の人はいつものようにプリンをたくさんと、ドーナツをたくさん。あと、ゼリーと、ヨーグルト、最後にシュークリームを頼みました。
さすがに全部包むのは大変なので、座って待っててもらいます。
奥で座って機械をいじっていた男の人は、マスターに言われてコーヒーを淹れると、座っていたヤギ角の人の前に差し出しました。
魔法使いさんとヤギ角の人は常連さん同士だからでしょうか。少しだけ会話を交わします。
その間にマスターは頼まれたものを全部包み終えると、会話の途切れたタイミングで包みをテーブルへと置いて行きました。
ヤギ角の人は、魔法でそれを全部消してしまうと、コーヒーを一気に飲み干してから、マスターへお金を多めに渡して、北東の方にある街はずれの幽霊屋敷まで、笑顔で帰って行きました。

その頃には、もうおひさまもだいぶ眠くなってきていまして。
魔法使いさんも、ようやく重い腰をあげて扉から出て行くと、しばらくした後に、扉の札をくるりと裏返して看板をしまいこみました。
賑やかだったガラスケースの中も、すっかりと空っぽになっていて、マスターはにっこりと笑いながら、明日のケーキを思い浮かべてエプロンを脱ぎました。

そしてまた、喫茶店えいんふぃらーはゆっくりと夜の帳を降ろすのです。


******

そんなわけで、創作の街にある、喫茶店「Einfühler(えいんふぃらー)」のお話でした。
お話に出てくるマスターは

このマスターと同じ人なのですが、一緒に住んでいる「機械を持った男の人」はこのマスターの文通相手さんです。
上の「mӦgen.」というのは、この二人のだいぶ昔の話になるのですが、基本的な二人の関係性は、ここからずっと変わっていないのかもしれません。
仲良くなった今も。

▷登場人物の紹介などは以下にちょろっとあります。


こんな感じでちょろちょろっとでも出していけたらいいなぁ。

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