好きという感情の理解

これまでの人生で人を本気で好きになったという自覚があるのは中学1年のときまでで、それから高校、社会人と経験してきて「好き」とはどういうことか、わからなくなった。

あるひとは
何をしていてもその人の顔が浮かぶ、らしいし、
あるひとは
お金がなくてもこの人さえいればいい、と思うらしいし、
あるひとは
無自覚なほどにそのひとに依存している。

正直言ってこのすべてが私にとっては「理解ができない」ことがらである。

そもそも「好き」という感情は「理解するもの」なのかどうかすら、これを書いていて疑問に思う。

私には遠距離恋愛をしているはずの彼氏がいるが、なぜ付き合っているのか、と聞かれるとなんでだろう?という疑問が湧いてくるようになった。
恋愛か?これは、という状況。
ただ関係が長いというだけで、質はそこまで濃くない関係。
私は結婚願望もないし、自分の人生を自分らしく生きることに舵を切っている。
その中に彼の姿はあるかと言われれば、ないと今は感じる。

会社のために生きてきたようなこれまでの人生はもううんざりで、
誰かに左右される人生は嫌だし、指図してくる人ともいたくない。
結婚したら、私は実家に帰らねばならないだろう。
私のもとへ来る気もない人のために、なぜ私が人生をなげうってその人の妻になるために地元へ帰らねばならぬのか、正直疑問である。
そういう世の中の風潮も疑問である。

これが潮時というものなのか
なにを話されても、どうでもいいなと感じることばかりで全くそそられないし、そんなどうでもいいことをなんで気にしてるんだろうとも思う。

私はどちらかといえば目的志向の人間で、どうでもいいことに対しては目的がなければ関わりたくないと考える人間だ。
だが、人と信頼を気づくためには雑談、目的のない話、話すことを目的としなければいけない場面があることも学んだ。

私は、果たして彼と信頼を築きたいのか?
正直わからない。
築きたい、とは思わないが解なのかもしれない。

愚痴のように書きなぐってしまったので、まったくまとまらないが
終止符を打つ方向で動いてみようと思う。


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