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日本蕎麦屋と腹芸

この記事は,「昭和のラーメン」の姉妹記事です.できれば先に「昭和のラーメン」をお読みください.

私は日本蕎麦が好きです.のびていたり,水切りの悪いものや,そば粉が悪かったりうどん粉が多いなどで,ベタベタくちゃくちゃするなどの出来の悪い蕎麦であっても,残さず食べてしまうほど好きです.もちろん,蕎麦で重要なのは,麺と汁の出来で,私の好みで良い悪いは十分感じていながらの話です.私の好みの基準は明確ですが,それを取り上げてここで述べるのは止めておきます.それは別の話としましょう.ここでは店と人について述べたいのです.

贔屓の蕎麦屋は,そばの美味さが自分の基準に合っているのは当然で,私が一番重視しているのは店と人です.店の客扱いは最も重要です.客は常連になっても常連ぶっていはいけません.また,お店も誰かを特別扱いしてはいけません.一見さんでも常連でも平等に扱いましょう.私が気に入って良く行っていた店は,店の中では特別扱いをしません.私も周りの客に不愉快な思いをさせないように常連ぶったりしません.そして,店の人が私に何かくれる時には,勘定済ませて外に出ると外で待っていて手渡しするのです.大変感じの良い機転の利くこの店主一家に私は感心しました.また,これとは別のやはり行きつけの店がありました.この店には,昼と夜と1日に2回蕎麦を食べに行ったこともあり,私は大変な蕎麦好きと思われていました.たまたま,ある昼の混雑時でしたが,注文を取りに来る順番が呼ばれたはずみでしょうか,私より後に来た人の方に先に行きました.私は黙っていたけれども,何か不愉快でした.私は顔に出る質ですから,注意深い人なら表情で感じたかもしれません.しかし,この店の主人は,できた蕎麦を持ってくる順番を,先に入店していた私を先にしたのです.このような機転の利く腹芸が人間の感情にはとても重要です.腹芸は相手を思いやる人情ですが,何かの利益を得ようとする駆け引き(こちらは忖度)とは全く異なるものです.外国では言葉で言わないこと,心が通じないというようなことが言われますが.私の知っている外国の友人は日本人以上に腹芸が通じます.人間は相手の気持ちを思いやる力(腹芸)を持っているようです.私が行きつけになる店は,そのような心を持った店主のいる店です.

そのような店には共通点があります.例えば,蕎麦を食べ終わったら,すぐ蕎麦湯を持ってくるような店です.別に,客の食べ方を監視をしているわけではないのに,実に自然な良いタイミングで持ってきます.逆な例で,ある店でのことですが,いくら待っていても蕎麦湯を持ってくる様子がないので,店員に「蕎麦湯お願い」と言ったら,店員が奥に向かって「蕎麦湯だってよ」といったのでした.「この店は客が蕎麦湯を飲んじゃいけないのか」とつい口からでてしまいました.私は東京生まれで東京育ちだから,ちょっとだけ江戸っ子気質が加わってへそまがりです.知ったかぶりや権威者には反抗したくなります.腕自慢ぶっている店主やネットの評判は怪しいものです.行列で待たせたり,平気で伸びきったりビチョビチョの蕎麦を出したりします.自分で確認しなければネットの評判は当てになりません.ある蕎麦屋に入つたときでした.「いらっしゃい」という声がかかりません.空いている席に座っても,奥から店主がこちらを見ています.他の客もいないのに来る気配がありません.もう一度「お客さんだよ」と私が呼びかけても何の返事もないので,私は「帰るぞ」と出てきてしまいました.このような蕎麦屋はだめです.

TVなどで紹介されたり行列のできる蕎麦屋でもそれほど美味しくないことはよくあります.そして,ただ蕎麦が美味しいだけでは私の好みの蕎麦屋にはなりません.相手の気持ちを思いやる腹芸が一番大事なお店の条件であると思います.

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