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群論ことはじめ

原著は:
Ian Stewart; Taming the Infinite: The Story of Mathematics from the First Numbers to Chaos Theory ; 2011 by Quercus (first published 2007)

邦訳があります:
イアン・スチュワート著,「無限をつかむ」,近代科学社, 2013

ロシアの科学雑誌エレメントにあるのは:
エレナ・ポゴシアンによる英語からのロシア語訳
Иэн СТЮАРТ; Укрощение бесконечности: История математики от первых чисел до теории хаоса ; Издательство «Манн, Иванов и Фербер», 2019 г.

ロシア語版では、第13章が全部公開されている(ちょうど群論の事始めに当たる内容)ので翻訳しましたが、邦訳が出ていることもあり、ここで私訳を公開するのは止めて,要旨の公開にします(ロシア語版の若干の誤訳は修正).

この本のロシア語版は2019年に4000部の出版でした.なかなかの部数です.
ソ連時代に,ロシアの本を入手するには,出版前のカタログを見て,ナウカ書店か日ソ図書センターに予約申し込みをするのでした.予約申し込みをしておかないと出版数が少ないので入手できません.そのころのロシアの書物の定価はけた違いに安いのが魅力でしたが,現在はそんなことはありません.しかし,日ソ図書センターも1996年になくなり,ナウカ書店も2006年になくなりました.現在は,それらの後継の日ソ(場所を移動し),ナウカ(神保町のまま)としてインタネット時代に対応した販売活動をしているようです.

■さて,本題に戻り,公開されているロシア語版の第13章の私訳を,私の視点から骨組みにそって要約します.私の注目点は;
①ガロア原稿(カバー写真)の価値を発見し,1846年にガロアの論文を出したリウヴィル.リウヴィルは,統計物理学のリウヴィルの定理やエルゴード理論の人だと思っていましたがガロアの概念の発見者であったとは.
(注)相空間(数学の位相空間と混乱するので,ガンマ空間と呼んだ方が良いかもしれない.粒子数$${N}$$のときは,$${6N}$$次元の状態空間)の粒子の分布関数の体積は変わらないという定理.
②ガロア以後の群概念の発展.ジョルダン,ヘルダーの仕事.
結晶空間群が含む並進群が正規部分群であることを利用して,商群を作り,結晶点群に準同型に対応させる仕組みの基礎は,ジョルダン1869,ヘルダー1889にあること.

第13章 方程式を解かない方法
群論の発見

5 次の代数方程式を解く試みがことごとく失敗したことから生まれた代数の一分野が,数学者による群論の発見です.群論が対称性の研究に使われるようになったのは,群論の発見から 50 年後のことです.対称性は、物理分野でも生物分野でも多くの用途があり,分野を問わず本質的な重要な概念であることが明らかになり, 今日では,群論は数学と科学全般のあらゆる分野で不可欠なツールです.
1900 年頃に,アンリ・ポアンカレは次のように述べています.群論こそは数学の全体でありその本質である.

群論の転換点は,若いフランス人のエヴァリスト・ガロアの研究でした.しかし,ガロアの概念が突然現れたわけではありません.代数方程式を解く努力が続き,4次方程式の解の公式は作れるが,5次方程式の解の公式はなぜできないのかを考える時代になったのです. ガロアの後も,数学者の研究は続きましたが,数学における群の概念の必要性を最も明確に提示し,それらの基本的な特性の多くを記述し,数学の基礎に対する群論の価値を実証したのはガロアでした.

方程式を解く

群論の歴史をたどれば、2次方程式を解いた古代バビロニアの粘土板にまでさかのぼる.バビロニア人の方法は,実用的な目的のための計算技術でしたが,平方根の取り方と算術の基礎をマスターすれば,2次方程式を解くことができます.

バビロニア人が 3 次方程式や 4 次方程式の解にも近づいていたことを示すいくつかの証拠が,粘土板で発見されています.ギリシャ人,そしてその後のアラブ人は,円錐曲線を使用して 3 次方程式を解くための幾何学的方法を発見しました.(直線と円ではこの問題を正確に解決できません.ここではもっと洗練されたものが必要で,円錐曲線が登場しました).彼らは,幾何学的手法のシステム全体を使用して,考えられるすべての種類の 3 次方程式を解きました.しかし,3 次と 4 次の方程式の代数解(解の公式)は,デル・フェッロ,タルタリア、フィオール,カルダノと彼の弟子フェラーリの仕事,ルネッサンス期の登場を待ちます.これらの式は非常に複雑ですが,その本質は単純です.係数間の算術演算と平方根と立方根を使用して,任意の 3 次方程式を解くことができ,算術演算,平方根,立方根,4 乗根(開平を2回繰り返す)を使用して任意の 4 次方程式を解くことができます.このパターンを延長すれば,算術演算,平方根と立方根,4乗根,5乗根を使用して 5 次の方程式を解くことができるように思われました.同様に,任意の次数の方程式にでも,式が非常に複雑で見つからないだけで,解の公式が存在するであろうことに誰も疑いを持っていませんでした.

しかし,何世紀も経過したのに,これらの公式は発見されませんでした. そこで,何人かの優秀な数学者は,舞台裏で何が起こっているのかを理解しようとし始めました.既知の方法を統一し,それらの解の解ける理由を明らかにするため詳しく調べることにしました. 同じ一般原則を適用してみれば,5次方程式の秘密が明らかになるかも知れない.

ラグランジュは、この方向で最も成功した系統立った仕事をしました.彼は,古典的な解の公式を再考しました.方程式の根の関数で,根を入れ替えても変わらない対称的な形を利用すると,3次方程式の場合は2次方程式に還元でき,4次方程式の場合は3次方程式に還元できることを見出した.しかし,同じ手法を5次方程式に適用しても4次の分解方程式を得ることができなかった.この発見は,後に,一般の5次方程式の根は,四則演算とべき根をとる方法では表現できないことの証明に繋がるのだが,ラグランジュは5次方程式の解の公式はあるとまだ考えていたらしい.

解説)
2次方程式$${x^2 + px + q = 0}$$の根と係数の関係というのを高校で学んだと思います.2根を$${x = a}$$ と $${x = b}$$とすると.$${a + b = − p, ab = q}$$です.これらの式は,2根$${a, b}$$に関して対称式です.これが2次方程式の場合の分解方程式です.式$${a-b}$$は,$${a, b}$$を入れ替えると符号が変わり対称式ではないが,$${(a-b)^2}$$は対称式で,$${(a-b)^2=(a+b)^2-4ab=p^2-4q}$$となり,$${a-b=±\sqrt(p^2-4q)}$$.
つまり,$${a + b = − p}$$と$${a-b=±\sqrt(p^2-4q)}$$から,2根$${a, b}$$を求めると,$${(-p±\sqrt(p^2-4q))/2}$$が得られます.根の公式に係数の四則演算と開平が出てくる理由が見えるでしょう.

注)すべての 5 次方程式には解があります.解は複素数であり,数値的にはいくらでも正確に求めることができます.問題は,これらの解を係数の四則演算とべき乗根で記述できないということです.

解決策を見つける

ラグランジュの考えが浸透してゆくにつれ,おそらく5次方程式の代数的な解はないのではないかという見方が強まっていきました.
**************中略*********************

この不可能性を証明しようとした最初の科学者は,1789 年にモデナ大学の数学教授に就任したパオロ・ルフィニでした.対称関数の性質に関するラグランジュの考えを研究して,ルフィニは1799 年の著書「方程式の一般理論」で,「次数が 4 を超える方程式の代数的解法は不可能である」ことを証明したと主張しました.しかし,彼の証明は非常に長く (500 ページのテキスト),一部に誤りの噂があり,誰もそれをチェックしようとはしませんでした.1803 年に,ルフィニは新しい単純化された証明を発表しましたが,好意的な反応はありませんでした.

ルフィニの最も価値ある貢献は,置換という操作を合成できることを用いたことです.置換の積という(置換群の演算)代数が,5次方程式の秘密を解く鍵でありました.

アーベル

ルフィニの考えの大筋は正しく,わずかなギャップを埋めればよかった.
若いノルウェー人のアーベルは,1823 年,5次方程式には代数的な解がないという完璧な証明を発見しました.アーベルの戦略はルフィニと同じだったが,彼の戦術はより成功しました.彼はルフィニの仕事について最初は何も知りませんでしたが,後にそれを正確に読み,その不完全性を主張しています.彼はルフィニの証明の特定の穴を指摘しませんでしたが,アーベルの証明のステップの 1 つは,まさにルフィニの研究に欠けていた1ブロックであることが判明しました.

彼は,2種類の代数演算を区別することによって,この問題に対処しました.一連の異なる値から始めるとします.それは具体的な数でも,未知数が多い代数式でもかまいません.これらから,加算,減算,乗算,または除算によって,他の多くの量を構築できます.単純な未知の$${x}$$の場合,$${x^2,3x+4}$$または$${(x+7)/(2x−3)}$$ などの式を形成できます.代数的に,これらの式はすべて$${x}$$自体と同じ基礎を持ってい ます.

既存の値から新しい値を取得する別の方法は,べき根をとることです.たとえば,単純な値のべき根をとってもよいし,加減乗除の結果に,べき根をとっても良い.

このようなシークエンスをベキ根の塔と呼びます.方程式の解の少なくとも 1 つがベキ根の塔で表現できる場合,その方程式はベキ根で解けると言われます.しかし,その解を探す代わりに,アーベルは単純にそれが存在すると仮定し,ベキ乗の塔を通して元の方程式がどのように見えるべきかを問題にした.

アーベルは無意識のうちに,ルフィニの証明にあるギャップを埋めていた.彼は,根号を使用して方程式を解くことができる場合,元の方程式の係数のみを必然的に含む,この解につながる根号の塔が存在するに違いないことを示しました.これは,代数方程式の解に関するアーベルの定理です.

アーベルの不可能性証明の鍵は、巧妙な補題でした。方程式の根$${x_1, x_2, x_3, x_4, x_5}$$から何らかの式を作り,そのp乗根(素数 p)をとったとします.2つの置換を適用しても,元の式が変わらなかったと仮定しましょう.

$${S : x_1 , x_2 , x_3 , x_4 , x_5 → x_2 , x_3 , x_1 , x_4 , x_5}$$

$${T : x_1, x_2, x_3, x_4, x_5 → x_1, x_2, x_4, x_5, x_3}$$

アーベルは,Sと Tを適用しても,この式のp乗根も変わらないことを 示しました.この補題を用い,一段一段「塔」に登り,不可能であるという定理を証明します.5次方程式がベキ根で解けると仮定しましょう.つまり,係数から始まるベキ根の塔があり,それに沿って特定の解にたどり着くことができます.

塔の 1 階,係数を含む式は, Sと Tの変換を適用しても変化しません .これは,それらが係数ではなく根に影響するためです.したがって,アーベルの補題によると,塔の 2 階も S と T を適用 した後も 変化し ません.同じ理由で, Sと Tを適用しても 3 階は変化しません.4階,5階,最上階まで同じです.

しかし,最後の階には解決策が含まれています.$${x_1}$$でいいのか?そうであれば,Sを適用したときに$${x_1}$$は変更されないはずです.ただし, Sを$${x_1}$$に適用すると,$${x_1}$$ではなく $${x_2}$$が得られます.これは私たちには合いません.同様の理由で, Tを適用した後,塔によって決定された解が$${x_2, x_3, x_4}$$または$${x_5}$$にならない場合があります.5つの解がすべてそのような塔から除外されているため,実際に解を含めることはできません.

この論理的な罠から抜け出す方法はありません.ゆえに5次の方程式には代数的解がありません.根号の解は相互に排他的な性質を持つ必要があり,したがって存在できないからです.

ガロア

数学史上最も悲劇的な人物の 1 人であるエヴァリスト・ ガロアは,5 次方程式の解の謎だけでなく,代数方程式全般の解明を引き継ぎました.ガロアは,べき乗解で解ける方程式と解けない方程式を決定するという課題を自分自身に課しました.多くの先人たちと同様に,彼は代数解の鍵は順列置換の結果としての根の振る舞いにあることを理解していました.問題は対称性でした.

ルフィニ と アーベル は,根の表現が対称である場合とそうでない場合があることを理解していました.ある置換に対しては対称だが別の置換では変更される,部分的に対称な量です.

ガロアは,ベキ根を付加して表現できる関数の対称性がベキ根を付加する前の対称性と異なることに気付きました.それらはシンプルで非常に特徴的な機能を備えています.それぞれの置換の集合をガロアは群と呼びました.

一般5次方程式がベキ根で解けない理由は,それが解くことのできない構造の対称性を持つだ.一般5次方程式に伴う群(ガロア群)は,5つの根の置換すべてからなる群,この群の代数構造は方程式がベキ根で解けるための条件とは整合しない.

***********ガロアの伝記略****************

決闘の前夜、彼は数学的アイデアの長い説明を書きました。これには、根号で 5 次以上の方程式を解くことが不可能であることの証明が含まれていました。この作品で、彼は置換群の概念を発展させ、群論の研究における最初の重要な一歩を踏み出しました。彼の書類はほとんど失われましたが、それにもかかわらず、アカデミーのメンバーであるジョセフ・リウヴィルの手に渡りました。1843年、彼はアカデミーのメンバーに、ガロアの論文の中で「その深さに劣らない精度の解決策を発見した。そのような素晴らしい問題の解決策を発見した。検証する・・・・」と告げた。リウヴィルは 1846 年にガロアの論文を発表し、最終的に科学界が利用できるようにしました。

ガロアは数学の他の多くの分野で働き、同様に印象的な発見を達成しました。特に、彼は剰余算術(合同算術)を一般化し、現在ガロア体と呼ばれるものを得ました。ガロア体のサイズは常に素数のベキ乗であり、逆に、素数のベキ乗となる数ごとに,その個数の要素からなるガロア体がただ 1 つだけ存在します。

群論の最初の本格的な実用化の 1 つは、考えられるすべての結晶構造の分類でした。結晶構造は、原子の周期的な 3次元格子と秩序のある構造で、数学の仕事は、その中のすべての可能な対称群を求めることです。1891年、フェドロフとシェーンフリーズ、バーローは(それぞれ独立に)、230個の結晶空間群を数え上げました。タンパク質などの生体分子の構造を決定したのは、 X 線の回折パターンに基づいています。X線回折像は結晶構造のフーリエ変換であり、結晶構造解析ではフーリエ解析も重要です。

ジョルダン

群の概念は、ルフィニの膨大な論文とラグランジュのエレガントな論文を先駆として、ガロアの論文で最も純粋な形で最初に形を現わしました.リウヴィルによるガロアの概念が広まった 10 年間に、よく発達した群論が数学に現れました。この理論の主な設計者は、1870 年に代入と代数方程式に関する 667 ページの論文を発表したカミーユ・ジョルダンであると考えられています。ジョルダンは、トピック全体を体系的かつ包括的に発展させました。

ジョルダンが群論に魅了されたのは 1867 年のことでした。そのとき、群論と幾何学との関連性を明示し、ユークリッド空間における剛体の主な種類の運動を分類しました。そして最も重要なことは、これらのタイプの運動をどのように群に組み合わせることができるかを説明するために、彼は非常に実りある試みをしたことです. 彼の主な動機は、結晶学におけるオーギュスト・ブラヴェの研究であり、結晶対称性、特に基礎となる結晶格子の数学的研究を開始しました。ジョルダンの仕事は、ブラベーの論文をまとめたものです。彼は 1867 年に分類を発表し、1868 年から 1869 年に詳細を発表しました。

ジョルダンは極限操作が含まれる運動群を扱いました。有限群はこの範疇に含まれます.極限群に含まれない群の例は,
中心の周りの円の回転で有理角(360°の有理数倍)の操作のすべては群をなしますが,たとえば, 360 × √2 度の回転を含まない(√2 は有理数ではないため)ので,この回転角に収束する回転操作の列はあるが極限は群の要素にない.

平面上の主な運動は,平行移動,回転,鏡映,映進です.3D 空間では,コルク抜きのようならせん状の動きも許されます.らせん運動は,オブジェクトを固定された軸に沿って移動し,同時にその周りを回転するものです.

ジョルダンは平行移動の群から始めて,10 種類を挙げました.ある方向への連続平行移動 (任意の距離にわたる) と,他の方向への離散移動 (整数倍) のすべての組み合わせです.彼はまた,回転と鏡映の主な有限群をリストしました: 巡回群,二面体群,四面体群,八面体群,二十面体群.彼は,2次の直交群$${O (2)}$$と3次の直交群$${O (3)}$$の運動も記述し,空間群の研究の先駆です.

リストは不完全で,3 次元でいくつかの微妙な結晶学的群が欠けていますが,この作業は,純粋数学だけでなく力学にとっても非常に重要な,ユークリッド空間で変化しない図形の動きを理解するための重要な一歩でした.

ジョルダンの本は広範なテーマを扱っています.モジュラー算術とガロア体から始まり,群の例とともに,それ以降のすべてのアイデアの論理的基盤として機能します.中間部分は,ジョルダンが順列と呼んだ置換群に当てられています.彼は,ガロアが 5 次方程式の対称群がベキ根の解と両立しないことを示すために使用した正規部分群に関する基本的な考え方を定義し,これらの部分群を使用して一般群をより単純な部分に類別できることを証明しています.彼は,これらの分割された同値類のサイズは,群の分解の仕方には依存しないことを証明しています. 1889 年,オットー・ヘルダーは,正規部分群によって分解された各同値類が群(商群)をなし,そのサイズだけでなく構造も群の分割方法に依存しないことを証明することでこの結果を発展させました.このように分解できない群を単純群といいます.

ジョルダンは,$${ n}$$次の交代群$${A_n}$$(偶置換全体がなす群)は,$${n ≥ 5}$$のときは常に単純群になることを証明した.これが,一般5次方程式がベキ根の解をもたないことの群論的な根拠です.

1869 年に,ジョルダンはガロア理論の彼のバージョンを開発し,それを彼の論文に含めました.彼は,代数方程式がベキ根で解けるための必要十分条件は,対応する群が可解であることを証明しました.これは,群を分解していったときに現れる剰余類の個数(商群の位数)が素数,単純群であることを意味します.

対称性の発見

ルフィニ,アーベル,ガロアがベキ根による5次方程式の解決は不可能であることを証明したとき,4000 年にわたる解決策の探索は終わりを告げました.結果は否定的であることが判明しましたが,研究の事実そのものが,数学と科学全般のさらなる発展に深刻な影響を与えました.これが可能になったのは,不可能を証明するために使用された方法が対称性の数学的理解の中心であることが判明したためであり,それが数学と科学全般の不可欠な部分でありました.

************チューリングのパターン形成略**************


スチュアート I.真実と美。対称性の世界史。M .: コーパス: Astrel, 2010. S.


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