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小学唱歌の思い出(その1)

思い出す唱歌が2つあります.
最初の歌は「我は海の子」.我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。

もう一つは「風」.誰が風を 見たでしょう 僕もあなたも 見やしない
けれどこ木の葉を ふるわせて 風は通りぬけてゆく。

その1.「我は海の子」

私は1回だけ映画の撮影に出たことがあります.教室の1シーンだけで,それがどのような映画に仕上がっているのか見たことがありませんからわかりません.小学校4年くらいのときです.若い担任の先生は画家くずれのような人でしたし,仲間の教師たちも劇団好きや芸術家くずれの人が多かったようです.担任の先生は私たちを劇団に入れたかったようです.私はまったくそのような気はありませんでした.ある日,映画に出るということで各クラスから数人づつ講堂に集められて,合唱の練習が始まりました.「わーれはうーみの子しーら波の....」
何度も何度も合唱させられて,半日ぐらいやったと思います.何をするのか良くわからないままに,翌日(多分,日曜日だった),校庭に集まる様にいわれました.当日はバスが来ていました.みんな乗せられ,同じ区内のどこかの小学校に連れていかれました.そして,1つの教室に座らされました.他の学校から来た子もいたようです.私たちの時代は一クラス52人くらいでしたが,そのような教室に全員座ると,また歌の練習を数回やり,撮影が始まりました.私の座ったのは教室の真ん中付近でしたが,私の左側にレールのようなものがあり,合唱していると,カメラが前からすうと滑って近づいて来ます.撮影してはチェックして,同じことが3,4回繰り返されました.カメラは近づいて来るのですが,私の少し前で角度が逸れて誰かにズームインしているのがわかります.どうやら主役の女性が私の前に座っているようです.もう一人の主役の男性もいるらしいのですが,カメラのズームインの方位から推測するにかなり離れた席のようです.

教室全員が合唱している風景から主役の顔がズームされるというシーンの撮影であることが,なんとなくわかりました.

撮影は簡単に終わって私たちは釈放されて,またバスに乗せられ学校に帰りました.翌日の学校ではクラスの皆が興味津々でどんな映画なのかと聞きます.私は何も知らないので答えられません.主役の女性は古賀さと子さん(童謡歌手で「小鹿のバンビ」などで人気があり,私たちの世代では良く知られていました.私より4つ年上です.)でした.私は後ろにいたので,顔は見なかったのですが,撮影現場の雰囲気から推察できました.そして,出来上がった映画は「洞爺丸事故が背景」のものらしいです.あゝ洞爺丸(1954年).私はこの映画は見ていませんし,私たちがかかわったあの1シーンが最終的に映画の中で採用されたのかどうかは知りません.

洞爺丸事故は実話です.wikiより
1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号(洞爺丸台風)により起こった、日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。


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