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薄橙の花

仕事はだいぶ落ち着き、写真展に向けて忙しい日々だった。1月に気が落ちて以来元気でいたのだけれど、制作している時特有のバッドモード突入。いろんな人に抱きしめてもらった。自分の個人的なこと、日記にしてもnoteの文章にしても、自分本位のアウトプットに意味を見出せなくなってしまった。それでも毎日日記は書いたし、友人や会社の人と話すのをやめなかった。やめられなかった。自分だけで抱えきれない時、友人の何人かは自分だけで解決しようとするようだけれど、わたしはそれができない。それはこれまでたくさん助けられてきたから、人を信じて期待してしまっているんだろうか。期待しないほうが、と最近特に聞く。でもそんなことないよ。勝手にがっかりするのはよくないけど、誰かが答えをすでに持っていたり、思いもよらないところから手を差し出してくれたりする。期待してなかったらどこにも行けなかった。こういう写真が撮れるかもしれないと行き先を選んできたし、何かが変わるかもしれないと思って人の話を聞きに行った。こんなに遠くまで来れたのに、期待しないなんて無理だ。諦めていたくない。

散歩をしていると、ツツジとジャスミンの甘い香りが道を包む。もう2年前になってしまう北海道の生活。写真をずっと見ているから最近のことのように思えている。住宅街の至るところに花は咲いていて、薄緑の風景の中で目を引いていた。花の名前も知らないし知ろうともしなかったけれど、そこにあった赤い花は今でもわたしの中に焼きついている。歩いた先に現れた風景を覚えていたかった。不安の中で、心細さの中で、見落とさないほうがいいものを選べていたんだと思う。全部全部覚えていたかった。たしかめることでしか自分を保つ方法がないないなんて、なんて危ういんだろうと思う。ひとつひとつを踏みしめていくことをやめることはできない。今はまだこのやり方しか知らない。この先に別の抜ける道があるのかもしれないし、ずっとぐるぐる回ることになるのかもしれない。それでも今はこれでいいのだと思っている。ほんとうは、もっと楽で傷つかなくていいやり方もあるんだと思う。なれるならなりたい。今でも思う。

エネルギーが内側に向かう。「大丈夫」と横に一緒に立ってくれている人たちがいる。自分の存在を自分で大丈夫にできなくても代わりに言ってもらえる。いろんな人とたくさんの話をしたい。ほんとうのこと。疲れちゃうけど、傷ついちゃうけど、それでもわたしはそっちのがいい。

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